小説|押入れの中から出てこない彼女のいる部屋で

2014/10/12付で別名義で出した同人誌でした。2万字と少し。
薄暗い、ホラー、というほど怖くはないと思いますが、少しひんやりする感じです。奇妙なものに出会う男子大生、その友人、何かが見えている女子大生、そして人形、そんな人と人ではないものたちのお話です。

誤字と少し間違いがあるのですが直していません。見逃してくださると嬉しいです。

pixiv : https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=9715172


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1. 押入れの中 / 斉藤 祐介


 もう一ヶ月ほど前の事だっただろうか。

 寒くなりかけた秋の初めだったように思う。いつものように学校から帰り、荷物を下ろし一息ついたあと布団を出そうと押入れの戸を開けた。腰を落とし押し込まれている布団に手を伸ばした時、俺は薄暗い空間の中に何か見慣れないものが見えたような気がして顔を上げた。

 見つけてまず、白いなと思った。

 荷物が乱雑に置かれた押入れの奥に小さな足があった。抱きかかえるほどの大きさの、小さな体がある。最初俺はなぜ見覚えのない人形が置いてあるのだろうと思って覗きこんで、

 動けなかった。

 人形の足は透き通るように白く、まるで生身の身体であるかのように鈍く青い蛍光灯の光を反射していた。触れたくなるようなやわらかな淡い質感で、身にまとった質素な白いワンピースはとても軽そうなのに、振動にひらりとも揺れない。

 子供のような顔は可愛らしくも酷く美しく、しかし恐ろしいほどの無表情で虚空を見つめていた。肩ほどに伸びた黒髪は柔らかそうに頬をなぞっている。

 綺麗な人形だった。

けれど、その空間だけはまるで時が止まったかのように、そこに本当に存在しているのか疑うほどに何一つ動かなかった。そのくせ妙に非現実的なその佇まいを見ていると、それが人形だということを忘れさせられるような生き物を前にしたようなそんな気分になる。その人形は今までこんなものを見たことがあっただろうかと、そう感じるような代物だった。

 息をするのを忘れるような泣いてしまいそうな、気持ち悪いとでもいうべき感情が流れこんで、それがなぜだかとても気持ち良くて、いつの間にか頬が緩んでいた。

 笑っていることに気付いて一瞬の後、じわりと恐怖に蝕まれる。

 不格好に慌てふためきながら押し入れを閉め、よろりと駆け寄り反対の壁に背中を預けた。呆然として、気付けば肩で息をしていた。

 美しいと思った、綺麗だと思った。だがそれ以上の怖いという感情に押しつぶされる。

 何なのだろう、あのまま見つめていたら魅入ってしまいそうだった。思い出そうとすると異様さばかりが際立ってきて、言いようのない恐怖感に動悸がうるさい。わけの分からなさにさっき乱暴に閉めた押入れの戸を見つめる。

 昨日までは、いや今日の朝まではあんなもの無かった。確かに人形だったけれど、幽霊なのかもしれないとも思った。けれどしっくりくるようでまるで納得がいかない。実在しないと決めつけていたその単語をぽつりと口に出した。

 このアパートは事故物件でも何でもない。隠していたというなら別だが、あの人当たりのいい大家が隠しているとも思えない。けど。

 あれがただの人形だろうか。その容姿を思い浮かべようとして再び恐怖する。何がそこまで怖いのかは分からなかった。分からなかったけれどなぜかあれはただの人形じゃないと、それだけは確信していた。

 何であんなものが俺の部屋にいるんだろう。どうして押入れに。

 まだ夕方だというのに身体がとても寒く感じて、小さく身震いをした。

 気付くと窓から差し込む光が弱い。ぼうっとしながら、いつの間に時間が経っていたのかとテーブルの上の携帯に手を伸ばした。目線を上げると正面には押入れの戸。

 ふわふわしたような現実味のない感覚が気持ち悪かった。忘れようとすればするほどあの容姿は瞼に浮かび上がってくる。

 押し入れの二段になっている下段には布団、上段には本やら季節外れの服やら使わなくなった物が押し込められていた。その人形はその雑多に散らかった上段の荷物の上に腰掛け、ほとんど触ることのない荷物の山に同化するようにその身を置いていた。

 瞼の裏に張り付いていて離れない姿。人形というにはあまりに美しい有機物のようで、子どもというにはあまりにもその容姿は整っており、また人間としてはあまりに小さい姿。

 怖いという感情が薄れているのに気付く。その代わりとでも言うように自然と湧き上がる愛しいとでも表すべきなのか、まるでそぐわない感情に先ほどの恐怖心がよみがえる。もう何も考えまいとしても頭から追い出せない。ただの人形にこれほどまでに心を動かされて、おかしいんじゃないのか。

 もう一度開けてみようか。思って腰を上げかけた。押入れに手を掛けようとする。

 ふいに鳴った着信音に我に返った。一気に現実に引き戻されるように慌てて押入れから目をそらした。ずっと手に握りしめたままだった携帯は汗でべたついていた。予想してはいたが着信元が友人であることを確認するとすぐに着信を切った。今はとてもじゃないけど話す気にはなれない。

 また座り込んで、はあ、と気が抜けたように天井を仰ぎ見る。先程からの恐怖と共に、いつの間にか好奇心のようなそんなわくわくとした感情も少しだけ、確かにあった。

 自分が特別であるような、かつてのそんな憧れを思い出す。

 再びかかってきた友人からの電話に、そういえばラーメン食いに行く約束していたなと思い出した。どうしようかと押入れの方向をちちらと見つつ考えながら、自分の腹から音が鳴るのを聞いた。再び着信音が鳴り響く。

 外に出るには眠いと思っていたが、この数十分ですっかり眠気は覚めていた。それにやはり先程のことを考えると落ち着かない。この部屋から一度出たいと思って、うるさく鳴り続けている友人からの着信に出た。友人の言葉に適当に相槌を打ちながらもやはり押入れに目が行ってしまう。暗くなった部屋で人形と二人きりも怖いなと感じたので、ついでに泊めてもらえやしないかと交渉してみたもののやはり駄目だった。明日も学校なので当然か。俺ももう大学生なのだからと思い諦める。

 外の空気は冷たくて、ほんの少し前まで暑い暑いと騒いでいたのさえ懐かしく感じる。台風が近づいているのか風が強い。別のことを考えて先ほどのことを頭から追い出そうとしつつも執拗にちらちらと脳裏に浮かび上がってきて落ち着けない。

 やけに乗り気の友人に連れられてきたラーメン屋は、初めて食べた店だったがそこそこに美味しかった。だべりながらのろのろ食べ終る。友人を見るとやることをやりきったような顔をしており満足したようだった。結局俺は始終ぼんやりしていたような気がする。何か話したはずだが話の内容を覚えていない。ただ、帰り際にカップ麺で十分だと言ったら、体に悪いぞと嗜められた気がする。

