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ボクたちの冒険5/カナダ旅 後編

ニューヨークを発ってからずっと雨が続いている。旅慣れたボクたちでもさすがにそろそろ雨降りに倦んできた。


1.一期一会

シャワーを浴びて食堂に下りていくとコーヒーのいい香りがする。明るく挨拶するオーナーの女性はこの仕事が楽しそうだった。

オムレツの具を4種類の中から選ぶように言われたが,「ベーコン」以外の単語はひとつもわからなかったので「1番をお願いします」と頼むと,「1番は何だったかしら。」とオーナーはいたずらっぽく笑った。とりあえず注文は「ベーコンではない何か」に落ち着いた。

長い黒髪の美しい宿泊客が丁寧に挨拶しながら向かいの席についた。夜はひっそりと気配もしなかったので同宿の客がいるとは知らなかった。その彼女がしばらくボクたちの様子を見て,

「ニホンノカタデスカ?」

とキレイな日本語で語りかけてきたから驚いた。日系のカナダ人だった。横浜に親類がいるとのことで,ボクの英語よりははるかに流暢な日本語を話す。カナダに入ってからアジア系の人に会うのが初めてだった。

「ジェニイです。」

と自己紹介したが名前の発音だけがバリバリ英語なので「ジェニイ」はボクの聞き取れた範囲の推定である。

「ここからトロントに行く途中にあるおすすめの小さな田舎町を教えてください。できれば紅葉がキレイで,古い街並みが残っていて,外国人観光客に知られていなくて,レンタサイクルのある町が希望です。」

我ながらやたらと注文が多いので,これは指を折りながら一生懸命英語で聞いた。彼女はクスリと笑いながら答えた。

「ワタシニハ ワカラナイノデ オット ガ オシエマス。オキテキマス right now チョット マッテ クダサイ。」

彼女は英語でも日本語でも控え目にそして静かに話す。日本人との付き合いに慣れているからだろうとも思う。彼女に限らずボクらのニューヨークの知人や親類にもそれは共通している。日本人が欧米人のオーバーな抑揚やストレートな感情表現に引いてしまうことを知っているからだ。ところがジェニイは宿のオーナーや子どもたちに対しても同じように控え目に接している。

アメリカにいると日系または日本人女性はことさらに奥ゆかしく見える。理由は3つ考えられる。ひとつは日本人の気質に由来する。もうひとつは文化。古い日本の小説や映画,アニメに登場するヒロインの影響があろう。そして3つ目はおそらく彼女たちが多かれ少なかれアジア人として差別を受けた経験を持つからだろうと思われる。対人関係で慎重にならざるを得ない。その奥ゆかしさが差別感情を持たない一部の欧米系男子にはたまらない。ぞくぞくするほどエキゾチックな魅力をもたらすことは想像に難くない。それに加えて肌の美しさが彼らを魅了する。モンゴロイドの持つ肌のきめ細かさは人種のるつぼたる北米にあって際立って美しい。正直言うとボクは金髪の女性とのハグが苦手である。欧米人の肌の質感はアジア人とは異なる。日系や韓国系の女性の肌は艶やかで,実年齢よりもずっと若く見える。もちろん反対にそのような肌を苦手とする人たちもいるだろうが,こよなく美しいと感じる人もまた多い。伯父のトムなどは日本人女性にイカれてしまった典型である。彼の娘もまた奥ゆかしい控え目な性格と美しい肌を持って生まれた。大学ではアイドルのようにもてはやされ,ライバルを勝ち抜いて彼女をゲットした青い目の夫は彼女をまるで女王のように扱い傅いていた。

