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皇位継承に伴う「退位礼正殿の儀」と「剣璽等承継の儀」のあり方に対する批判をただす

 今年はいよいよ皇位継承・改元となる。そのため今月24日の天皇陛下の御在位30周年を奉祝する式典や退位礼正殿の儀、剣璽等承継の儀、即位礼正殿の儀、そして大嘗祭など、一連の重要な式典・儀式・祭事が予定されている。厳粛な雰囲気のなか滞りなく無事に執り行われることを願っている。
 ところで、その一連の行事のなかの中心的な儀式である4月30日の「退位礼正殿の儀」と翌5月1日の「剣璽等承継の儀」のあり方について、歴史上の譲位践祚儀礼と異なるとして批判する人物がいる(SNSやブログ上での批判であり実態不明の人物であるため、仮にA氏としたい)。
 伝統に基づき旧儀古儀と異なる新儀や異例について適切な時宜・方法・態度で問題点を指摘・批判することはありえるだろうが、A氏の批判はそのようなものではなく、「歴史から断絶」「皇統の終わり」「廃帝」といった不穏な文言が含まれる批判であり、看過し難い。
 皇位継承儀礼(譲位践祚儀礼)における一つの儀礼の伝統の遵守をいうがあまり儀礼の全体性が見えなくなり、このたびの皇位継承の正当性を毀損せしめるようなことはあってはならない。

A氏のこのたびの践祚・即位儀礼批判の概要

 A氏は、このたびの譲位践祚が、歴代の践祚・即位と大きく異なるものだと指摘している。
 具体的には、A氏は践祚・即位儀礼の核心を現在の「剣璽等承継の儀」、つまり剣璽等渡御儀礼(レガリアの移動)にあるとし、この剣璽等渡御儀礼には先帝が臨席し、先帝の手もとから新帝へ剣璽等が直接かつただちに引き渡されるべきものだとする。
 しかるに、このたびの譲位践祚では、この剣璽等渡御儀礼はどのように行われるのだろうか。
 まず4月30日の「退位礼正殿の儀」の概要は次の通り(天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典委員会「退位礼正殿の儀の次第概要等について」より)。

天皇皇后両陛下お出まし
  侍従がそれぞれ剣、璽並びに国璽及び御璽を捧持
  皇太子同妃両殿下始め成年の皇族各殿下が供奉
侍従が剣、璽並びに国璽及び御璽を案上に奉安
国民代表の辞(内閣総理大臣)
天皇陛下のおことば
天皇皇后両陛下御退出

  侍従がそれぞれ剣、璽並びに国璽及び御璽を捧持
  皇太子同妃両殿下始め成年の皇族各殿下が供奉

 続いて、翌5月1日の「剣璽等承継の儀」の概要は次の通り(同「剣璽等承継の儀次第概要」より)。

天皇陛下お出まし
  皇嗣殿下及び成年の親王殿下が供奉
侍従がそれぞれ剣、璽並びに国璽及び御璽を捧持して入室
侍従がそれぞれ剣及び璽を御前の案上に奉安
侍従が国璽及び御璽を御前の案上に奉安
天皇陛下御退出

  侍従がそれぞれ剣、璽並びに国璽及び御璽を捧持
  皇嗣殿下及び成年の親王殿下が供奉

 以上のこのたびの譲位践祚儀礼のあり方について、A氏は剣璽等渡御儀礼に先帝が臨席せず、先帝から直接新帝へレガリアの引き渡しがなく、またレガリアの移動が1日日をまたいで行われるという「時間差」を問題視し、さらに侍従すなわち政府の吏員が剣璽等を案上に奉安することなども含めて、「政府・宮内庁が天皇陛下からレガリアを取り上げる」「4月30日にこれまでの皇統が終わり、5月1日からは政府の命令による新王朝ができる」などという。
 こうしたA氏の指摘は妥当といえるのだろうか。

