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ミニマリストを目指すなら

「不要なものから解放され、本当に必要なもののみに囲まれて生きる人たち」をミニマリストと言うらしい。

身辺に置くものを必要最小限にとどめることで、生活の豊かさやスリムなライフスタイルを目指す動きがアメリカではじまり、そのブームが日本にも上陸してきたとか。

大量生産・大量消費時代と言われて久しい。モノがあふれる現代社会において、モノに囲まれる生活は豊かさの象徴みたいなムードがあった。

しかしその人にとって価値のないモノは、本当の意味でしあわせにしてくれない。価値のないモノが増えるほど、しあわせかそうじゃないかの境界線があいまいになる。モノがあふれる状態になって幸せ感度が鈍くならないためにも、モノを集めて豊かさを広げるのではなく、モノを減らすことで豊かさを深めていくのが本来の在り方。そんなところだろうか。

ぼくの場合、「それができるのだったら最初からやっている」と思うところがある。

不要なものなど捨てていいはず。だけどそれができない。人それぞれできない事情があるだろうけど、ぼくの場合は単純に気持ちの整理がつかないから。

「いつか必要になるかもしれないし」「たまに活躍するときがあるし」「もっていても損はないし」などなど。部屋の掃除をするときのぼくはいつもこんな調子でミニマリストになる機会を失っている。

それは子ども時代の体験がちょっとしたトラウマになったということがある。読まなくなった漫画を思い切って処分した。それは大好きな漫画だった。けれど次第に読まなくなって物入の奥に押し込めてしまい、もう必要ないだろうということで処分した。

ところがその直後にその漫画を読みたくて仕方ない衝動にかられた。そしてとうとう我慢できなくなって古本屋で買い求めるという途方もない無駄を演じてしまったのだ。こういう体験が2度か3度はある。

そのとき不要と思っても、いつか古い発作みたいにぶり返すことがあると分かっているから、どうしても踏み切れない。

捨てるタイミングはいつか来るのだろうけれど、そのタイミングがいつなのか、今なのかあと三年してからなのか、そんなことを考えると「しばらくとっておこう」という結論に至ってしまう。

不要と分かっていれば最初から捨てている。その判断ができないから困ってしまう。基本、みんなミニマリストになりたいと思うのじゃなかろうか。

もしかしたら、必要か不要かを考えるより、所有の概念を一度取っ払ったほうがはやいのかな? とも思う。

いまの時代、必ずしもほしいものがあるからといって所有にこだわる必要はない。「欲しい時に借りる」や「いらなくなったら一旦預ける」などのサービスを上手に活用すればよいのだ。漫画を一度手放したとしても、漫画喫茶に足を運べばいくらでも読める。手放したところで永久に切り離されるような話でもないわけだから、とりあえずお別れの儀式を済ませよう、くらいの軽い気持ちでいいのかもしれない。

コンマリメソッドを本気で習ってみようかな。


#ライター #エッセイ #コラム #ミニマリスト #コンマリ



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