ボクはそんなこんなを思い出しながら美しく控え目な日系カナダ人女性との会話を楽しんでいた。食卓にはコーヒーのお代わりが運ばれてきた。

「とってもおいしいわ。味も香りも」

と,彼女が誉めると,女主人は我が意を得たりと鼻をふくらませた。

「Turkish. Yeah. You like? Please more…(トルコのコーヒーよ。もっといかが?)」

やがて階段に足音がして,やはり日系の美女にイカれてしまったクチの夫が登場した。名を聞いたが発音が難しすぎて直後に忘れた。オランダ系とのことなのでここではロベリーと呼ぶことにする。これがまた彼女に輪をかけたようなナイスガイで全盛期のアリエン・ロッベンを思わせる人懐こい笑顔で話しかけてきた。

「山形に2年住んでいました。そうです。高校の英語の先生でした。」

片言の東北弁を期待したがロベリーはまったく日本語を忘れてしまっていて話せなかった。ダニエルカールさんの自伝を読んだことがある。彼も確かフォークダンスで一緒になった日本人の女の子にのぼせて,英語の指導主事として来日し山形に赴任したはずだ。もっとも彼の場合,その恋は成就しなかったようだがロベリーはめでたく彼女と結ばれた。夫婦水入らずの気ままな二泊三日の旅の途中だそうだ。

「Seven! Yeah!! Right. (7号線!そう!その通り)」

ロベリーは超がつくほどのお人良しで,奥さんからあらましを聞き,張り切ってボクたちの今日の旅程を考え始めた。だが惜しむらくは地理に疎かった。オタワ~トロント間に限定すれば,朝,ベッドの中で下調べしたボクの方がずっと道路や町の名に詳しかった。

「そう。キングストンは大きな町で観光客も多いからあなたの希望には合わないです。」

彼のアドバイスはオンタリオ湖沿いの幹線道路を避けてローカルの7号線を行こうと考えていたボクの旅程を追認するだけになった。それでも沿線の村の情報を飽くことなく話してくれる。一週間もあれば彼の薦める村々を訪ねながらの7号線紀行を楽しめそうだが,如何せんボクらには今日一日しかない。

そして残念ながら結局彼の7号沿線情報は一つも役立たなかった。予報より天候の回復が遅かったからである。ボクはきっぱりと観光をあきらめ一気にトロント郊外まで走ることにした。

2.クィーンエリザベスウェイ

7号線は一本道なのでナビゲーションの必要がない。眠気が襲ったところでドレミに運転を交代してもらった。

ボクは彼女が10代のときから厳しく運転を指導してきた。目視できる限りの前方を走る車に注意して事態を予測すること,前後左右に気を配り,挙動の危ない車の接近に気をつけること,スローインファストアウト,ダブルクラッチ,ポンピングブレーキ。ウインカーやブレーキのタイミングまでボクと同じにすることを求めた。助手席で寝るためである。ドライビングに不安があれば眠りに落ちることは難しい。特訓の甲斐あってドレミは長距離ドライブには得難いパートナーに成長した。ボクたちは青森からも熊本からも,ほぼノンストップで交代運転し,一晩で帰京したものである。

ミラージュの軽快な直列3気筒エンジンが吹け上がる音を心地よく聞きながら,助手席で目覚めるとドレミが前を行くピックアップトラックをパスするところだった。スピードは時速65マイル(104km/h)を少し超える程度,緩やかな上りの直線を利用したと思われる。ちなみに1マイルは約1.6kmなので,数学の教師たるボクは2倍の2倍の2倍の2倍して10で割ると簡単に換算できるよとドレミに教えたがムリだと呆れられた。2倍の2倍の2倍の2倍は一般には難しいらしい。片側一車線のハイウェイでは反対車線に出て遅い車を抜くことは必要である。スピードを落として後ろに付くと後方が詰まって渋滞を引き起こすからだ。1台ずつパスしていくので順番が来れば躊躇はできない。ボクはそのまま寝ているフリを続けた。助手席でプレッシャーをかけていない方がドレミのドライビングは冴える。

翌日の天気予報が快晴に変わった。ボクはこの日の目的地をトロントからさらに南に回り込んだナイアガラまで延ばすことを決めた。今日中に移動を終えて明日の観光に賭ける。iPadを操作しナイアガラの中心部に宿を探して驚いた。

