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「オリオンビール」具志堅宗精と「沖縄教職員会」屋良朝苗─「ビールに託したウチナーの夢」ともう一つの「島ぐるみ」─

オリオン、買収へ

 沖縄を代表するビールメーカー「オリオンビール」が日本の証券会社と米投資ファンドによる株式公開買い付けに応じ、完全子会社となることを承認すると発表した。
 オリオンは米軍施政権下の昭和32年(1957)創業、これまで長く県民に愛され続け、現在でも県内最大のシェアを誇っている。このため県内では「オリオン買収」が大きく報道された。
 沖縄出身のバンド「BEGIN」の歌「オジー自慢のオリオンビール」のサビの歌詞は「三ツ星かざして高々と ビールに託したウチナーの 夢と飲むから美味しいさ オジー自慢のオリオンビール」というものだが、オリオンの行方を、いわば「ビールに託したウチナーの夢」の行方を、県民は注視しているといえよう。

オリオン創業者具志堅宗精

 オリオン創業者の具志堅宗精は戦前、警察官として那覇警察署長などを務め、戦後の一時期は宮古民政府知事に就任するが、「沖縄ビール」(後のオリオン)創業後は那覇空港ターミナル(NATCO)設立者の一人である大城鎌吉、國場組の國場幸太郎、琉球セメントの宮城仁四郎とともに「沖縄財界四天王」と呼ばれるほどの財界人として活躍した。
 一方で具志堅は沖縄戦犠牲者の慰霊と、沖縄戦で破壊された沖縄県護国神社の再建に尽力したことでも知られている。
 具志堅は靖国神社奉賛会沖縄地方支部が昭和35年に改組して発足した「財団法人沖縄戦没者慰霊奉賛会」副会長を務めた他、昭和37年には「社団法人沖縄県護国神社復興期成会」会長に、昭和42年には社団法人沖縄県護国神社復興期成会を発展解消して創立された「財団法人沖縄県護国神社奉賛会」会長に就任するなど、護国神社再建に関する要職を歴任している。

沖縄教職員会と屋良朝苗

 こうした具志堅の行動は、現在の日本の一般的な政治感覚でいえば「保守」といわれるものに分類されるだろうが、その反対の「革新」と分類される「沖縄教職員会」会長を務めた屋良朝苗(後の琉球政府行政主席、復帰後初の沖縄県知事)も具志堅とともに沖縄戦没者慰霊奉賛会の理事、沖縄県護国神社復興期成会の評議員に名を連ね、教職員会自体も組織的に社殿再興のための募金活動などをしている。
 その他、教職員会は、援護法の適用拡大や日の丸掲揚運動など、後に「民族主義的復帰運動」ともいわれる運動も展開している。教職員会が「革新」へと大きく舵を切るのは昭和42年のいわゆる「教公二法阻止闘争」以降であり、同年の財団法人沖縄県護国神社奉賛会からは護国神社再建運動から教職員会幹部の名が消えていく。

「島ぐるみ闘争」ともう一つの「島ぐるみ」

 櫻澤誠『沖縄の保守勢力と「島ぐるみ」の系譜──政治結合・基地認識・経済構想──』(有志舎、2016年)によると、沖縄では昭和31年のプライス勧告など土地闘争を契機として米軍基地を受忍しつつも拡張には反対し、経済的援助や適正な補償と運用を要求する「『保守』的立場」が形成され、それが「島ぐるみ」の一致点となり「島ぐるみ闘争」が発展したわけだが、そうした「『保守』的立場」の延長に「『革新』的立場」が形成されるのであり、櫻澤氏は「保守 vs.革新」といった対立構造ではなく、「『保守』的立場」と「『革新』的立場」の重層構造を読み解くことの重要性を強く指摘している。
 その上で櫻澤氏は、教職員会は昭和40年前後までの沖縄の保革未分化の象徴であり、教職員会のこうした動きに保革対立軸が確立する以前のもう一つの「島ぐるみ」を読み取る。

「ビールに託したウチナーの夢」

 冒頭、オリオン買収により県民は「ビールに託したウチナーの夢」の行方を注視していると記した。
 それでは「ビールに託したウチナーの夢」とは何だろうか。もちろん様々な「ウチナーの夢」があり、一言でいえるようなものではない。しかし例えば「ビールに託したウチナーの夢」を「ウチナーが皆で夢見ているもの」、つまり「ウチナーの一致点」ととらえたとしたらどうだろうか。さらにそれを「島ぐるみ」と置き換えたとしたらどのようなことがいえるだろうか。
 具志堅と屋良がそうであったように、護国神社再建や援護法適用拡大・靖国神社合祀など沖縄戦をめぐる同化主義的復帰はもう一つの「島ぐるみ」であり、「ビールに託したウチナーの夢」であった。しかし屋良はじめ教職員会は「革新」へと舵を切り、それは「ビールに託したウチナーの夢」ではなくなっていった。
 だが「ビールに託したウチナーの夢」そのものが消滅したわけではない。櫻澤氏がいうように、基地問題は「『保守』的立場」から「『革新』的立場」が発展するが、「『保守』的立場」において両者は一致し「島ぐるみ」が形成され得る。現代においてこれに該当するものは、「辺野古新基地建設反対」であり、まさしく「ビールに託したウチナーの夢」といえるだろう。
 オリオン買収の報道から、具志堅と屋良のもう一つの「島ぐるみ」の存在に目を凝らしつつ、目前に迫る県民投票はじめ「辺野古新基地建設反対」という「島ぐるみ」の行方、すなわち「ビールに託したウチナーの夢」の行方を注視したい。

トップ画像:昭和40年、沖縄県護国神社を参拝する佐藤栄作首相、右端が屋良朝苗、右から2人目が具志堅宗精か(沖縄県公文書館 資料コード:0000108909)

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