オースティンの「高慢と偏見」を読んで考えた「本当のお金持ちとは?」という問題

先日、久しぶりにジェーン・オースティンの「高慢と偏見」を読み直していたら、ダーシーの年収に関する記述のところでふと考え込んでしまったんですね。

前に読んだ版にはそんな解説があったかどうか・・・今回読んだ版には、ダーシーの年収に関する箇所に注意書きがあって、そこを読むと「現在の貨幣価値に換算しておよそ一億円」とあって、僕は「ええええ!?」と思ってしまったわけです。

現在の東京で年収一億円というと、まあせいぜい小金持ちといった程度の暮らししかできない金額であって、「高慢と偏見」に描かれたダーシーの暮らしぶりや社会的なステータスを考えると、とても違和感があったわけです。

で、すぐにわかりました。ああ、結局これは「ストックとフロー」の話なんだな、ということです。

「お金持ち」は「資産」と「年収」のどっちで決まる?

見回るのに何日もかかるような広大な地所を抱えていて、先祖から受け継いだ巨大な城に住んでいて、そこに何人もの召使を抱えている、というのがダーシーの暮らしぶりですが、これは何の話をしているかというと、要するにストックの話をしているわけです。

一方で、先程紹介した注記の内容(=現在の貨幣に換算して一億円)は年収、つまりフローに関する記述ですね。

広大な地所や城をはじめとした不動産というダーシーの資産を現在の貨幣価値に換算すれば、いくらくらいになるのか?ChatGPTに聞いてみたところ、次のような回答がありました。

ダーシー氏の年収は1万ポンドで、1811年の時点での購買力は現在の約450,000ポンドに相当します。彼の富の大部分は不動産資産にあり、ペンバリーのような大きな土地は、現在で約3億5000万ポンドの土地価値があり、年間約550万ポンドの収入を生み出す可能性があります。

この説明を踏まえると、小説中の注記にあるとおり、ダーシーの年収はおよそ9千万円(1ポンドをざっくり200円とすると)となりますが、驚くべきはその資産の額で、およそ700億円となり、地代収入だけで10億円を超えることになります。

一方で、周囲にいる「年収一億円以上」という人の暮らしぶりを見ていると、せいぜいが港区に100平米超のマンションを買って、外苑西通りあたりでベンツのGクラスやらランボルギーニを流して、あとは軽井沢に別荘を一軒持つといったところが関の山という感じで、「広大な地所を所有する」「12世紀に建てられた城に住む」「多くの召使を抱える」といった暮らしは望むべくもないでしょう。

つまり、ダーシーの「お金持ちのレベル」は年収=フローで記述すると、ものすごく違和感のあるものになってしまうわけです。

なぜ「フロー」だけで見るのか?

お金持ちの度合いを図る時、フローで見るべきなのか?ストックで見るべきなのか?

企業会計でいうと、年収=フローはPLに、資産=ストックはBSに該当します。そして、その企業の財務状況を知るためには、どちらも重要な指標なわけですが、では企業の健全性を示す指標として「どちらかだけを選べ」と言われれば、どうでしょう、多くの人はBSを選ぶのではないでしょうか。

僕が会計の勉強をしたのはもう20年以上前ですが、確か会計の教科書って、どれ読んでも「まずBSを理解せよ」から始まって、その次に「ではPLを理解せよ」という流れになっていたと思います。会社はPLで潰れることはありませんが、BSがダメになって潰れるわけですね。この順序が今も変わっていないかどうかはわかりませんが。

これはつまり、何を言っているというかと、企業の健全性を見る時にはBSもPLも必要であり、かつ敢えて言えば、どちらかというとBSの方が重要であるにも関わらず、世の中の人たちは「お金持ちを図る指標」について、BSを完全に無視しており、PLにしか注視していない、ということなんです。

しかし本当の意味で「お金持ち」を見極めようと思ったら、大事なのはPLではなく、BSであって、まさにジェーン・オースティンの生きた時代も、「お金持ち」を図る指標はPLではなく、BSだった・・・だからこそ、ダーシーは当時の英国の大富豪だったわけですが、年収は、現在の私たちの感覚からすると小金持ち程度の金額でしかなかった、ということなのでしょう。

フローには旬がある

ここで考えてみましょう。

皆さんは次のどちらの方が「お金持ち」だと思いますか?

  1. 資産が100億円で年収は100万円という人

  2. 資産が1億円で年収は1億円という人

これ、なかなか難しい問題ですが、僕なりに「思考の軸足」を考えてみると、重要なのは、

資産は無限にお金を産み続けるけれども、年収は働くのを止めた瞬間にゼロになる

という視点を持つことだと思います。

これはつまり、何を言っているかというと、評価の対象となる人が、これから先、どれくらい働けるかによって、判断は変わってくる、ということです。

比較されているの両者が、25歳の人であれば、年収1億円の人もこれから先ずっと稼ぎ続けて、その稼ぎがストックに回る可能性があります。一方で、両者が60歳であれば、これから先働ける年数は限られていることから、ストックがより重要性を増すことになります。

つまり歳を取れば取るほど、年収より資産、PLよりBSが重要になるわけですね。

青年期・壮年期・老年期と区切ってみれば、青年期ではPLが重要でBSは考えてなくてもいいのですが、歳を追うごとにBSの重要性が高まり、PLは相対的に重要性を下げるということです。

こう考えると、結婚適齢期の人が、相手の年収=PLばかりを気にしているのは「PLがゼロになるのは当分先」ということで、これはこれで合理的なのかも知れません。

GDPだけでいいのか?

さて、ここから話は、横に吹っ飛びます。

ここまで人や組織について、PLとBSの問題を考えてきたわけですが、これを国や社会に当てはめて考えてみるとどうなるでしょうか?

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