 友人と別れた後も何となく帰りたくなくて、本屋で二時間ほど潰していた。流石に立ちっぱなしで足が疲れたのもあって家に帰る。

 時間は既に十一時を回る頃だった。鍵を開け玄関に入り、ためらいがちに自室に続く仕切り戸を少し開ける。

 押し入れを見るも出た時と何も変わっていない。部屋の様子もいつも通りだ。数日前片付けたばかりなのに散らかっているのが目に辛い。

 俺はよもや先程のことは自分の妄想だったのではないかと思った。

 そう思えば何だ、何をそんなに怖がっていたのかと笑いながら押入れの戸を開けた。怖いには怖いので顔は伏せがちに、目でちらりと伺うと白い足があった。夕方と寸分違わぬ位置だった。と言うことは妄想ではなくて、つまり俺がおかしい訳ではない。

 いや違う、おかしいのは変わらない。

 喜んでいいのか嘆いたほうがいいのか分からなくて思わず人形を凝視する。それがただの人形でしかない人形であることを望んで。

 可愛らしい小さな顔は変わらず無表情で、もう少し寄ってみたいような触れてみたいような気にさせられる。淡く柔らかく静かな雰囲気に呑まれそうになる。

 その時は確かに呑まれたいとも思った。惹きつけられるようで惑わされるようで。けれど、何故か触ったら駄目なんだと感じていた。

 これ以上見ているといよいよ見境がなくなりそうだった。怖くなって、ようやく目をそらしながら押入れを閉めた。

 何をしたらいいのか分からなくなってしまって数秒その場に立ち尽くして、寝ればいいのかと思う。そして押入れを憎々しげに見やる。布団を出さないといけない。先程開けたばかりなのにと後悔しつつ、開ける。屈んだまま上段を見ないように布団を引っ張り出す。急いで閉める。

 大きく息を吸って、自分が息まで止めていたことに気付いた。

 友人には泊まるのを断られたけれど、明日なら泊めてくれるかもしれない。明後日は土曜日だ、補講もないから一日休みだ。

 出した布団を床に雑に敷き、今日の出来事を忘れようと早々に目を閉じた。このまま起きていてもあの人形のことを考えてしまいそうだ。

 もう午前一時半、丑三つ時が来る前には夢の中にでもどこでも早く行きたかった。

 夢を見た。

 薄暗い地下室のような場所で一人きり、事務机のような大きめの机を前にしている。狭めの教室一室分ほどの部屋には入り口も窓もなく電灯もない。明かりはどこにもないはずなのに周囲の様子ははっきりと分かる。机は部屋の中心にあった。周りは暗くてよく分からないけれどなにもないように思える。酷く無機質な部屋だと思った。椅子が硬くて痛い。

 ずっと何かに追われている気がしていた、追われていると分かっているのに俺は椅子の上から動かずにいた。焦りながら今日の夕飯のメニューを考える。思いつかない。逃げるにはどうすればいいんだろう。一体何を食べればいいんだろう。

 ハンバーグだったら素敵だと、幼い女の子の声がした。

 女の子の声に振り向くと、誰かが立っている。それはじっと俺の背後を睨みつけていて、怖いと思った。何か居るのかと前に向き直っても誰もいない。おかしいなともう一度後ろを向くと誰もいなくなっていた。

 ふと今後ろに居たのは神崎さんじゃないかと思った。ゼミで一緒になった少し変な女の子。そいいえばいつも誰かの後ろを見ていたなと思った。

 目覚めた直後は昨夜の事など忘れていたのだ。

 昨日何かあった気がするとぼんやり考えながら布団を畳む。頭には嫌な夢を見た時の嫌な気分だけが残っていて、しかし何を見たかは思い出せない。

 この部屋は不自由なほど狭くはないが広くはなくて、ついでに荷物も少なくはない。なので布団を敷けば床がいっぱいいっぱいになってしまう。敷きっぱなしにしておくと常に布団を踏んでいる状態になって、だいぶ行動しづらい。だからちゃんと畳む。だらしなさに自覚はあるから、父親に敷きっぱなしの布団にカビが生えていた話をされた時はこの部屋で良かったのかもしれないと思った。

 まあでも、どちらかというとベッドの方が良かったなどと思いつつ折り畳まれた布団を持ち上げ、押し入れを開けて布団を押し込む。屈んでいた体勢から立ち上がろうと、押入れの仕切りに手を置き上を見上げた。

 一瞬で昨夜の記憶が蘇り脇目もふらず戸を叩きつけるように閉める。忘れていた。いっそ思い出さなければ良かった。だいたい見てしまったら思い出さずにはいられないだろう、眠気が恐怖に代わり余計回らなくなった頭でそう思った。

 居心地が一瞬で悪くなった部屋から早く出ようと、あれを早く忘れようとして、いつにないほどのスピードで逃げるように準備を済ませ学校に急ぐ。行き交う人に紛れて少しだけ落ち着く。

 怖かったのは人形よりむしろ自分の方だったかもしれない。

「何だ珍しいな。今日は早いのか」

 いつも通り授業が始まる前に席に着いている友人に茶化される。一限来るのいつも遅いし俺一人だからつらい、などと文句を言われるがそれでも毎回出席しているだけいいだろう。しかも出たからといって友人のように授業を真面目に聞くわけでもなくだいたい寝ている。高校の時どうしてたかなんて俺が知りたいくらいだ。

 起きれるわけがないんだ。いつもは。友人はぼやく俺を見て首を傾げて笑う。

 そういえば何で今日に限って布団をすぐ仕舞う気になれたのか。いつも中々仕舞わずに二度寝三度寝しているというのに。まあいいかと欠伸をして教卓に目をやると、先生と目が合って慌てて逸らした。

 今更になってまた眠くなって来たところで授業が始まる。夢をずっと見ていたからかあまり寝た気はしていなかった。もういいや、今日も寝るかと思いながら教科書を出そうとした。

 あ、と声を出すと、ん、と友人がこちらを見る。鞄の中身はまだ昨日の教科のままだった。やっちゃったな、と思って顔をしかめるが今日はあまり重要な科目もないはずなので大丈夫だろう。昨日今日はいろいろあったんだ。こればっかりは仕方ない。仕方ないので机の上に何も出さずに友人に寝るとだけ宣言すると、ノート見せねえぞと嫌な顔をされた。

 構わずうつ伏せて先生の声を遠くに聞きながら、ふと、昼にでも友人にあのことを話そうかと思った。

 久しぶりに学食で昼食を取りつつ、あの人形のことを事細かに友人に話した。

「病院にいけ」

 友人は黙って聞いていたが、俺が黙るとすかさずこう言い切った。まあ俺も話していてたいがい自分がおかしいんじゃないかと思っていたから、正しい指摘ではあるかもしれない。もしかして知らぬ間に精神疾患を患っていたのだろうか。ならあの人形は幽霊ではなく幻覚か。

 取り返しがつかなくなる前に病院に行って来いとしきりに諭してくる友人に笑ってごまかしつつ、本当に行ったた方がいいかもしれないと少し思った。

 喋ろうとして出て来るのは確かに感じていたはずの恐怖心ではなく、可愛さや美しさといった容姿に関するものばかりだった。あれほどにまで怯えていたはずのその感情をまるで否定することが出来ない。

 怖いという感情を上塗りするようにその人形は俺に執着にも似た感情を植え付ける。恐ろしいものだと思い込もうとしても中々思えなくなってきた。いっそ。

 愛しいとさえ。

「ごめん今日泊めて」

 そういった時にはもう自分自身が誰かに操られているようにさえ思えていた。帰りたい、もう一度見たいという感情が全面に押し出て来る前に思わずそう口走っていた。俺の様子がおかしかったからなのか明日が休みだからなのかは分からないが、友人は来いと言ってくれた。