「や,安い」

滝から離れると50カナダドル(約5,500円)を割っているモーテルもざらである。二日前には95米ドル(約14,250円)で田舎町のモーテルに泊まった。平日(日曜だが)だからか,カナダだからか…わからない。帰国し,これを書いている今もわからない。ジェレミーにメールで問い合わせたがまだ返事がない。彼からはだいたい半年くらい経って忘れた頃に返信がある。どうせなら…最安値を探した。35カナダドル…中心街を外れるが近くに何軒かバーもある。申し分ない。これこそボクららしい旅の宿である。インターネットでまたもや新しい代理店に登録して予約した。このときおそらくWi-Fiの接続状況が悪かったと思われる。予約は成立しておらず,到着してから少々のトラブルに見舞われることとなる。

トロント郊外は400番台と呼ばれる大きな高速道路が整備されて走りやすい。有料道路もいくつか使ったが,どうやらトムに借りたE-ZPassがカナダでも正常に作動しているようだ。南に進路を取り路線標識が「QEW」となる。カナダ最大の幹線道路で「クィーンエリザベスウェイ」の略称である。この国がイギリス王国に所属していることを認識せしめられる

雨が止まないので車でピザ

この地が英国領となったのは1763年,江戸時代中期にあたる。その歴史は浅い。1775年のアメリカ合衆国独立戦争時にはモンゴメリー率いる革命軍の侵略を許したが,英本国の支援を受けてこれを撃退した。周辺にはその戦勝を讃えた史跡も多い。ありていに言えば無抵抗な先住民族を動物のように駆逐したイギリス人同士が覇権を争っての戦争である。これを名誉の建国史として学んでいるのであろう。もっとも侵略の歴史は多かれ少なかれ世界中全ての国の建国に共通する。我が国の古事記や日本書紀などにしても,虐殺した先住民族を化け物扱いして大和建国を正当化した文献(興味がないので断片的にしか読んだことがないが)と推定される。まさかにこれを歴史書として扱ってはいないが,教科書はもちろん,参考書でも侵略の建国史は暈されている。立ち入りが規制されている奈良の古墳群を発掘調査すればあるいは皇室に不都合な歴史が顕わになるかもしれない。たぶん世界中の歴史学は同じように自国の建国にまつわるブラックな歴史を「記録がない」という理由でうやむやにしていると思われる。

3.夕焼け

西から待望の青空が広がり陽が差してきた。まさにカナダに入ってから初めての太陽である。ボクは爽快な気分でアクセルを踏み込みクィーンエリザベスウェイを南下した。ふとインパネに目を落とすと給油ランプが点灯しているのに気づいた。

「ヤバい!」

ヤバの語源が何であろうと与(あずか)り知らないが,これは流行りのワカモノ言葉ではない。最も正しい使用法でヤバいのである。フューエル(燃料)ゲージはE(エンプティ)を下回っている。今エンストしてもおかしくない。先を急ぐあまり給油を忘れて走り続けていた。ミラージュのフューエルタンクはロングツーリングには不向きである。ボクは急ハンドルを切って直近のインターを下り,ドレミは地図でスタンドを検索した。幸いスタンドはすぐに見つかり事なきを得た。

ヨーロッパではかつてオクタン価の違うガソリンを自分で配合する時代にもドライブしたことがある。だから一応高いとか安いとか給油するときには気にしたりする。ドイツでは日本とは逆に郊外の大きなスタンドより市内の方が安かったりした。日本ではもちろん1円の違いでもマメに安いところを探す。この春移住した長野県は日本一ガソリン代が高い。オーリスRSはハイオク仕様なので,村のスタンドでは一時期リッター220円を超えた。母のライフ(軽自動車)を修理して我が家の主力としたのは専ら経済的な理由からだ。現在,ドレミは県境を越えた小学校に通勤しているので,ロードスターもオーリスも給油のときはドレミが乗って行って山梨県で給油している。

