「民主主義体制の中の非民主主義的な主体」である「職業公務員」の行動原理

日本の地方自治体の職員は、いわゆる「職業公務員」です。民主主義社会における主権者は住民であり、その住民によって選ばれた首長が行政を担い、議員は行政の執行を監視する役割を担うわけですが、自治体職員はあくまで採用試験で選ばれた「職業公務員」であり、主権者ではありません。しかし、自治体職員がいなければ行政は回っていきません。

東京大学の金井利之教授は、この自治体職員のことを「民主主義体制の中の非民主主義的な主体」と呼んでいます。今回は、金井先生の著書※を参考に、この自治体職員の行動原理について整理してみたいと思います。

1 自治体職員の特殊性

自治体では様々な主体が活動していますが、その中でも主な主体といえば、住民、首長、議員、自治体職員といってよいでしょう。このうち、住民は主権者であり、首長と議員はその住民の選挙で選ばれる代表です。しかし、自治体職員は選挙で選ばれておらず、採用試験により選抜されています。その点から、金井教授は、自治体職員を「民主主義体制のなかでの非民主主義的な主体」という特殊な存在であると指摘しています。

民主主義が基本であるなら、選挙で選ばれていない自治体職員はいない方がよいということになります。しかし、現実的に仕事をするには実働部隊としての自治体職員が必要です。実際のところ、政策の立案・実施・評価を主に行っているのは自治体職員であり、それを住民や首長、議員だけで行うことは不可能といってよいでしょう。

しかし、自治体職員が「非民主主義的」な存在であるがゆえに、自治体ではいわゆる官僚制のような病理も出てきます。あるべき論からいえば、主権者である住民がいかに権力者である首長、実働部隊である自治体職員をコントロールするかが重要であるといえます。

2 各主体の行動原理について政策評価を事例に分析してみると

では、自治体職員を含む各主体は、どのような行動原理を持って活動しているのでしょうか。ここでは、金井教授の考察から、政策評価制度を事例とした首長、議員、住民、自治体職員のそれぞれの行動原理をみてみたいと思います。

(1)政策評価がなぜ導入されたのか?

政策評価は、1990年代半ばに一部の先進自治体で導入され、現在ではほぼ全ての自治体で導入されています。それまでも、自治体では政策や予算等の「評価」が行われてきました。職員も、予算編成や行政改革の中で政策や事業が「よい」「悪い」といった判断をしてきました。住民も選挙や世論で評価してきました。

しかし、行政の不祥事等による行政不信により、住民が「悪い」と判断すべき事業を自治体が「悪い」と評価していないと批判されるようになりました。自治体が「あるべき評価」をしていないという「評価の《評価》」が住民や首長のなかに発生したのであり、それへの対策が「政策評価制度」の導入といえます。

(2)政策評価制度がなぜ今のような制度になったのか?

では、なぜ、政策評価は今のような制度になったのでしょうか?
政策評価制度の存在は、行政組織にとって、議員や住民からの「評価がないという《評価》」に対する弁明になります。自治体からすれば、これまで、評価は予算編成や行政改革に一体化して紛れ込んでいましたが、政策評価制度の導入によって、少なくとも対外的には「評価がある」と主張できることになります。

また、政策評価は、時間的猶予を得るためにも魅力的です。新規の制度であるため何が評価の基準なのかは明らかではなく、「試行錯誤を繰り返していく」、「制度を進化させていく」と言えば批判をかわすことが可能です。
よく、政策評価の導入目的として、「職員の意識改革」が掲げられますが、直接的に職員の意識改革の効果があっても無くても、意識改革を数値等で表すことは非常に困難であり、意識が改革されたかはほぼ確認不能です。

(3)政策評価の腐朽

政策評価においてよく指摘されるものに、「評価疲れ」があります。自治体の業務が複雑化・多様化し、職員数や給与が増えない中で、政策評価という直接には住民に寄与しない内部管理・内部統制の業務が追加されることは、職員にとって負担感があります。政策評価をしたからといって予算が付いたり、事業を廃止できたりするとも限りません。

政策評価には、対外的な情報提供と透明性の確保という目的が掲げられますが、住民は政策評価結果をほとんど見ていないというのが現状でしょう。そして、自治体職員としては、政策評価結果を公表することにより批判の材料を広く提供になることになりかねず、見て欲しくない帳票をアリバイとして作成しているという面もないとはいえません。

(4)評価の官僚制化

評価とは政策的価値判断を含むものであり、政治過程で形成されるものです。自治体職員は、政治過程での意思決定を補佐する役割を担います。評価が政治過程での意思決定の産物であるということは、評価には多様な目的が雑然と放り込まれ得るということです。多様な関心を持つ民意にそれぞれ応答する必要があります。

「評価がない」という批判がありますが、「政治家や住民が自ら評価をする」わけではありません。そこで、評価がないなら「行政機関・職員に評価をやらせよう」ということです。しかし、行政が評価を行うとなると、評価も官僚制化する可能性があります。

例えば、公平性・統一性を重視するため全ての政策・施策・事業を網羅的に対象とする、統一シートでの評価等、画一的な基準で評価される、住民が到底読めない量の行政評価シートが公表されるといったことです。

(5)評価における住民参加

このように、行政機関が評価を行うと、住民の期待する評価からかけ離れていく危険性もあります。そこで、評価における住民参加が行われることとなります。住民が参加する第三者委員会等を設けて評価をするというのがよくある事例です。事業仕分けもその一形態といってよいでしょう。

しかし、評価への住民参加が行われたとしても、住民は政策に関する情報を必ずしも多く有しておらず、乏しい情報から素人の直感で判断せざるを得ないというのが実情です。また、偏った住民層による評価になる可能性があり、民意を反映・代表しない可能性もあります。

(6)各主体の立場と思惑

ここで、政策評価に対する、自治体における主な主体の立場と思惑を考えてみたいと思います。

首長にとって、過去の行政活動を批判的に評価すれば、自分の行政を自ら問責することになります。つまり、首長は政権交代がない限り、過去の業績を批判できないということになります。

与党議員からすれば、首長と同様に評価結果を批判しすぎるわけにいきません。

野党議員からすれば、自己批判的ではない行政評価をなまぬるいと評価することになります。

また、議員からすれば、政策評価が強力な評価機能を果たすようになると、本来、政治過程で政策を評価する役割を担っているはずの議員の存在価値がなくなるため、行政評価に対して批判的になる可能性もあります。

職員は、政策評価票の記載内容によって住民に説明責任を果たすというよりは、簡単に揚げ足をとられないような記載にするような行動をとりがちになります。

行政としては、職員の意識改革を行政評価の導入目的とすることで、直接に評価の効果がなくても行政評価の必要性を弁証できます。

3 考察

以上、政策評価制度を事例に、自治体における各主体の行動原理を示してきました。

政策評価という仕組み一つをとっても、様々な主体の立場があり、思惑があり、駆け引きがあり、その中で実施されています。

民主主義という制度からすれば、本来的には、「非民主主義的な存在」である自治体職員をいかに民主的な存在である住民や首長、議員がコントロールするかがあるべき論になるわけですが、視点を変えれば、実働部隊としての自治体職員にも、実際に政策を立案・実施しているというプライドがあり、各主体の立場や思惑を理解したうえで立ち回っていく必要があるわけです。

各主体のせめぎ合いの中で、どのように政策を実施していくのか、今後、このテーマで、他の事例についてもじっくり考察してみたいなと思っています。

(参考文献)
金井利之(2010)『実践自治体行政学-自治基本条例・総合計画・行政改革・行政評価』第一法規

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