 持つべきものは友人である。そんなことを思いながらほっとする。

 本当にいいのかと確認していると、なにか食べたいものはあるかと聞かれる。間髪入れずにハンバーグと答えたけれど、何でハンバーグなのか自分で良く分からなかった。確かに食べたくはあるけれど、そこまでではない。友人はもっと簡単なのにしろよと文句を言いつつだったが作ってくれるらしい。喜びながら、あの人形が思い浮かぶ。忘れかけると思い出した。

 一体俺にどうしろと言うんだ。

 自分で制御できない衝動が怖い。もしかして触れてはいけないものに触れてしまったのではないかと、そんな安い考えが頭の隅を横切った。

 俺が急に無言になったからだろうか、友人が心配そうにしていた。

 一日が酷く長く感じた。

 思い出しそうになる度友人をひっ捕まえてはどうでもいいことを話す。異様にひっついてくる俺に友人は気味が悪いと愚痴る。普段授業の空きコマはいつも寝ていたのだけれど、寝る気にもなれなくてぼんやり窓から空を見つめる。お前大丈夫かとしつこく聞いてくる友人に大丈夫だと笑い、トイレに行こうとして段差に躓いてこける。後ろからついてきていた友人はぽかんとして突っ立っていた。

 何かあったんだろ相談なら乗るぞ、と気味悪げに言って来る友人に大丈夫だと言って笑う。急いで立ち去る後ろで、友人が死ぬなよと言っているのが聞こえた。あれで死にはしないだろうと思うけれど。はっきり言って確信はない。

 歩いていると見覚えのある顔がすれ違う。そいつは俺の背後を気味が悪そうに見つめていたのだけど、背後を振り返っても何もなかった。何か付いてたのか。

 神崎さん、と話しかけても俺の背後をちらちらと見ながら去って行ってしまった。神崎さんには久しぶりに会ったはずだけれどなぜだかすごく既視感のようなものを感じて、その去っていく後姿を見ながら首を傾げた。

 授業が終わると友人の家に直行した。着替え取りに帰らなくていいのかと友人に聞かれたのだが、寝間着貸してくれればいいと言って帰らなかった。

 部屋でくつろぎながら、台所に立つ友人を眺める。

 友人の作る料理は美味しい。幾度か家にお邪魔したことがあるのだが、鍋だったりカレーだったり何かしら手の込んだものを作ってくれる。最初は申し訳なくて手伝うと言って台所に行っていたが、毎度毎度追い返されるので最近ではもう最初からおとなしく待っている。

 友人も俺と同様に一人暮らしで、俺とは違ってちゃんと料理もしていて偉いなといつも思っている。けれど一人だとしっかり作る気になれないとは言っていたから、こういうものは誰かが来た時限定なのか。ともかく専らインスタントなどのジャンクフードに偏りつつある俺とは違った。そもそも鍋がない。

 包丁を叩く音がして、いつも作ってくれていた母親の姿を思い出す。家を出てからは時折誰かの作ってくれたご飯が懐かしくなる。当時はあんなに嫌いだった家の味噌汁も懐かしい。もう食べることのないであろう甘い卵焼きのお弁当が食べたくなる。

 焼いている間、友人は暇なのか台所から俺をじっと見ていた。なんだか落ち着かなくて気持ち悪いと言うとお前ほどじゃないと言い返される。

 本当にリクエスト通り作ってくれたハンバーグは大きめで、とても美味しかった。もう毎回のことだけれど嫌がらせのように人参が添えられている。友人が居なくなった隙に友人の皿にそっと入れる。おいしく食べてもらえたほうが人参も幸せだ。

 何で人参が増えているんだとか俺が人参嫌いなこと知ってていつも入れてるだろとかじゃあ遅刻するなよとかそんな事をわいわいやりながら二人で夕食を食べる。食事は一緒に食べる人がいるだけであったかくて楽しい。手作りのご飯も美味しい。

 食べ終わってから、食器を洗っている友人をお母さんお母さんと呼んでからかっていたけれどまるで取り合ってくれないのでベッドに転がってぼんやりする。先に風呂にはいれと言われたので入る。出てから用意してくれていた寝間着を着る。友人が風呂に入っている間も、またぼんやりする。

 他愛無いやりとりはあのことを忘れるにはもってこいだったけれど、それでも一息つくたびに思い出してしまう。まるで呪いのようだと思った。今からもう明日家に帰るのが億劫で、そのくせ帰りたいとも確かに思っていてしまう。友人にも迷惑だろうし明日には帰るが知らぬ間に居なくなってくれていればいいなと思った。

 思えば何であそこまで触ろうとしなかったんだろう、怖かったから触れなかったというのはもちろんそうなのだけど、そこまで怯える必要もないんじゃないか。あんなにくっきりと存在を主張してくるのが幽霊だというのもおかしいんじゃないか。そもそもこの世に幽霊なんていないんじゃないか。何が怖いもんか。

 帰ったら今度こそちゃんと確認して人形なりはっきりさせて早いとこ捨てよう。むやみに怖がっていても何もできない。幽霊なんていない。絶対捨ててやる。そう決意していると友人が風呂から出たらしく部屋に入ってきた。

 寝るぞ、と投げてきた枕を受け取る。

 結論から言うと触ることはできなかったわけだ。

 体の芯から冷えるような、そこかしこに何かがいるのではないか見られているのではないかというような恐怖に怯えながら、俺は自室の床に座り込んでいた。怖くて怖くてそこから動けなくてどうしようもなくて、思わず震える手で友人に電話をする。何コール目かに友人が出たが、先程別れたばかりだったので何だかまだ楽しそうだった。罪のない友人にふざけるなよと心中で悪態をつきつつ、どうにか息を整える。友人がなにか言っているけれど聞き取れない。どうにか搾り出すように言ったのは何だったか。思い出せない。

 俺は何かしきりに喋っている友人をそのままに、見ないことにさえ耐え切れずに正面を向き押入れを見た。開け放たれた押入れの戸の奥の、薄暗い隅。その人形はどうじてもただの人形だとはとてもとても、思えなかった。

 人形の周りにある物は、暗いせいで何があるかがぼんやりとしか見えない。けれど人形の存在だけははっきりと分かる。発光しているわけでもないのに輪郭も色も質感も手に取るように分かる。動かないまま真っ直ぐに前を見る瞳は作り物だとはとても思えないほど美しい。唇だって手足だってその白い肌は柔らかそうで今にも動き出しそうなほどで。

 そう思えば思うほど、どうしようもなく触れたくなって引き込まれるようにまた押入れに近づいた。震える手を伸ばす。触ったら駄目だと頭では理解しているのに、伸ばした手はその柔らかそうな塊に触れようとする。触れたいと思う。

「…………っ」

 触れる瞬間、触れそうだと思った瞬間に、かつて感じたことのないほどの凄まじいほどの恐怖心が湧き出す。よろめいて、床にへたりこむ。泣きそうになりながら震える自分の身体を抱きしめる。触れたくて仕方ないのに触れられない。

