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いつもお世話になっている、管理会社のお兄さんのこと

朝、布団のうえでぐだぐだしていると、外からだれかの声が聞こえてくる。それは甲高くハキハキして、よく通る声だ。このマンションに引っ越して二年近く。それはたいてい、「ああ、またマンション管理のお兄さんが近所の人と世間話してるんだな」と察しがつくようになった。

ぼくもそのお兄さんとは機会があれば立ち話をする。お兄さんがエントランスで汗だくになりながら仕事をしているのは朝の早い時間(7時~8時くらい)だから、そんなにゆっくり話ができるわけじゃない。それでも、「おはようございます!」というさわやかなあいさつを一発お見舞いされると、ぼくもいきおい「今日もいい天気ですね!」みたいな調子で返し、そこからいろんな話に及んだりすることもある。

お兄さんはたぶん、ぼくより少し年上だろう。40代前半といったところか。ひょっとするともっと若いのかもしれない。ぼくのなかでお兄さんはいつも「気持ちのよい汗をかく人」というイメージだ。

つなぎの上をめくってTシャツ一枚になり、デッキブラシでエントランスの床をゴシゴシとやる。こちらがあいさつすればぱっと振り返り、ニカッと笑みをたたえて倍返しのあいさつを送る。とにかくいつもさわやか、笑顔はスマート、汗は輝いている。

お兄さんの働く姿を見るだけで、「この人は仕事が好きなんだな」と感心する。実際話を聞くと、マンション管理の仕事が好きだという答えが返ってきた。

「誰かに喜んでもらうのが好き」。マンションをきれいにすれば、住人は喜ぶし、大家さんも喜ぶ。手入れが行き届くマンションという評判が伝われば、ここに住みたいなという人が増える。それで大家さんがまた喜ぶ。みんなが喜ぶ姿を想像しながら、ゴミ袋の整理や床掃除をがんばるのだろう。このマンションで生まれた喜びの輪は、お兄さんの汗の結晶ともいえる。

もちろんつらいこともある、とお兄さんは言う。きれいに掃除をしたそばからゴミで汚されたり、何度も言い聞かせているのにゴミ出しのルールを守らなかったり、それらの後始末をするのはすべて自分の仕事。ゴミ袋が破け、プラスチックのゴミ箱いっぱいに生ごみが散乱したこともあったとか。不幸にもそれが中華料理屋の残飯で、筆舌に尽くしがたい臭いと汚れの惨状だったらしい。お兄さんは何時間もかけてゴミ箱を掃除したという。

マンション管理の仕事は清掃だけではない。住人のマナー指導も重要な任務のひとつというのだ。指導に失敗すればそれは現場担当者の責任になる。マンションを汚しているのはもちろんお兄さんではない。が、その責任はお兄さんに降りかかってくるという理不尽な構造。管理不足で上層部から怒られることもあるし、ストレスも半端ではないらしい。

それでもこの仕事が好きだと、お兄さんは言う。上記のような不満や苦い経験を話すときでも、ぜんぜん暗い顔じゃなく、あっけらかんとした調子で言うから、聞いているこっちも重くならない。

「まあそんなもんですよ」。しかしぼくがお兄さんの立場だったらどうだろうか、と思ってしまう。ぜったい文句を言って辞めている姿が容易に想像できる。対してお兄さんは踏ん張っている。投げ出そうという雰囲気はみじんもない。

それはお兄さんにとってこの仕事が好きということのほかに、強い責任感や使命感、据わった根性、打たれても負けないハートのなせる業なのかな、とも感じる。同時に、これまで仕事をころころ変えてきた自分としては身につまされる思いにもなる。


「仕事とは何だろう?」そういうことを考えさせられる時代になってきた。世の中に存在するさまざまな仕事について、あるいは仕事をする個人や会社員に対して、いろんな意見を聞く。

「今時なんで会社員やってるの?」「なんで副業しないの?」「そんな人生つまんなくない?」「なんで挑戦しないの? 一度きりの人生だよ」とかいろいろ。なかには、人の仕事や人生を上から見下ろす向きもある。

仕事や生き方の前に、その人の思いがある。考えがある。仕事によっては、「そんなことして人生楽しいの?」と思ってしまうこともあるかもしれない。

ぼくも正直、お兄さんの仕事はとても自分にはできない、と思うことがある。それを毎日やらされるのはごめんだ、とも。

けれどそれでお兄さんが可哀そうだとかみじめだとかはぜんぜん思わない。「そんな仕事よくやってられるな」とも思わないし、反対にすごいと尊敬してしまう。

マンション管理の仕組みについていろいろな問題はあるかもしれないけど、いまのところお兄さんが仕事に精を出しているおかげでぼくたち住人は助かっている。ぼくが評価できるのはそこだけだと思う。

お兄さんに対しては敬意しかない。いつもマンションをきれいにしてくれてありがとう、という気持ちが率直なところだ。

朝の時間、下のエントランスから物音がすると、「あ、またお兄さんが仕事がんばっているな」と想像してしまう。たぶん住人の何人かは、ぼくと同じ想像を働かせるのじゃないだろうか。首に巻いたタオルで汗を拭きながら丹念に掃除するお兄さんの姿を。有名人でもなく、目立つ仕事をしているわけでもないのに、働く姿がパッと思い浮かぶなんて、それだけで単純にすごいじゃないか。



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