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標高1150mの蝉事情

猿江町に住む親友チョコちゃんがSNSで「今夏の初蝉の声を聞いた」と投稿した。それにコメントしたのが始まりだった。

「蝉がお江戸の梅雨明けを知らせにきましたか。」

猿江町は数か月前までの職場の近くだったので下町の蝉しぐれを懐かしく思い出した。

「そちら(八ヶ岳)のセミは涼しげ~」

とチョコちゃんから返信があってふと考えた。

しらべ荘(八ヶ岳の我が家)でセミの声を聞いた記憶がなかった。本州以南の蝉は標高の高い場所にはいないというのが定説である。

「うーん。しらべ荘でセミは聞いたことがないかなぁ。たぶん,標高が高すぎるのだと思います。今年,どの辺まで下ると蝉が聞こえるか調査してみます。」
「そうなんですね! ぜひ調査結果を。」(以上,コメントのやり取り)

念のためネットで検索してみると,今のところセミは標高800メートル以上のところには生息しないという従来通りの定説を踏襲する記述がほぼ大勢を占めている。

ところがそれから数日後,標高1150メートルのしらべ荘でも30℃くらいまで気温が上がった日の夕方に,近くの森から確かに蜩(ヒグラシ)の声が聞こえた。

カナカナカナカナ…

なんだ,ボクの記憶も当てにならないではないか。…いやもしかしたらヒグラシが鳴くようになったのは最近のことなのかもしれない。

さらに数日後,朝のウォーキングの道端に妻のドレミがヒグラシの亡骸を見つけた。

息絶えたばかりのようで,まだ体色が美しいヒスイ色だった。ボクはさっそくチョコちゃんに報告した。誰も騒ぐ人はいないが,これは定説を覆す大事件なのではないだろうか。

生息しているセミは蜩だけではなかった。偶然,我がバンド「イリタマゴ」が去年の真夏にしらべ荘で撮った動画を見返していたときのことだ。臨場感を出すために演奏の途中に庭や空の映像が音声つきで挿入してある。なんとその中でアブラゼミが鳴いていたのである。編集のとき「夏らしい音だ」と思って挿入した記憶はあるが,原村でセミは鳴かないと思い込んでいたために違和感を意識することができなかった。原村には少なくとも二種類の蝉が生息していることが確認できた。

そして昨日(7月30日)の朝である。

庭の水道の脇で空蝉を発見した。梯子を包んだブルーシートの網目にしがみついて羽化したらしい。

マクロレンズで空蝉を撮影しているときに目の前に羽化したばかりのアブラゼミが留まっていたので驚いた。レンズを近づけても動かない。森の朝がこんなに冷えるとは知らなかったのだろう。死んでしまっていると思った。

ところが午後に見るとアブラゼミはどこかに飛んで消えていた。どうやら朝は気温が低すぎて仮死状態だったようだ。

これで遅くとも7年前の2016年の夏にはアブラゼミが標高1150メートルのしらべ荘の庭に卵を産んでいたことが証明された。一般への情報提供はないようだが専門家はこの事実をすでに知っているのだろうか。

地球温暖化でなければ説明がつかない。セミだけではないだろう。自然界には専門家が見て見ぬふりをしている事実がまだまだたくさんあるように思う。もしも温暖化が本当に人為的な要因で起こっていることだとすれば,認めるべきは早く認めて抜本的な対策を打たねばならない。

天気予報を伝えるアナウンサーが淡々と使う気象庁の言葉を借りれば,この夏も東京を始め大都市の気温は「命の危険が」あり,「躊躇なく冷房を使う」べき暑さだそうだ。要するに2ヵ月以上にわたって,東京はセミならぬ人類が生存できない場所になっていると言える。それを1千2百万人が生存可能とするまで冷やすのにいったいどれだけのエネルギーが消費されているのだろう。車にしてもオール電化住宅にしてもそうだが,電気は自然にダメージのないクリーンなエネルギーだと本気で思っているのだろうか。そこにも事実を見て見ぬふりをしている専門家や政治家が大勢いる気がする。

ラパスの例もある。東京を放棄して高地に遷都することもあながち冗談ではなくなってきていないだろうか…と無責任な素人は空蝉を見ながら思う。移住したボクたちを東京が追いかけてきたりして…。

今日も暑くなりそうだが,それはボクが東京で子どもの頃に過ごしていたフツウの夏の暑さである。

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