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栗拾いとコスモドリア

ある日の夕方,ボクは東京へ向かう妻のドレミを高速バスのパーキングへ送った。

中央道原のバス停

数日前から義母が発熱してとうとうひとりではベッドから起き上がれない状態になってしまった。急なことで近所に住む義弟たちもやりくりがつかない。八ヶ岳からは遠いが高速バスに乗れば2時間半ほどで新宿に着く。ドレミがしばらく実家に泊まり込みで看病に行くこととなった。

バスの時間を待つ間,ドレミが駐車場一面に落ちている栗を拾い始めた。この辺りでは粒の小さな栗は食べづらいので落ちていても誰も見向きもしない。でも茹でれば味はほくほく小さくても普通の美味しい栗である。

ドレミは義母への土産にそれをカバンに詰めると,残りをウチの車のトランクにも積んだ。やがて新宿行きのバスが来て,ドレミを乗せると薄暮の中に走り去った。

ボクは一人で帰宅するとすぐにイガから栗を出して水に漬けた。

翌日には茹でて包丁とスプーンで実を掻き出し,砂糖を加えて冷凍した。小粒なのでとても苦労した。

義母は幸いコロナでもインフルエンザでもなくただの風邪だった。だが,ただの風邪でも高齢者がムリをしてこじらせると怖い。ドレミが駆け付けた翌日は,一人では立つこともできず,病院に行くために車まで台車に乗せて運んだと言う。抗生物質の点滴を受けるために丸三日通院した。義母がようやく身の回りのことを自分でできるようになるまでに回復したところで,ドレミは最終バスに乗って八ヶ岳に帰ってきた。

「お帰り,お疲れ」

深夜のバス停でボクはことさらぶっきら棒に彼女を迎えた。たった三日会わなかっただけなのに妻の帰宅に小躍りするというのも照れ臭い。それを隠そうとするときボクは天才クッカーである。クッカーとは造語で,なぜコックではないのかと言えば,味音痴の妻以外にはテイストする人間がいないからだ。天才と断定するにはいささか客観的評価に欠けている。

香辛料でソテーした鶏もも肉と小エビとエリンギをいったん取り出したフライパンで,みじん切りした玉ねぎと小麦粉をバターで炒めて牛乳を加えホワイトソースを作る。冷凍しておいた栗をたっぷりと混ぜこんでから鶏やエビを戻す。エリンギは高すぎて手が出なかったマッシュルームの代わりである。

炊き立てのご飯にソースを回しかけ,あとはグラタンと同じ要領でロイホのコスモドリアの完成である。若いころからロイホに行くと妻はバカの一つ覚えの如くコスモドリアを注文した。彼女は栗好きには違いないが,リーズナブルな値段も大きな理由だったろう。最近はとんとファミレスに行く機会も減りコスモドリアは思い出の味になった。

天才コスモドリア

ボクはバス停で栗拾いしているときから,ドレミが帰ってきたらコスモドリアを再現して労おうと決めていた。



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