もっとも旅行中の給油では数円の違いは微々たるものだ。それでも割安のスタンドを探すのは国内国外ともに楽しみの一つでもあるが,北米については例外である。ドルでガロンでマイルである。価格や燃費を計算するのは数学好きのボクですら複雑すぎて意欲を削がれる。そもそもこの地ではカナダドルで払っているのか米ドルなのかもよく分からない。まさかにスタンドの自動支払い機にボラれることもないであろう。レシートを見るといつも一桁はずれていない請求なので考えるのはやめた。

オタワから550kmを一気に走破して,ボクたちはまだ明るいうちにナイアガラの市内に入った。モーテルの入り口に小屋があるが人の気配がない。宿泊棟の前にはもう先客の家族連れが寛いでいたので聞いてみると,最安値の秘訣が明らかになった。宿は無人なのである。管理者は昼のうちにクリーニングを終えると,鍵とメッセージを入れた封筒に予約客の名を書いて小屋のポストに入れておく。客はそれを開封し,注意事項に従って自分で部屋に入るシステムなのである。なるほど大幅な人件費削減である。

ポストに行ってみるとボクたちの名前の封筒がなかった。危惧していた通りトロントの郊外から繋がりにくいWi-Fiで代理店のサイトにアクセスしたため,予約が成立していなかったらしい。仕方ないので予約を入れ直した。管理人が近くにいれば封筒を届けてくれるかもしれない。有り体に言えば見知らぬ外国の町で日暮れに宿が決まっていない状況に陥っていることになる。だがボクたちにとってはたいしたピンチではない。周囲には他にも格安そうなモーテルがたくさんあった。

これまでの最大のピンチと言えば,ハンガリーのエステルゴムで宿を取ろうとしたときだった。あいにく翌日が大きな音楽祭だったために中心街はおろか周辺の町までコンサート目当ての宿泊客が殺到していた。ボクたちはエステルゴムをあきらめて夜の町を隣りの市へ向かった。インターネットのない時代である。勘を頼りに宿を探して真っ暗な田舎道を走り,山の中で修道院を改築したホテルを見つけてチェックインした。

それに比べれば今日の手違いなどはぬるま湯のようなものだ。それよりもボクは数日ぶりの晴天が赤く染まり始めたことの方が気になっていた。とりあえずモーテルの前の道路では味気ないので,夕焼けの写真を撮ろうと,地図を頼りに市内を流れるハイドロ運河に行ってみた。

ショッピングモールに車を置いて運河に走ったが,そこはモーテルの前の道よりももっと味気ない場所だった。ドレミが胸を押さえて笑い転げた。

それからボクたちはショッピングモールにあったウォルマート(アメリカの大きなスーパーマーケットのチェーン店)でお土産を物色した。ネットの情報ではインスタントプーティンというものがあり,何でも,カナダの子どもが最初に体験する調理はインスタントプーティンにお湯を注ぐことだと書いてあった。それを想像するととても微笑ましいのでお土産用にインスタントプーティンを探してみた。ポテトではなくマカロニがあった。容器にはプーテインと書いてある。確かにお湯を注いでフライドポテトはできそうにない。インスタントプーティンはマカロニ仕様なのだろうか。まあいい。他にないならこれだと言うことにしておこう。10個買った。

モーテルに戻るとやはりポストに封筒はなかった。スマホのメールをチェックすると果たして「Sorry, we can not…」と宿からの謝罪メールが届いている。まあいい。最安値の面白いシステムの宿に泊まってみたかったが,これでも十分話のネタにはなる。

検索すると隣りの大きなモーテルに空室があって10ドルほどしか違わないのでドレミを徒歩で走らせ,ボクは道路を逆に走って交差点を見つけUターンしてきた。そのときに目ざとく良さげなバーも発見した。