譲位践祚儀礼の中心的儀礼は「譲位宣命」と「剣璽等渡御」にあるのでは

 そもそも皇位継承は、先帝の崩御による諒闇践祚と先帝の譲位による譲位践祚に大別されるが、このたびの皇位継承はいうまでもなく譲位践祚となる。
 ちなみに古代は諒闇践祚が通常であり、譲位践祚は歴史上、持統天皇による文武天皇への譲位が初である。しかし、これ以降、むしろ譲位践祚が常態化していく。
 譲位践祚儀礼の次第については、『儀式(『貞観儀式』)』巻五「譲国儀」にその大綱が記されているが、そこでは先帝による譲位と新帝の即位を告げる「譲位宣命」が読み上げられ、この譲位表明後に剣璽等渡御儀礼がある。
 ポイントとしては、『儀式』によるとあくまで「譲位宣命」の読み上げにより皇太子が新帝とされるのであり、剣璽等渡御つまりレガリアの移動が譲位践祚儀礼における中心的な儀礼の一つであることは間違いがないが、あくまで譲位践祚儀礼の核心は「譲位宣命」にあるのだ。
 そして先帝崩御に伴う諒闇践祚では、譲位表明が不可能あるため、譲位践祚儀礼から「譲位宣命」を除いたかたち、つまり剣璽等渡御儀礼が中心的な儀礼となるのである。
 A氏は昭和天皇の崩御においても、ただちにレガリアの移動が行われたとし、このたびの譲位践祚儀礼における剣璽等渡御の「時間差」を問題視するわけだが、譲位践祚においては剣璽等渡御儀礼だけではなく「譲位宣命」という譲位表明についても見ていく必要があり、諒闇践祚の皇位継承儀礼における中心的な儀礼であるレガリアの移動だけに視点を置いて譲位践祚儀礼を批判することはできない。

新帝への剣璽等渡御に先帝が臨席しないケースは歴史上複数ある

 A氏はまた、このたびの譲位践祚儀礼において、剣璽等渡御儀礼に天皇陛下が臨席せず、天皇陛下から直接皇太子殿下へレガリアの引き渡しがないことを問題視するが、平安時代において、先帝の譲位表明の場に新帝が同席せず、譲位表明後、先帝のもとからレガリアが新帝のいる御所に移動する例が複数ある。つまり先帝が剣璽等渡御儀礼の場に臨席せず、先帝が直接新帝へレガリアを引き渡すのではないケースも多々あるのだ。
 またA氏は剣璽等渡御の「時間差」を問題視するが、平安時代において、先帝が直接新帝へレガリアを引き渡さない場合、先帝の譲位表明が終わってから新帝へレガリアが移動するのであり、譲位表明と剣璽等渡御には「時間差」がある。つまり必ずしもこのたびの譲位践祚儀礼における剣璽等渡御儀礼が旧儀古儀と著しく異なっているとはいえない。

お わ り に

 考えようによってはこのたびの「退位礼正殿の儀」において、天皇陛下が剣璽等を案上に奉安せしめ、お言葉を述べられ、そこに皇太子殿下が供奉するのだから、「退位礼正殿の儀」は譲位表明とレガリアの移動の一環であり、それが翌日の「剣璽等承継の儀」にかけて連続して行われるものともいえる。
 歴史的に見ても天皇の皇位継承儀礼ですら様々な新儀や異例があり、また文献的に不明な点も多々ある。このたびの譲位践祚儀礼の全体を見ず、一つの儀礼が旧儀古儀に基づいて行われているかどうかだけを見て、皇位継承そのものに瑕疵があるかのような物言い、あるいは皇統そのものの断絶をいうような言説は許し難い。
 筆者自身も皇位継承儀礼を専門的に研究してきたわけではないが、こうした浅薄な批判を放置し得ず意見した次第である。
 新儀や異例の中に旧儀古儀の脈打つ様子を見抜き感じていくことの方が健全であり、そうした国民全体の祝意奉表の中で皇位継承が滞りなく無事に執り行われなければならない。
 政府・宮内庁への不信が募ったA氏による尊皇愛国の感情が迸った批判であるとは思うが、そうであれば自身の尊皇愛国の精神に冷静に立ち返り、ただちに批判を撤回するべきである。尊皇愛国の精神の持ち主であれば、それができるはずだ。

トップ画像:平成度「即位礼正殿の儀」において即位を宣言する天皇陛下

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