”ヤマガヒ美術展「みちるからだ」”を観て

 「生演奏創作音楽劇 ヤマガヒ~とうとう~」の12月再演に向けて開催している関連イベントである”ヤマガヒ美術展「みちるからだ」”を観てきました(概要は下記リンクを参照)。

 「ヤマガヒ」は、昨年7月に山梨県・県民文化ホールにて公演されました、創作音楽劇です。甲府市に古くから伝わる伝統芸能である「天津司の舞(てんづしのまい)」に着想を経たオリジナル作品として、文化ホールの指定管理者の主催事業として制作されました。脚本・演出の中原和樹さんをはじめとした若いキャストやアーティストの感性と、文化ホールや天津司の舞の保存会などの地元の伝統や風土とがぶつかり合い、唯一無二の作品として甲府盆地に生み出されました(と私は見ていて思いました。)。詳細は上記リンクの他の記事で見れますので、興味がある方は是非掘ってみてください(tumblr、記事の一覧がないので過去の情報を見るのが大変・・・。)。

 今回の美術展は、この「ヤマガヒ」の再演(今年12月21日・22日)に向けて行われているイベントの一つで、舞台美術を担当している美術家、金子清美さんによるインスタレーション作品が展示されていました(もう閉会しまっているので、過去形です・・・。)。様子はこんな感じ。

 (とってもよかったのですが、感想を書こうとすると、なかなか要領を得た表現が出てきません。ヤマガヒの物語を観たことがあるという文脈で向き合っているので、それを説明するのが難しいのです。)

 会場内に設置された沢山の「おはじき」。最初は、この真ん中に向かって渦を巻いているように密度の濃くなっていくおはじきの群れから、ヤマガヒのモチーフとなった天津司の舞の持つ「湖水伝説」のイメージを感じました。下に向かって淀んでいく、大きな沼や水たまりのイメージです。この時点では、どちらかというとヤマガヒのイメージを投影して物を観ているだけだったと思います。

 だんだんと、そのおはじきの一つ一つが気になってきました。とりとめのないデコボコや流れの混じり合ったアスファルトの上に散らばるおはじきたち。山のようになっている所に群がるものもあれば、くぼみの中に並ぶものも。

 ふと一つの場所が気になりました。手前側の、浅く広がった「くぼみ」の中に集まった、10個〜20個くらいのおはじきたち。「ヤマガヒはここのお話だったのかも」と思いました。

 ヤマガヒのストーリーを説明するのは難しいのですが・・・。ざっくり言いますと、このようなくぼみに降り立ち、巡り合った人(?)たちが何を求めて、何を思って、何を選ぶのかというお話です。このくぼみを劇中では「ココノソコ」という表現をしていました。関連イベントの主催名義としてもこの「ココノソコ」が使われています。

 このくぼみは、前述した「湖水伝説」のイメージを形作る中心ではなく、外れの方にありました。おはじきたちは、ここにいたいという気持ちと、隣のおはじきたちとの距離の近さからなる緊張感とを持って、とても強いエレルギーを持ちながらそこにいるように感じました。この空間の中では目立たない場所にいたのですが、彼らにとってのそこはとても切実な「ココノソコ」だったのかなと思います。

 重ね重ねになりますが、ヤマガヒのストーリーを説明するのは難しいです。ストーリーそのものは、天命として登場人物を導くものではなく、あくまでも状況(「ココノソコで彼らは巡り合った」)を与えるものでしかないから。そこにいた彼らが求め、感じ、行動する様はとてもリアルで、リアルがゆえの非合理や断絶があります(それを「不条理」というのでしょうか?)。それがゆえに「ヤマガヒ」という舞台は、観る人によっては不安になったり、心を大きく揺さぶられたりするのだと思います。

 私はこの舞台を観て心を揺さぶられました。そして、今回の金子さんの作品が、その時の心の揺れを蘇らせてくれました。

 無数のおはじきが、それぞれが生きているものとしてそこに居る。その生きていることが重なりあって、つながりあって、物語を生み出す。その姿に思いを馳せることで生まれる自分の心の動きがある。

 そういった経験を共有することが、「ヤマガヒ」のプロジェクトが山梨にもたらす財産なのかとも思います。「ヤマガヒ」をきっかけとして、このような作品が山梨でもより多く生み出されればいいな、と密かに期待しています。

 ・・・散らかった文章になってしまいましたが、感想でした。公演が楽しみ!

 追記 帰りに立ち寄ったコーヒー屋さんのカップが、再演チラシのビジュアルみたいでした。

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