大きなモーテルのフロントに行くとドレミが両手で丸を作って出迎えた。目の前にフロントのお姉さんがいるのに,iPadでインターネット予約をする。値段交渉の楽しみもない。これも時代である。

チェックインを済ませたボクたちは15分ほどの道を歩いて交差点のバーに行った。どうもカナダ料理というものはプーティンの他には特にないのだろうか。

冒険したくてもメニューにはアメリカのレストランと同じものしか見当たらない。バーガーを頼むと予想通り山盛りのポテトが添えられていた。

別にプーティンはとても食べられそうにないが,店の居心地はとてもよく,ボクたちはカナダの夜を楽しんだ。

4.ドレミの逆襲

酔っ払って早々と寝てしまったボクは朝,まだ暗いうちに起きてiPadを繰った。ナイアガラの滝攻略作戦を構築するためである。ブラウザの自動翻訳の精度は最近めざましく進歩しているが,それでもまだ情報収集には不自由である。英語で表示しながら単語検索機能を使うのが確実で早い。最大の懸念は駐車場。付近の駐車料金の相場を見ると思い切って滝まで歩けるモーテルに宿泊する手もありだ。そして撮影ポイント。午前中は逆光になるので写真は午後に。なるほどもっともなことだ。それでは午前中はどうするか。…紅葉である。ずっと雨と霧の中を旅してきた。快晴の今日しかカナダの秋を堪能するチャンスはない。だが目ぼしいハイキングコースの駐車場はすでに予約で埋まっている。

朝日の差してきた窓辺のベッドでドレミが目覚める頃には代案まで含めすべての作戦は立案を終えていた。

「この部屋に連泊するぞ。」
「え?」

建物は古いがお湯も備品も問題なく動く。ごきげんなバーも近い。今夜の宿を探す手間を省いて貴重な今日一日の作戦に集中するためには好都合だ。

朝食後,地図を確かめている間にドレミがフロントに行った。ところが「昨夜と同じ料金ならば」と交渉させたにも関わらず,インターネットの値段ではなく(昨夜と同じ)飛び込みの料金を支払ってきたらしい。日本円にして千円やそこらのことだが,ここでボクはドレミを詰めることにした。妻はとても優秀な旅のパートナーだが如何せんエンジンがかかるまでに時間を要する。

オタワの宿で親ではなく幼子に直接,日本のお菓子を手渡そうとした。金額を確かめずにクレジットカードのサインをしようとした。甲斐甲斐しく世話をしてくれたウエイトレスのチップを20%にせず18%のまま精算しようとした。標識ではなくスマホの地図を頼りにしすぎてナビゲーションを誤る。ここまでその都度,ボクがフォローした。だがこれらはどれも全くドレミらしくない。そこに来て今朝である。ボクたちはボクたちらしい旅をプロデュースすることを楽しんでる。失敗は仕方ないが「らしくない」行動には興を削がれる。じっと話を聞いているうちにドレミの目に強い光が灯った。

ドレミが覚醒した

「あたしもう一回フロント行ってくる。」

彼女は足早に部屋を出て行った。たとえ失敗してもそれはいい。肝心なのはドレミらしさである。

そもそも不慣れなフロントの若い女の子が,ボクらの前夜の料金を勘違いしたことが原因である。再交渉には多少の時間を要したが,ドレミはフロント係にミスを認めさせ,オンラインのテレビ電話で支配人と直接交渉して,過剰分を降り込み戻すことを約束させてきた。意気揚々と部屋に引き上げてきたドレミは「どうだ」と言うように小鼻を膨らませた。ドレミの逆襲が始まった。

ボクたちはクィーンエリザベスウェイを北上しトロント郊外まで戻った。そしていくつかローカルハイウェイを東に乗り継いでダンタスピークという渓谷にたどり着いた。インターネットでは予約終了となっていたが当日枠があるかもしれない。だが駐車場が近づくと「満車」と書かれた看板がいくつも立っていた。インターからずっと前を走っていたレンタカーもご同輩だったらしいが,料金小屋の手前でUターンして去って行った。仕方がない。ボクらもここからナイヤガラに山道を通って戻りながらドライブするしかないか。そう思ってUターンしようと車を寄せるとドレミが車を降りて小屋に歩いて行った。

