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決心

小説を書こうと思った動機は、自分と向き合うためだった。小説家になりたい、という願望からじゃない。

ぼくは自分という人間をもてあましている。何をするにも、何を考えるにも、過去の自分というものが頭をもたげて心を支配する。一度こいつときちんと向き合い、腹の底から話し合って理解することなしには、前へ進めないと分かった。その方法として、小説がいちばんよいと思ったのだ。なぜなら、ある人物に自分のすべてを仮託しその人生を動かすことで、過去から今にいたるまでを総括できるから。紙上空間に並べた時間とともに、感情の変化を静かに、つぶさに追っていける。

noteでも何度か自分について書いたことがあるが、ぜんぜん足りないし踏み込めない。しょせん考えや意見を述べているだけで、感情の深いところまで手を突っ込めない。やはりどこか臆病になっている。探りを入れるだけで終わっている。ありのままをさらけだすのに、抵抗を感じる自分がいるのだ。

最近、SNSでもnoteでも、心の障害や人格の欠陥を堂々と公表している人をよく見かける。あたかも個性の一部であるかのように、自己プロフィールに書き込み、記事のなかで告白している。

それについてとやかく言っているわけではない。むしろ、敬意すら覚える。心や人格に抱える障害を受け入れ、向き合っているから。その姿を恐れず公表している。どうしてそんなことができるんだろう、どうしてそう強くなれるのだろう、と頭が下がる思いだ。

ぼく自身、病名がつくほどの障害を抱え込んでいるわけじゃない。ただ、普通とちょっと違うという自覚はある。病名がつくものじゃないから、どう説明してよいか分からない。言葉をいくら尽くして説明しても、それを伝える自信はない。

あえて言うならば、途方もない自意識過剰、コントロール不可のバカげたプライド、人を遠ざけるコミュニケーション障害、みじめなくらいの不器用さ、みんな楽しんでいるのに楽しめない冷めた感情。何かが過剰でどこかが不足している。それはあきらかに一般並みじゃない。でも障害でも何でもない。障害以上平凡未満といったところだろうか。だからはたから見れば何がおかしいのかさっぱり分からない。

セラピーに通った。人間関係の悩みや自分不信、将来不安といった多くの負の感情を抱え、それを吐き出すごとく先生に相談した。先生は「あなたは、本当は明るい人間じゃないのか。でも、小さい頃の体験が原因でひどく自分をかばうようになっている。それが人前での臆病、自意識過剰、プライド過剰につながっているように見える」。

ぼくはひとりでも飲みに行く。それはさみしいからだ。人と話すのが好きだからだ。人が嫌いだったらこんなことしない。どこまでも暗くてどこまでもおとなしかったらわざわざ自分から人と接しないだろう。自分のなかに本当の自分が確かにいるんだけど、小さい頃に傷ついた自分がふたをして、これ以上傷つかないよう守ろうとするあまり、本当の自分を出せないでいる、先生に言わせればそういうことらしい。ぼくも、そうじゃないかと思った。

子どものころはとにかくバカにされる子だった。笑われ、からかわれ、陰口をきかれ、軽く扱われ。勉強もできず運動もできず手先も不器用、絵などまったくかけないしみんな大好き図画工作はいちばん嫌いだった。いちばん恥をかく時間だった。何もできないづくしの超出来損ない。先生からは怒られる。親からはあきれられる。それなら努力して人並みにできるようになればいい。ほんとそうすればよかった。でもそんなやる気はみじんもなかった。なぜ勉強しなければならないのか分からない。声が小さく無口で大人しい、もっと明るくなれと言われても、なぜ暗い性格だとダメなのかが分からない。ぼくは何も悪いことしていないのだ。悪いことさえしなければ、そんなに無理をしてがんばる必要はないだろう、そんなところだった。たんに無気力だったのかもしれない。

確かに悪いことだけはしなかった。先生を困らせるようなことはしなかった。忘れ物もしない、学校もいやいや言いながら頑張って通った。誰かがいじめられてもそれに加担することはしない。人に迷惑をかけることもしない。ウソもつかない。ただおとなしく真面目にふるまう。怒られたくないから。目立ちたくないから。でも、そんなことで周りはほめてくれやしない。そんなことは当たり前だと。そりゃそうだ。

勉強も運動できない、特技もない。話も下手。性格もおとなしい。こんなんだから友達もできない。高校時代はとうとう孤立してひとりぼっちになった。一生懸命勉強して入った学校だったが、ひとりぼっちの苦しさに耐え切れず3年の2学期で辞めてしまった。おかげで大学にも行けず、何もない青春時代だ。あれ以来、友だちとは何なのか、友だちという存在は何を意味するのか、ずっと考えるようになった。

「何も言ってないのに嫌われる」最初は話してくれるのに、なぜか途端に話してくれなくなる。あきらかに向こうから距離を置かれている。嫌われるようなことをした覚えはないのに、なぜ。不思議だった。急にしゃべってもらえなくなったから、じゃあいい、とこっちもなる。むずかしい。何をどう話せばよいか分からなくなった。高校時代はそんな感じであっという間にひとりになった。そのときのトラウマが原因で、相変わらず人との距離感をうまくとれない。嫌われまいとする気持ちが強すぎるあまり、差しさわりのないことしか言えない。でもだからといって仲良くなれるわけじゃない。むしろ顔色ばかり窺ってつまらない奴と思われる。本音でしゃべろうとしないから、中身のない人間と思われる。薄い関係しかならず友達なんてレベルに到底いきっこない。

気がつけば中年と呼ばれる年齢に達した。そう、オレは世間からみたらヤバい人間だ。病気とかじゃないから余計ヤバさが際立つ。それは落ちこぼれ・ダメ人間というだけの、もっともみっともないヤバさ。いまだに大きな存在となって心に居座る子ども時代のオレと話をしたい。腹を割って納得するまで話し合いたい。その手段として僕は小説を選んだ。


#自分 #心 #悩み #人間関係 #不安 #友達 #高校時代 #セラピー #小説

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