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「最近、〇〇にハマってるんだよね」からトークできる人は強い

いまから、コミュニケーション能力がめっぽう高い人には無縁の話をする。

コミュニケーションが苦手な人は、自分から話題を振ることに抵抗を覚えるものだと思う。

ぼくは完全にその部類の人間だ。

自ら提供した話題にみんな乗ってくれなかったら、冷めた反応しか返してもらえなかったら、その場の空気を悪くしたら、と思うだけで寒気が走る。

藪蛇になると分かっているから、話したいテーマがあっても自分から率先して振りまくことはしない。

「最近、サカナクションの『新宝島』PVをYouTubeで繰り返し視聴することにハマってるんだよね」なんてことを会社のみんなの前で言う勇気は、とてもぼくにはない。

さっそく脳内で、壮大に討ち死にする姿が想像された。

ぼく「サカナクションの『新宝島』PV面白いですよねー。最近ハマってよく見てるんだ」

会社の人「ああ、確かにおもしろいですよねあれ、でも、何で今なんですか?」

ぼく「いや、別に、たまたま見つけておもしろいなあ、と思ったから」

会社の人「で、毎日見ているんですか?」

ぼく「毎日ってわけじゃないけど、ヒマなときとかに……」

会社の人「へえ……」


絵に描いたような生産性のなさ。口には出さないけど「それ言う必要ある?」がにじみ出る顔面リアクション。未来の姿が先回りして想像されるから、とても怖くて言い出せない。同時に、自分のエゴのために貴重なお昼休みの時間を費やしてもらうことも何だか悪い。コミュニケーションに自信が持てない人間のかなしい性である。

コミュニケーション能力が高い人は、きっと違う。

たとえ世間の流行とは関係ない個人的なマイブームであっても、「なぜハマっているのか、なぜそれを面白いと思うのか」を緩急を付けながらテンポよく、しかも面白おかしく話せる。コミュニケーション能力が高いと評されるくらいの人は、そんなの朝飯前だろう。

それとも、相手に伝わるかどうか微妙なテーマはあえて避け、興味を引くようなテーマを持ち出して場を沸かせるからこその「コミュニケーション能力」なのか?

おそらくどちらも大事だし、どちらの要素も持ち合わせるに越したことはないと思う。

考えてみれば、コンテンツ作りでもそれは大切なことだし、ライティングの仕事で常に向き合っていることだった。

どうすればコミュ障を克服できるだろうかといろいろ考えるうちにこんな記事を書こうと思うにいたり、書いてみたら自分の仕事にもつながるテーマだったことに気づいた。

「文章を書く」と「話をする」は異なる行為だけど、根っこの部分でつながっているもんだと改めて思った。

ぼんやりとした思考も、こうして書き出すことで明瞭になり、違う発見にもつながるから大事。全然まとまっていないけど、とりあえず書いてみてよかった。


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