「15ドルの追加料金がかかるけど停めさせてくれるって。どうする?」

こともなげに言う。もちろんモーテルと違ってここはプライスレスである。ボクは駐車場に車を進めた。

「あれが彼女の車だって。あの横を通ると滝まで近いってよ。」

小屋の脇に停めてある北米仕様の古いアコードを指さしてドレミが言った。いったい係員とどんな話をしてきたのだろう。

オンタリオ州の紅葉は盛りの季節を迎えていた。八ヶ岳の秋に旅立ってきたボクたちには信州の山々の方が美しい印象だった。あるいはカナディアンロッキーまで行けばまた規模が違うのかもしれない。

いずれにせよ山歩きのシーズンとあって,大勢の観光客が賑やかにハイキングを楽しんでいる。犬連れの人も多い。タローはふだんリードをしなかったので,オンシーズンの観光地にはあまり行きたがらなかった。リードをして歩くのは仕事だと思っていたらしい。ドレミが喜べばうれしそうにはするが自分で楽しんではいないことがよくわかった。だからボクらが遊びに行くのは彼の喜ぶ,人気のない場所やオフシーズンばかりだった。少なくともボクらの知る限り,犬とその家族にとって日本は世界一住み心地の悪い場所である。

腰痛と相談しながら1時間余りの山歩きを楽しんだボクたちは再びクィーンエリザベスを南下した。いよいよナイアガラの滝に挑むときが来た。

5.ナイアガラのすゝめ

ナイアガラの南に位置するエリー湖の水面標高は174m,一方北のオンタリオ湖は75m,標高差は99mである。ナイアガラ川はこの二つの湖を僅か56kmでつないでいる。しかも最初はエリー湖の入り江のように北に広がり,幅広く西側の崖を落下する。その落差は高いところで58m,湖の標高差のおよそ60%を一気に下ることになる。これがナイアガラの滝である。

中州のゴート島を挟んで北側をアメリカ滝,南側をカナダ滝と呼ぶ。この段差は断層によるものではなく,1万年前のウィスコンシン氷期に氷河の浸食で形成された。氷河期後はナイアガラ川による浸食が崖上部の固い石灰岩層を取り残すことで滝となった。浸食は続いているが,ウィキペディアによれば現在は崩落をコントロールする工事が施されているようだ。

入場料はない。グーグルマップで見るとカナダ側の滝見スポットは一般道の歩道沿いという印象である。公共の駐車場は20ドル~25ドルとある。米ドルだとすれば3,500円,まあ最悪でも駐車待ちすればそんなものですむ。一本西の裏通り沿いには民間の駐車場がたくさんあり,ネット上にも負けさせた,ボラれたと武勇伝がかまびすしい。最安値は北の外れにある現金しか受け付けない駐車場。5ドルで停めたというツワモノもいたが,米ドルで10ドルほどが相場のようだ。われわれ日本代表としてはよい標的である。

目的の駐車場はすぐに見つかった。駐車スペースは手頃に空いている。「交渉によってはすぐには入らないぞ」的な位置に車を停めてドレミが小屋に走った。彼女の最大の見せ場となるはずだった。ところがまもなく小屋から出てきたドレミが小屋の前の簡易看板を指さした。

「$5」

と,大書してあるではないか。思いきり肩透かしを食らった日本代表はしょんぼりと言い値で駐車させてもらった。そもそも5ドルからの交渉はあり得ないだろう。どうやらこの国では紅葉真っ盛り,気候も清々しい秋は観光のオフシーズンらしい。駐車場争奪協奏曲は真夏のバカンスシーズンの曲だった。