 先程もそうだった。人形を見たら最後、取り憑かれたようにその肌に触れたくなる。けれど触れられない。触れることが許されない。

 不意に鳴ったチャイムに情けない声が出る。だがそれが玄関から聞こえたものだと気付き、よろけながら立ち上がる。ドアの前でゆっくりと息を吐いて、少しだけ落ち着く。

 来ていたのは友人だった。そういえば電話をしたんだったと思い出す。俺はもしかして泣いていたのかもしれない。ドアを開け向き合うと、友人は俺の顔を見て驚いたように腕を掴んで何があったと問い詰めてきた。

 ちゃんと喋れていたか分からない。けど前に少し話していたからか友人は状況が分かったようで、俺をドアの前に座らせ、押入れの部屋におそるおそる入っていった。

 何なんだろう。あの人形は一体何だったんだろう。そんな答えの出ない問題をずっと、絡まったように動かない頭で考えていた。

 何を言っているのか分からなかった。

「何もない」

 困惑したような顔をして押入れの前から戻ってきた友人は俺にそう告げた。そんな馬鹿なと俺が見ていたものは何だったのかと思わず食ってかかりそうになる。呆然と立ち尽くす俺を安心させるようとしたのか、友人はそんなものいないと言い放った。

 何だと言うんだ、あれがただの幻覚だとでも言うのか。

 友人は見かねて今日も泊まっていけと言ったけれど、申し訳無さで断った。不安そうな友人にお礼を言いつつ見なければ大丈夫だと言って無理に笑う。引き下がる友人をどうにか帰す。

 もう外は暗くなり始めていた。

 必死に床だけを見るようにして部屋に戻る。押し入れを閉めようとすると手探りで戸を探すと閉まっていて、上を通って踏んでいたはずなのに気付かなかったらしいが布団も出ている。友人がやってくれたのだろうか、おかげでまた見らずに済んでほっとする。

 何も考えないように布団に横になり押入れに背を向けて毛布の中に丸まった。背中の押入れの存在がひどく恐ろしい。

 友人には見えていなかったという事実が重かった。初めて友人が信用できなかった。

 俺には確かに見えていた。俺にしか見えなかったのか。本当に幽霊だったとでもいうのか。幽霊なんているわけがない。そもそもなんで俺の家にあんなものがあったのか。

 考えて分かるはずもなく、しばらくは絶対に押入れを開けないようにしようとだけ決めて必死に祈るように逃げるように目を閉じた。

 眠れずに夜を過ごして、明け方にやっと眠れたようだった。

 ドアを力任せに叩く音に目が覚めて、時計を見るともう昼過ぎだった。今日が何曜日だったか思い出せなくてケータイを探したけれど中々見つからなくて、後で探そうと諦めてから玄関に向かった。誰だろう、友人ならドアを叩いたりしないだろう。

 開けると友人と神崎さんが立っていた。友人も神崎さんも心配そうにあわあわしている。

 いや、神崎さんは少し楽しそうだった。どうしたんだ、と言おうとして大丈夫かという二人の声にかき消される。何なのか分からず突っ立っていたのだが、神崎さんの「部屋入って大丈夫?」との要求にちょっと待ってとドアを閉めた。

 友人だけならいまさらどうとも思わないけれど神崎さんにこの惨状を見せるのはちょっと、と思って片付けようとした。片付けようとして手が止まる。

 押入れというものは大変に便利である。なんたってとっちらかった荷物を放り込んでおけばそれなりになるから。

 あー……、と呟いてもう諦めようと玄関に向かう。開けてたまるか。押入れのことを思うと昨夜のとんでもない出来事を思い出してまだ布団に潜り込んでいたいと嘆く。

 ところで神崎さんだ。友人が突然くる分は別に驚いたりしないが、神崎さんとは顔を合わせれば少し話す程度で親しいわけでも何でもない。何だろう。そういえば昨日変な顔をされたような気がするけれど。

 ドアを開けて散らかってるけどと言おうとしたが言う前にお邪魔しますと神崎さんが入ってきて、あっけにとられていると「携帯は」と友人に聞かれる。

 さっき探したけど見つからなくて、後充電が切れているかもしれないと伝えると殴られたし何すんだと言う前に部屋から神崎さんの入っていった部屋からドタバタ騒音がするしうるさいしやっぱりもう一度寝たいと思った。

 神崎さんは変な子である。まず顔じゃなく背後を見てくる。見られた人は大体気味悪げに後ろを振り向くが大抵の場合何もない。そして何も言わずに去っていく。見える人なのだろうと専らの噂だが、よっぽど親しい人以外にその話をする事自体が無いらしく、また本人が人見知りなのかそもそも一人が好きなのか、たまに数人の友人と話しているものの一人で居ることがどちらかといえば多い。

 妙に敬遠されているところがあるけれど、彼女のことを知っている人自体はかなり多い気がする。本人は全く気にしておらず悠々と学校生活を満喫しているようだが。

 話せばまあ普通に話せるのだけれど、ちょっとずれているなとは思う。強いのか他人に意を介さないのか。

 そんな彼女は何かに怒鳴っていて、口悪いなと若干引きつつ友人と二人で様子をうかがいに行く。大丈夫か、と部屋を覗いて俺は驚いたというかびっくりしたというか、ただその光景を呆然と見る。友人はやはり何が起こっているのか分からないらしく、一人で何もない空間に話しかけているように見えているのであろう、神崎さんを見て首を傾げている。

 神崎さんは何者なんだろう。それとあの人形、動くとやっぱ可愛い。

 人形が押入れの前に立っていて、そこからどかそうとしている神崎さんと言い争っていた。あれほどにまで動かなかった人形が本当に生身の人間のようにその小さな体を動かして動き神崎さんを罵倒している。何でこんなことをしているんだと怒っている神崎さんに個人の自由だと反発しているといった感じの不毛な争いのようだ。よく見ると神崎さんはやはり楽しそうだった。

 入る隙がなくて、まあ友人は何がなんだか分かっていないからだろうけれど、俺は何も言わずにただ見ていた。なんかすごいなあ、というのが正直な感想だった。

 そこで思い当たったのが、神崎さんに見えているのだということはあの人形は幽霊ということなのだろうかということで。納得がいくような不満なようなそんな気持ちでいると、友人に寝間着の袖を引かれて横を見る。

 何が起こっているんだとでも言いたげな表情はまあこの状況で見えていないのなら当たり前だろうが、説明するのは少し面倒くさいなと思った。見たままに、この前お前に話した人形と神崎さんが言い争っていると伝えるが、はあ、とよくわからないといった困惑した表情で返された。しばらくして、ほんとに居たんだ、と友人がつぶやく。

 信じてなかったんだなあと少しだけ悲しくなった。

 俺もこんなことは初めてなのでなんと言えばいいのか考えあぐねていたが、無理やり言い合いを終わらせた神崎さんが「柏くんの周りにいる妖精みたいなものだよ」と言いながらこちらを向いた。友人はちょっと納得したような顔をするが、妖精とは一体。

「柏」と久しぶりに名前を呼んだ気がするなあと思いながら友人の方を見ると、あははと笑ってごまかされる。ごまかすなよともう一度呼ぶと、何だとでも言いたげな顔をされた。察するつもりがないらしい。

