【合格体験記】法政大学法学部法律学科(2012年度・仮面浪人)/平井直太朗(愛媛県立松山北高校出身)

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こんにちは、早稲田集中力研究会の中西です。

今回は、法政大学法学部法律学科(2012年度)に1年の浪人+2年の仮面浪人を経て合格された平井直太朗君の合格体験記をご紹介します。

併願校の結果:学習院大学法学部・経済学部(〇)、中央大学経済学部(〇)

では、ここから下が合格体験記の本文になります。

(なお、体験記の執筆者には本人確認書類を提出いただき、当会にて本人確認済みですが、個人情報保護の関係でお名前は仮名になります。ご了承下さい)


【合格体験記】法政大学法学部法律学科(2012年度・仮面浪人)/平井直太朗


第1 総論
 私は、現役時代、自宅での浪人時代、仮面浪人1年目、仮面浪人2年目を経て法政大学(他は学習院、中央大学)に合格しました。

まずは、現役から仮面浪人にかけての経歴を簡単にご紹介します。

 1、現役時代
 私の現役時代には、地方の県立高校に通っていました。偏差値は60台前半の高校です。

現役時代はとにかく東京の大学にいきたくて毎日必死に勉強していました。勉強時間も1日起きているときは生活に必要なこと(風呂、食事等)以外は勉強時間に費やしていたと思います。

とにかくがむしゃらに勉強をしていました。地元の予備校のサテライトに通い、授業を受けながら自習をしていました。

学校の授業についてはほとんどの授業で内職をしていました。教師をなんと言われようと内職をしていました。きっと、ほとんどの先生が私を嫌っていたと思います笑。

現役生の方は学校との兼ね合いで悩んだりすることがあると思います。内職するのかしないのかはあなた次第だと思います。学校の先生はあなたの人生に責任を持ってくれますか。学校の先生を言うとおりにしていたら必ず志望校に合格できますか。

教師は実績もないのに無責任に自分の教育論を押し付けてきます。教師に好かれたい、指定校推薦をもらいたいなら言う通りに従えばよいと思いますが、そうでないのなら、己を貫いた方が後悔は少ないと思います。(ただ、毎年10人以上東京大学合格者を出すような進学校だと教師の言うことにも耳を傾けても良いのではと思います。)

 当時の偏差値は英語50前半、国語50前半、日本史は70台ぐらいだったと思います。そのような形で大学受験を迎えて、早慶、MARCHを受けるも全滅。浪人生活に入ります。

周りの友人たちは早慶に合格していて悔しい思いをしました。必ず、自分も来年合格してやるという強い気持ちを持ちました。

 高校の教師は浪人することに否定的になってあなたを引き止めるかもしれません。しかし、よく考えてみましょう。その教師は浪人経験者ですか。浪人を経験しているのであれば意見の一つとして傾聴する価値もありますが、そうでないのであれば、気にしなくて良いです。

私は、浪人と仮面浪人を経験しましたが、浪人の経験は無駄ではなかったと思います。浪人の経験で私は大きく成長できました。私たちは最終的にはみんな死ぬのです。だったら、自分の後悔のないように人生を生きるべきだと私は思います。

 2、浪人時代
 浪人は自宅で行いました。この後、自宅での浪人生活は失敗に終わります。原因は自宅浪人であるので、時間が無限に使えると考えてしまうこと、日々の生活にメリハリがないので、だらけてしまうこと、危機感がなくなること、勉強時間が取れなかったことにあると思います。

また、自宅でネットサーフィンをしてしまい、合格もしていないのに、数々の資格を調べたりしました。

さらに、ネットゲームにはまってしまいました。(インターネットは便利な道具ですが、使い方を間違えると後悔します)今から考えると自宅での浪人は失敗だったなと思います。今の自分からだと、自宅では勉強せずに、図書館などで勉強すればよかったと思います。勉強場所などについては後述します。

 結局、自宅浪人は失敗してまたも受験した大学は全滅します。

 私は、このときもう一年浪人しようと考えたのですが、親がそれを許すはずもなく、3月入試を受けることになりました。嫌々ながら無理矢理受験させられて東京の偏差値50くらいの大学に入学することになります。

 3、仮面浪人1年目
 やっと東京に上京することになりました。元々、入りたくもなかった大学です。入学式も出ませんでした。

 (ここからは、現在受験生の人及び浪人生の人は知っておいたほうがよい現実です。大学のレベルは偏差値50くらいの大学です。)

そして、授業開始日。キャンパスはとても綺麗でしたが、居る人達にびっくり。授業のレベルも低く、知的好奇心を満たすものはほとんどありませんでした。授業を担当している教員に聞くと「これ以上難しくするとみんなテストで点数を取ることができなくなる。したがって、簡単にしないと授業が成立しなくなる」と言われました。

私は何のために高い学費を払っているのだろうと思いました。とにかく授業のレベルが低く、英語の授業もbe動詞もまともに分かっていない人もいる。そんなありさまでした。そして、私は志望する大学に入学するために勉強を開始します。

しかし、憧れていた東京への上京。全てが新鮮で新宿、渋谷、原宿等々遊びすぎて勉強はほとんどできませんでした。もちろんその結果、志望する早慶、MARCHは全滅。当然といえば当然ですが。

4、仮面浪人2年目
またダメだったと思い7月まで勉強に手がつきませんでした。

そして、ここまでくるとさすがにヤバイと自覚してきます。自分が大学受験にチャレンジできるのはあと一回しかない。なんとしても合格しなければ自分はこの大学で終わってしまうと初めて自覚しました。

ここから自宅浪人時代も含めて初めて本気になったと思います。精神的にもきつかったですが、これが合格しなければ自分は死ぬぐらいの気持ちで勉強しました。

10月の河合塾の全統記述模試では偏差値英語64、国語62、政治経済74まで伸びました。このときに自分は感覚的に「今年は受かるな」と思いました。そして、結果的に受験した法政大学法学部、学習院大学法学部、経済学部、中央大学経済学部の全てを合格しました。

これが私の受験です。以下ではなぜ受験に失敗したのか。仮面浪人時代の過ごし方、勉強方法を詳しく述べます。

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