まるでテーマパークのように賑やかな一角を抜けると,そこにはどこにでもあるような河畔の遊歩道が続いていた。ただ対岸には世界一の瀑布が空にまで激しい水しぶきを上げている。

「どうする?遊覧船に乗る?」
「いや,このままここを歩いて過ごそう。」
「うん」

ニューヨークに帰ったら伯母が目を丸くして「えー!?観瀑船に乗らなかったの?」と驚くことだろう。でもこれはボクたちの旅のスタイルだ。

テーブルロックというカナダ滝のビュースポットがある。日本ならばアマチュアカメラマンの迷惑な三脚が立ち並ぶところだろう。だが禁止されているわけでもないのに三脚を立てる人はいない。国民性の違いだ。

この様子なら斜光の頃になっても最前列に出て滝の写真を撮ることは容易そうだ。ボクたちはビジターセンターのカフェで一杯のコーヒーと菓子パンを分け合って時間をつぶし,土産物店で小さなグラスを三つ買った。

それからテーブルロックに出て夕焼け空の下で滝の写真を撮り,再び川沿いの道をゆっくりゆっくりと散歩した。

アメリカ滝の前に来る頃には滝は美しくライトアップされた。

6.紅葉の北米路

ニューヨークに帰る日の朝が来た。カナダには美しい思い出だけができた。レインボーブリッジは車も渡れるがそれではつまらない気がして四たびクィーンエリザベスウェイに乗った。エリー湖の河口にかかるピースブリッジを渡るとそこはあっけなくニューヨーク州だった。

Googleのナビに逆らってドレミが選ぶ「紅葉がキレイそうな道」を行く。道を選ばなくてもニューヨークは全州燃えるような紅葉たけなわの中だった。

丘陵を上ると360度の展望がオレンジに染まっている。村に入ればさまざまな色の街路樹が美しくボクらを迎える。

そしてハロウィンのカボチャ。

オンタリオ湖周辺はジャコランタンの本場である。街道沿いには農家の大きな直売所が建っている。そのひとつに車を停めた。前客の女性がホンダのSUVに大きなカボチャを積んでいる。ふたつ,よっつ,むっつ…20個も積んだ。お店の人なのかそれともご近所の分も頼まれてきたのだろうか,カボチャを選ぶ様子も真剣だった。さて,ボクたちも伯母のためにジャコランタンを作ろうということになった。小さめの形のよいカボチャを選ぶ。青空をゆっくりと雲がゆく。街道を車が通り過ぎる。

ニューヨークへのアクセスは渋滞が予測される。アルバニーには向かわず,ニュージャージーを経由しホーランドトンネルを使って西からマンハッタンに入る作戦を立てた。いったんニューヨーク州を出て81号線をペンシルベニア州まで南下する。交通量が増えてきた。

運転していて眠くなったときは迷わずに仮眠することにしている。カフェインや強壮剤を飲んでがんばってもなかなか眠気は取れないが,たとえ5分でも深い熟睡の効果は大きい。だが,この交通量ではドレミに運転を交代してもらうのはリスクが大きい。どこの国を走っていてもこのような状況は少なくない。

お店のあるスタンドの駐車スペースに車を入れる。ドレミがお店に行く気配を感じながらリクライニングした運転席で目をつむる。5分の熟睡のためにはじっと目をつむる時間を結構必要とする。

30分ほど経ったろうか。自分がどこにいるのかすぐにはわからないほどの深い眠りから目覚めた。椅子を起こして窓の外を見ると,車止めのコンクリートに座って文庫本を読んでいるドレミを見つけた。ドアを開閉すればボクを起こしてしまうので車に戻らず外で時間を潰している。ザルツブルクの郊外でもウェールズの森の中でもこうして外で本を読んでいた。ボクが起きたのに気づいて立ち上がり服のほこりを払っている。熟睡して完全に回復した。

さあ,マンハッタンに向かう渋滞に突入することにしよう。今度はいつ,どこの国をドライブしようか。


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