「妖精ってなんだよ……」

「妖精は妖精だよ……」

 聞いても目を逸らしながらそんなことを言う。俺あんだけ語っちゃったのにお前は何も言わないつもりなのかと詰めると、今度言うと言ってくる。今度っていつになるんだ。

 こちらもこちらで不毛そうだったので諦めて神崎さんを見る。

 神崎さんの腕にはどこからか出してきたらしいロープがあって、人形はいつの間にか縛られて捕まえられていた。

 俺はまず、神崎さんが人形に触れることができているのに気付いて唖然とした。

 何だか今まで一体何をやっていたんだろうとまた悲しくなってくる。人形をじっと見てみるが今まで感じていた恐怖も執着もどこかへ行ってしまったようで、単純にやっぱかわいいなとしか思えない。

「かわいいな……」

 と思わず口に出すと、友人が子どもをそんな目で見ていたのかと軽蔑するように見てきた。あれを子どもに数えていいのかと問うと、話を聞く限りどう考えても子どもだ、と言う。見えないからなんとも言えないけど、と。

 不意に神崎さんに名前を呼ばれて振り向くと、人形がこちらを涙目で睨んでいる。なんというかそそられるというか、悪くないな。友人は見えない以上は絡めないことが分かったのか、部屋の端の方に座って無言で見ている。

 そのままどうしたらいいのか分からず人形を見ていると、神崎さんがおいでおいでと手招きするので腰が引けつつも近づく。今の人形にこそ何も感じないけれど、ここ数日の事が嫌でも思い出されて怖い。人形は俺をじっと見る。

 神崎さんを助けを乞うように見ると、そこに座っててと床を指さされたので座る。

 人形がもじもじと居心地が悪そうに神崎さんを見ると睨まれいそいで俺に向き直った。

「ごめんなさぁい……」

 と目を合わせずに呟く人形に不覚にもときめく。舌っ足らずのやわらかな声にやはり子どもなのかと感じる。いいな、と思って小児性愛の気でもあったのかと自分の人格を思わず疑ってかかる。

 けどそんな許せるわけじゃない。だけど何でこうなったのかは分からないので、

「どういうことなんですか」

 と神崎さんに聞く。神崎さんは何で敬語なのかと苦笑いしながら教えてくれた。

 時としてある程度の人は何かしらに憑かれている。憑かれた対象に見えている場合と見えていない場合があるけれど、神崎さんには誰の憑き物であれ全部見える。

 その憑き物は霊体というわけでもないらしい。いかにも妖怪らしい外見だったりよく想像される幽霊そのものだったり、付喪神に似たようなものだったり、形を成していないものだったり。触れられたり触れられなかったり。

 千差万別です。と神崎さんは言う。

 憑かれるのにはもちろん理由がある。同類だと思われて憑かれる、あるいは気に入ったため憑かれる。もしくは恨みのような感情から。それぞれ違った理由があるらしい。俺の場合は気に入られたから、だそう。

 俺が昨夜死にそうな目に遭っていたのは、自分から触れようとすることで過大なエネルギーを渡してしまっていたため。きっと遊んでたんじゃないのと言われた。あれが遊びの範疇ならなんだってしてもいいだろうに。神崎さんとは多分持っている常識が違う。

 今人形を縛っているロープは必要以上のエネルギーの行き来を阻害するものらしい。いつも持っているのかと聞くと用意してきたからだと言われた。

 まあロープ持ってる系女子なんてそうそういないだろうな。あとそんなに巻きつけなくてもいいんじゃないかな。ぐるぐる巻きの人形を見て思う。

 ところでなんで神崎さんには触ることが出来たのかというと、俺以外には見させようと触れさせようとしていなかったから。人形もどうせ他人には見えないのだから触られることもないだろうと思ったからなのか。よくわからない。

 神崎さんに羽交い締めされている人形をちらっと見ると、不貞腐れていて床を足で叩いている。あんなに脅かしておいて可愛いやつだなと笑うと鬼のような形相で睨まれて体がすくむ。何なんだこの変わり様は。

「斉藤」

 何とも抑揚のない声で神崎さんが言う。いつのまにやら呼び捨てにされているんだけれどもこれは俺も呼び捨てでいいという事か。黙れという意味っぽいのでとりあえず黙る。

 だいたい説明し終わったようで、何か聞きたいことはあるかと聞かれたので、そいつは祓わなくてもいいのかと聞いた。祓う、という単語に人形がびくりと震える。神崎さんは人形を押さえつけ直しながら、だって可哀想じゃん、と言う。

 微妙に予想外だった答えに首を傾げる。俺以上の被害にあった人もいるんじゃないのか、それはいいのだろうかと。人形は必死で逃げようともがいている。

 祓うということはつまり自我と存在の消滅を指すのだという。こいつらは生き物のエネルギーを奪うことで自我を保つ。ただしエネルギーにも好き嫌いや合う合わないが存在する。自分に合ったものが一番効率も相性もいい。だからいいものを見つけるとどうにかして憑き続けようとする。大多数は気付かれないようにしようとする。

 だから一定の距離を開けた背後についてることが多いんだよと言う。

 

 分かったような分からないような感じだったけれど、つまりこいつは俺に憑き続けるという事なのか。神崎さんはそうだよーと言いつつロープで綺麗に縛られた人形を投げて寄越す。慌てて避けようとしたけれど避けきれずにぶつかり、思わず「うわっ」と声を上げる。

 何も感じなかった。恐怖も不安も。

 大丈夫だよと嫌らしく笑う神崎さんを睨んでから、人形を抱きかかえてみる。動けないようで抵抗してこないがやっぱり睨まれたままだ。それにしても。まるで本当に生身の人間のような重量感と体温だった。人形と呼ぶのが申し訳なくなってしまう程。

 神崎さんにこいつに名前はあるのかと聞くとないよと答えられる。

 じゃあまあ、人形のままでいいか。人形の柔らかな頬を触ると、人形はいっそう恐ろしい顔をしてきた。

 一週間経って触っても噛み付かなくなった。

 二週間経ってロープを外してやった。

 四週間経って向こうから引っ付いてくるようになった。

 五週目にはもうそいつが居るのが当たり前になっていて、そいつは当たり前のように俺が帰るのを待っていた。

 けれど俺には少しだけ引っかかっていることがあった。なんで俺に取り憑いたのかと聞いても、向こうは覚えていないらしいのだ。神崎さんが部屋に来て以降の事しか知らないという。

 なら何で俺のことがわかったのかと聞くと何となくだと答える。

 よく見なくてもあの時の人形とは違う。強いて言えばあの人形から美しさが抜けて、その分可愛らしさと暖かな温度が追加されたような感じだった。でもそれでも俺は人形を愛しいと思ったし、そもそも違いなんて関係なかったのかもしれないとも思った。

 神崎さんが何者なのかは分からないけれど分かったら駄目なような気がした。ここ一ヶ月で知らないほうがいい事と知っておくべき事の見分けが少しだけ出来るようになったような、背中を叩きつけている人形を見てついこの前を思い返す。

「いつからそんな子どもらしくなったんだ?」

 そうして少し笑いかけてから人形の頭を撫でた。

 俺の手を押しのける人形の手首には、ロープで巻かれたような痣がくっきりと残っていた。



2-1. それぞれの話 / 神崎 透


 ゆるせはしないのだとおもう。

 怒りも悲しみも憎しみも多分もう言い訳でしかない無理矢理に思い込んで作っただけの理由だった。自分を正当化するためだけに存在する浅はかな感情だった。それでも、殺すのが楽しいかと言われれば違うと答えるだろうしなぜ殺すのかと聞かれれば憎いからだと答えるのだろう。こんなことをしている自分が嫌いでこんな自分が大好きだった。

 人間が嫌いで人間になったわたしはもう人間そのものだったんだと思う。好きだなんて感情はまだ無かったけれど嫌いだという感情は日に日に薄れていく。依代の彼女は嫌いを忘れるのと一緒に消えた。その時わたしは本当に人間になってしまった。

 人を殺す人の業を嘲笑いながらわたしもまたその内の一人だった。

 許せないのはわたし自身だったし、わたしを人間にしたあいつだった。

 人を殺してみたくはないか、そう言って笑いかける同類を見たのがわたしの初めての記憶だった。

 わたしには人というものが何を指しているのか分かっていたし、確かに人を殺したいとも思った。それが何でなのかは分からなかったけれど、まだ疑問なんか感じてはいなかった。

 頷いたわたしに同類は教えた。わたしは嬉しかった。わたしは人間を殺した。

 同類は次に人間になりたくはないかと、そう言った。

 わたしは人間になりたいと思った。同類はわたしを小さな人間の器に入れた。わたしは嬉しかった。器の記憶を覗きながら人間と一緒に暮らして人間と一緒の事をして同じように動く。いつの間にかわたしは人間に捨てられていた。わたしはわたしを捨てた人間を殺した。

 同類はわたしを見て笑った。

 わたしは同類を見て笑った。

 わたしは人を殺す度に人間になっていった。わたしはもうただの人間だった。わたしはずっとただの普通の人間だった。人間はわたしを受け入れた。

 人間と仲良くするようになって、わたしは初めてわたしを考えた。わたしの事を考えるのは楽しくなかった。でもどうしても考えてしまった。

 わたしはわたしが何なのかが分からなくなった。わたしはわたしじゃなかった。わたしは人間ではなかったような気がした。同類の笑みを思い出した。

 わたしは仲の良い人間を殺して、わたしは人間が嫌いだった事を思い出した。

 わたしは最初から人間なんて嫌いだったと思った。

 柏くんと斉藤くんの家から帰る途中、わたしはやっぱり少しだけ楽しかった。隣を歩く柏くんの周りにはいつものようにふわふわと天使のようなものが漂っていた。柏くんは部屋に一人で居るときにしか見えないと言っていたけれど、実際はこうしていつもくっついている。

 害のない生き物は往々にして見逃しやすい。柏くんに憑いている妖精もその一つだし、斉藤くんに憑いた人形も元々はそうだったはずだ。

「嘘ばっか言っちゃったなー」

 そう言って笑うと柏くんが呆れたように振り向いた。そうして、何で嘘ばっかり付くんだと漏らした。今はあいつ相当参ってたのに、と。

 わたしは虚言癖があるわけではないし真実が酷だったわけでもない。ただただ幸せになることが許せないだけだった。

 斉藤くんはたぶんあのままだと一ヶ月と経たず死んでいただろう。そしてその死は斉藤くんにとってとても幸せな事であった筈だ。わたしはそれをたち切ってしまおうと思ったから。だから人形に別の人格を与えて、そして彼女に殺させようとした。

 斉藤くんにとってはあの人形は散々悩まされていた彼女でなければ意味は無いはずだ。きっと、必ず彼女が彼女でないことに気付く。その時彼は何を思うのか。彼は彼女ではない彼女に殺されることにどう足掻くのか。

 なんて、思ってみたりする。

 柏くんが居なければそう思っていたかもしれない。

 今のは半分本気だったけれど半分そうは行かないだろうと思っている事でもあった。多分彼は人形が彼女でないとしてもその誰とも知れない彼女を好くだろう。違和感に不安を覚えつつも彼女を認めるのだろう。結局不幸になんてならないだろう。

 最近どうにも誰かに関わっていないと自分を保てない気がしていた。

 柏くんは彼が死ぬと悲しいかなと考える。彼を殺してしまったらわたしを嫌いになるのかなと考える。言ってみる。柏くんはわたしを可愛そうだと言って、嫌いにはなれないと言った。

 まるでわたしがそうとしか出来ないのをわかって、受け入れてくれるような気がした。

「あいつが死んだら俺も殺されるんだろう?」

 そう言って柏くんは気の抜けた様な声で笑った。

 わたしはこの人を殺したかった。だから全て話して全て伝えてしまった。

 たまにこういう人間は居た。わたしが思わず全てを話してしまうような人間が。そんな人間はわたしが話すと揃ってわたしを可愛そうだと言って、そんなことはもうやめろと言う。

 前に柏くんから相談された時に気付いて、ああ、この人間もその内の一人だと、そう思って話さないことができなかった。柏くんは信じられないような顔をした。でも、そういった人間に限ってはわたしを恐怖しなかった。それが少しだけ嬉しいから話してしまう。

 そんなことはやめろと言う彼は、半分冗談で半分嘘を付いているようだった。本当に何を思っているのかは分からなかったけれど、その言葉がただの定型句な事を示していることが何となく分かる。彼はわたしがやめないのを知っている。それでいてこんな言葉を吐いては善人ぶっている。

 彼はわたしを好きなわけではなくて、わたしを有益な人だと思っているだけだ。自分を殺してくれるかもしれない人だと思って嫌悪しないだけだ。死にたがっているわけではなくて生に執着を見いだせない哀れな人。

 わたしは彼の方を向かずに「やめないよ」と言った。

 やめたらわたしがわたしでなくなってしまうような気がして。

 神崎って俺のこと好きなの?と聞いてくる彼に無言で返す。わたしにはよく分かっていなかった。今までの人間と同じようなこの人間をどう思っているかなんてわからない。しばらくして、「知らない」と、そう言うと彼はそっか、と言って黙った。私達は別れてそれぞれの家に向かった。

 わたしのやっている事はなんて不毛なんだろうと思って、もしわたしがいい人だったなら皆を幸せにすることだって出来たかもしれないなと、思い出したように呟いた。

 

 縛り付けて自我を与えた人形はわたしの思い通りに動く。わたしの指示に人形はそれが何かも分からずにただ従う。いつかの同類がわたしに教えたのはそのやり方だった。

 憑き物を使えば誰にも何にも悟られず人を殺すことができる。なんて便利なんだろうといつもの様に思う。憑き物に取って付けたような仮の人格はあいまいで、意思らしい意思なんて存在していない。

 存在していないはずだ。

 一向に荷物の増えない部屋の隅で笑う。わたしもその一つだったのに気付いてしまって。

 学校に行っていたのは何となく人間っぽいからだった。勉強も嫌いじゃない。友達もできたけれどあまり話すのは得意ではなかった。嫌いでもないけれど。

「神崎さん」

 柏知らない?と斉藤くんに声をかけられる。向こうに歩いて行ったよと伝えると斉藤くんはありがとうと言ってその方に走って行った。

 一緒に歩きながら話していた宮に珍しいねと言われる。宮は入学当時からの友達で、ここで言えば一番親しいのではないだろうかと思う。付かず離れずの合えばたまに話す程度の仲だけれど、この距離感はわたしにはとても心地良かった。宮は優しげな風貌に穏やかな言葉が可愛らしい、小さな女の子だ。

 最近あんまり他の人とも宮とも話さない。ちらりと宮の様子を窺っても特には気にしていないようだったけど。

 他愛無い課題や授業の話に混じって、そういえば知ってる?と興味深げに宮は言ってきた。

 最近自殺なのか他殺なのかは分かっていないらしいけど、この近辺ってそういう人が死んだとかいうような事件が多いんだって。この学校でも既に数名いたらしいよ。と。

 怖いねえ死なないでねなどと言い合いながらわたし達は教室に向かった。



2-2. それぞれの話 / 柏 七季


 日が落ちるのが早くなり、帰りの道が既に夜な事が多くなった。

 俺は学校という場所は嫌いではなかった。だれでも踏み入ることのできる雑然として整えられた空間が、義務教育や高校やそんな時代の学校とは違っており、そういう閉じた空間の中で開けたスペースが好きだった。

 誰もいない外階段の踊り場で冷たい風に呆けていると下の階の扉が開く音がした。その方向から何してんだよと駆け寄ってくる友人の声がして、よくここが分かったなと振り向きながら言う。

 神崎さんに教えてもらったと言って俺の隣で手すりに身を乗り出す友人を見て、思わず死ぬなよと声をかける。彼は笑ってそう簡単に死ぬかよと俺を叩く。

 

 俺はいい子だったのだろうなと前の事を思い出す度に苦虫を噛み締める様な気持ちになる。

 死にたいと思い続けていたらいつの間にか、気付いたら死という事象に抵抗が薄くなってしまっていた。自分から死のうとは思わなかったけれど死なされる事が悪いとは思えないようになっていた。

 高い所に登る度に車が横を通る度に踏切を渡る度に自分が死ぬさまを思って怯えながらも憧れていた。ぐちゃぐちゃになる姿になって取り返しのつかなくなる姿になるのをいつも想像しては、飛び降りたくなったり駆け出したくなったりして。そんなどうしようもない葛藤をするようになったのがいつからかはもう思い出せない。

 それと同時期だったのかなと思う。

 一生懸命になるのを馬鹿らしいと思うようになった。人のためになることをしたいと夢を語る人を冷たい目でしか見れないようになった。夢を持てと語る大人を笑うようになった。そんなつまらない、まるで子どもみたいだとでも言われそうな価値観にずれたのは。

 ただ純粋にそれらのおおよそ正しいと美しいとされている物事を本気で素敵だと思っていた頃は確かにあった。それによって人より自分が大人なのだと思っていた時期もあった。

 そんなものをまるで他人のようだと思い出して今の自分は笑えなかった。

 捻くれた目で見ているのだろうかと思った。俺はそんなに冷めたような何も語れないような寂しい人になりたかったわけではなかった。それくらいなら嫌われることを恐れている、皆に優しいと言われ何を言われても笑うことしか出来ないような臆病な子どものままでよかった。

 生きるのに意味が無いのも死のうが生きようが人間が滅びようが世界が終わろうが意味が無いのもどうだっていいと笑いながらも、生きていくのが辛かった。生きる意味を存在の意味を何か少しでも持っていたかった。

 それでも今の俺には何にも意味が無いのだと諦めてどこか無気力に生きることしか出来なかった。

 最近結構懐いてくれているのだと嬉しそうに話す友人はとても楽しそうだった。まるでペット自慢のようだと笑ったら友人は微妙な顔をして口ごもった。不満そうにそれでも話す友人を見て、ああこいつは本当にあの人形を大事にしてしまったんだと思った。

 そのまましばらく、俺達はぼんやりと寒さに当たっていた。ほんの数日前まで汗ばむような暑さだったような気さえするのにもう寒いとさえ思う。隣にいる友人は何を考えているのだろうかと、少し思って俺は友人を見なかった。

 授業の始まりを告げるチャイムに気付いた友人が行かなくてもいいのかと言うようにこちらを伺う。今日くらいはまあいいだろう。お前と違って俺は毎回ちゃんと出てるし。俺もう帰ろうかな。そう言うと友人はじゃあ俺も帰ろうなどと言って伸びをした。

 本当ちゃんと出席しないと単位落とされるぞ、と警告しながら俺は先に階段を降り始めた。

 結局友人の家におじゃますることになったのは友人が「この前泊めてもらったし」と薦めてきたからだったけれど、俺としては人形が今どうなっているのかという事の方が興味があったのは言わなかった。友人にそれとなく聞いても、押入れから出てくれることがほとんどないとかかんとかそう言うだけだった。何となく、神崎が何かをしたというのには気付いているんじゃないかと思った。

 「ほら」

 そう言って抱えたような腕の形で何もない空間を差し出してくる友人に戸惑う。確かに何かがあるのだろうけれど何も見えない。触れるかもしれないと思って手を出してみたけれど空を切るばかりで質量を感じない。

 友人は不思議そうな顔でその触れているはずの俺の手が横切った空間を見ていた。

 何だか何も言うことが出来なくて、そういえば、と気になっていたことを切り出す。信じてなくてごめんな、と言うと友人は驚いたように気にしなくていいのに、と言った。そんな言葉に甘えてほんと気にしなくて良かったなと言うと今度は気にしろよと言われる。

 二人で笑っていたけれど、人形も笑っていたのかもしれない。友人は時折人形を見ながらゆるい笑顔を浮かべていた。

 カップ麺を侘しいと文句を言いながら食べたけれど、実際それほど嫌だったわけでもない。たまに食べるからいいのだろう。ちゃんと料理しろよというといつかなと気のない返事が返ってくる。いつか。ふいに多分それが果たされないのだろうという事に思い当たって、少しだけ食べる手を止めた。

 妖精、と勝手に呼んでいた。彼女らは俺の言葉に返事はしない。手のひらほどの大きさで、天使のような輪っかを頭に浮かべフリフリのワンピースを身にまとい、ただ満面の笑みを浮かべている。背中には小さな翼がついていて、俺の周囲をふよふよと気ままに漂う。

 昔からの見慣れた光景だった。外にいる時もその気配をぼんやり感じることがたまにある。触ることはできないで、俺の身体をすり抜けていく。

 俺に何かしら話しかけているのは独り言のような短いいろいろな一言。おはようおかえりおやすみ、そんな挨拶らしい挨拶もしてくる。

 物心ついた時にはもうこいつらが側にいるのが普通だった。誰にでも見えているものだと思っていたしおかしいとも思っていなかった。今思えば肯定してくれていると思っていた両親は信じていなかったのだろうと思う。幼稚園だったか小学校だったか、何人かの友人にふとその事を話すと、そんなものいない、と奇妙なものを見るような顔をされた。それからはあまり他人に言ったことはない。俺以外の誰にもこんな話聞いたことがないので、皆には本当に見えていないのだろうか。分からない。

 いつも囲まれていてうるさいと思わないわけではないが、こちらの機嫌が悪いと分かると喋らなくなったり控えめに飛び回ったりと案外気を使ってくれたりする。だから迷惑だと思ったことはあまりない。

 妖精と呼ぶそれが本当は何なのかは知らないが、そういうものもいるのだと思っている。

 そのおそらく神崎にしか話していなかった妖精について友人に話した。なぜだかわからないけれどそろそろかも知れないと、早い方がいいと思ったからだった。

 友人はこの前人形について話されていた俺のような微妙な表情で聞いていた。いつもなら信じないだろうけれど今は信じに訳にはいかないだろう。

 なんかすげえな、とぼやいてから、思い出したように話してくれてありがとうと言われる。どういたしましてと笑ってから人形の居るのであろう場所の空気を掴もうとしてみる。友人に笑われる。

 

 友人の狭い部屋で一緒の布団に背中合わせで寝る。やはり少しだけ寂しいなと思ってしまって眠れなかった。背中に感じる暖かさがもう無くなるのかと考えてしまって、振り返り、そっと気付かれないように縋り付く。友人は寝ているのか小さな寝息が聞こえてきた。

 どうせ自分も死ぬのだけれど、居なくなったとわかった瞬間はやはり嫌だと思った。戻らないものがあるのは嫌だと思った。死は恐ろしく取り返しの付かない事で、それゆえ決して覆らることのない死者の言動は重すぎる程に重い。

 死にたいくせにこういう所が徹底していないから駄目だなあと思って、じわりと沁みる暖かさに涙ぐみそうになる。

 眠りに落ちる間際、神崎の寂しそうな笑顔がちらついた。



2-3. それぞれの話 / 斉藤くんと人形さん


 朝起きたて隣を見たら俯せて丸まった友人がいた。なんだか怖かった。

 なんだか把握できずにこんな寝方する奴だったっけな、なんて思っていたけれど布団をどけると案外寒いのに気付いた。寒かったのだろうかと改めて掛かっている布団を見ると大部分が俺の上にあったのでものすごく申し訳なくなる。友人が起きないように小さい声で謝りながら布団をかけてやった。

 結局しばらくして友人も起きだして、しかもくしゃみを何度か聞いた。呻きながら寒かったとこぼす。風邪引いてるかもしれない。ごめんごめんと謝りながら、もう一枚掛け布団を用意するべきかもしれないと思った。

 授業は午後かららしいので寝てろと布団に押し付けてから、家を出る。

 朝飯はもういいとして昼飯がないのでコンビニに行く。弁当を買って帰る途中でふと今日はまだ一度も人形が話しかけてこなかった事に気付いた。毎朝起きたと分かった途端うるさいくらいに話しかけてくるのに。少しだけ疑問に思いつつも、帰ってからも布団は友人が占領しているしすることもないし、ぼんやりと部屋の隅で何も考えず座り込んでいた。

 昼近くに友人が再び起きてきたので一緒に弁当を食べる。特に身体は怠くないみたいでほっとした。食べていると、何となく選んでいた俺のハンバーグ弁当を見て人形が這い出してきて膝に乗ってくる。お前食べないだろ、と言ったが見ているだけで何もしようとはしなかった。やはり喋らないままだった。

 その後友人が学校に行って、俺は壁にもたれかかりながら布団の上でうつらうつら眠りかけていた。人形はさっきからずっと俺のことをじっと見つめている。俺はどうしたんだろうと思って少し笑いながら人形を見る。抱え上げて膝の上に載せて、目を閉じる。

 人形が俺を見ているのが、見えていないのに分かる。最初の無表情な目でもなく、また無邪気な昨日までの目でもなく、感情なんて無かったとでも言うようなからっぽの何かに操られているかのような目が。

 俺はどうしても眠くて眠くて目を開けることが出来なかった。

 人形がそっと手を伸ばしてきて、昨夜眠りかけていた時のあの事が指す意味を、俺は何となく分かったような気がした。

 悲しいというより寂しかったんだろうなと思って、それが少しだけ嬉しいと思った。

 わたしがおきたときわたしはわたしじゃあありませんでした。

 わたしがさからってはいけないひとがめのまえにいました。

 わたしがしっているべきひとがわたしをみていました。

 わたしのしらないひとはわたしをみませんでした。

 わたしはしっているべきひとをやぬしとよびました。

 わたしはやぬしがすきです。

 やぬしはわたしをにんぎょうとよびました。

 やぬしのひざのうえはとてもあたたかかったです。

 わたしはやぬしのひざのうえがだいすきでした。

 やぬしははんばーぐをたべていてとてもおいしそうだとおもいました。

 わたしはやぬしをころしました。

 わたしもしぬのだなとおもいましたがやぬしといっしょなのでこわくはありませんでした。

 私は家主を魅了して殺そうとしていました。しかしなんだかかわいそうな気が起きてしまい逆に恐怖という感情を与えてしまいました。申し訳なくて布団を出してあげたり自ら押し入れを閉めてみたりちょっと気を使ってみたりしました。

 殺すのは私が生き延びるためでもあったのですが、私にこの人を殺すことは出来ないと思いました。私には人を殺すことが出来ませんでした。そのせいでこの様に体も弱り動けなくなってしまっているというのに、私にはやはり出来ませんでした。

 そんな時に何か私と同じような物を感じる女が私の目の前に現れました。女はまず私を縛り身動きが取れない様にしました。私は弱っていたので簡単だったでしょう。その後女は私の記憶と自我を引きずり出し新たな幼い人格を作り上げました。

 適当に作られたのであろう彼女は何も分かっていない様でした。しかし少しだけ私の記憶を持っていったため何となく分かっている様な分かっていない様な、そう錯覚しているのではないかとは感じました。

 私は彼女より先に消えるでしょう。ですが次に彼女も家主も消えるのでしょう。きっとあのもう一人の男も。

 あの女が何なのかは分かりませんでしたが恐らく私と同じ存在でありまた人間でもあるのだと感じました。もしかしたら女もまた死にたかったりするのかもしれません。



2-4. それぞれの話 / 柏くんと神崎さん

 学校に行って授業を受けている時だった。ふと友人はもう居ないのだと確信した。その一瞬後に斜め前に座った神崎がちらりと俺を振り返って、ああ、そうなんだよなと一人納得した。

 神崎は学校が終わるまでは話しかけてこなかったが、放課後一緒に帰ろうと誘ってきた。俺は二つ返事で承諾して彼女と一緒に帰った。

 神崎は淡々と俺に質問のような言葉を投げかけて、俺は神崎の目を見ないまま答えにならない答えをただ喋った。楽しかったこと、悲しかったこと、好きだった人、家族のこと、勉強のこと、将来の夢、好きな食べ物。そんな脈絡のないともすればどうでもいいような質問に答える。この質問が終わったらそれが多分終わりなのだろうと、そんなことを思いながら。

「わたしは何で生きてるんだろう」

 死なないから生きてるんじゃないの。

「わたしは何ですぐ殺しちゃうんだろう」

 殺したいからじゃないの。

「柏くんは今好きな人はいる?」

 神崎も斉藤も好きだよ。

「好きって何だろう」

 何だろうね。

「嫌いってなんだろう」

 嫌いなものは嫌いだよ。

「なんでこんなに真っ暗なんだろう」

 もう秋だからね。

「さみしい?」

 寂しくなくはないよ。

「かなしい?」

 分からない。

「死にたい?」

 そのために呼んだんでしょ?

「殺してもいいの?」

 神崎がそうしたいのならそうすればいいと思うよ。

「そうだね」

 そうだよ。

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朱沼

小説と漫画

いろんな物語です。
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