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④海老チャーハンと玉子チャーハンで考える

10月26日から開かれている臨時国会では、日本学術会議が推薦した105名のうち、6名の学者を菅義偉首相が任命しなかった問題について、議論が白熱しています。この問題では、新たな手法によるごまかしがおこなわれているようです。今回は『国会をみよう 国会パブリックビューイングの試み』の実践篇として、日本学術会議の任命問題について、お話を伺いました。

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新手の「ご飯論法」の出現

──「ご飯論法」が、さらにチャーハンに進化したという記事を新聞で読みましたが、それはどんなものですか。

 10月7日午後の官房長官記者会見で、東京新聞の村上一樹記者が発した問いに対する加藤勝信官房長官の答えかたのおかしさを、チャーハンに譬(たと)えてツイートしてみたんです。実際の官房長官記者会見でのやりとりについては、巻末に掲載した資料1をご覧ください。

エビチャーハンを作っていたのを玉子チャーハンに変えましたよね、という質問に対し、同じシェフが作っておりその点においてなんら変わりはない、と言っているようなもの。

 日本学術会議法第7条第2項には、「会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」とあり、推薦された者の任命を拒否できるという規定はありません。

 また、1983年に、現在の推薦による任命制へと変更がおこなわれたさいの国会審議では、中曽根康弘首相(当時)が「政府がおこなうのは形式的任命にすぎません(*1)」と答弁しています。なのに、なぜ任命拒否ができるのかが、官房長官記者会見でもくり返し問われていたのです。

 10月6日に、政府は「日本学術会議法第17条による推薦と内閣総理大臣による会員の任命との関係について」の解釈を明確化したとされる2018年11月13日付の文書を公表しています(*2)。そこには「内閣総理大臣に、日学法第17条による推薦のとおりに任命すべき義務があるとまでは言えない」と記されていました。

 「形式的任命にすぎません」という1983年の答弁と、「推薦のとおりに任命すべき義務があるとまでは言えない」とする2018年の文書では、意味するところは明らかにちがいます。解釈が大きく変更されたように思えます。それなのに、解釈変更を加藤官房長官は認めようとしません。

 83年の丹羽兵助総理府総務長官(当時)の答弁では「学会の方から推薦をしていただいた者は拒否はしない、そのとおりの形だけの任命をしていく(*3)」と明言されています。当時の内閣法制局の考えかたについては、資料2をご覧ください。

 10月7日午後の官房長官記者会見に先立つ同日の衆議院内閣委員会では、今井雅人議員の質疑に対して大塚幸寛内閣府大臣官房長が、任命制になったときから考えかたを変えたということではないと答弁していました。けれども、考えかたを変えていないのならば「拒否はしない」でないとおかしい。それなのに「推薦のとおりに任命すべき義務があるとまでは言えない」になったのはどうしてか。それを村上記者は、10月7日午後の官房長官記者会見で問うたわけです。

 その問いに対する加藤官房長官の返答は、憲法第15条第1項にあるように「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である(*4)」から、「任命権者である内閣総理大臣が推薦のとおりに任命しなければならないというわけではないという考えかたを確認した」と。そして、83年の国会答弁までも「現憲法のもとでなされたわけですから、このような前提でなされたものであると認識をしています」と答えたのです。要するに、過去の答弁の見方までも、現在の時点から塗り替えようとしてるわけです。

 83年の答弁と現在とでは、判断が変わっちゃってるじゃないですかと指摘しても、それを認めない。憲法第15条第1項に基づいているのは同じで、83年当時も、この前提のもとで判断していると。でも、加藤官房長官は村上記者の質問に直接的には答えてないんです。「拒否はしない」と答弁していたことと「推薦のとおりに任命すべき義務があるとまでは言えない」ということのちがいについて訊ねているのに、どちらも憲法第15条第1項に基づいているという説明をくり返していたのです。


チャーハンに譬えることで、おかしさがあらわに

──83年の政府見解と現在の解釈は明らかに変わったように感じられるのに、それを認めようとしない論理についてはわかりました。

 さらに詳しく見ていくと、83年の答弁も「現憲法のもとでなされた」と加藤官房長官は説明しますが、83年の答弁も現在の答弁も解釈は「同じです」とまでは言わない。だから、わざわざ「解釈を変更したものではない」という言いかたをしています。その後は「一貫した考えかた」に基づいているという説明もおこなっていますね。

 要するに、「推薦をしていただいた者は拒否はしない」とか「形式的任命にすぎません」という過去の政府見解を、「あれは間違いでした」とも言えないし、「正しい」とも言えない。だから、「これとこれはちがうでしょう」と指摘したときに、「どちらも憲法第15条第1項に基づいているという意味では同じです」というような答えかたをしている。

 同じ憲法に基づくものだから解釈を変更したものではないという論理のおかしさをわかってもらうために、冒頭で紹介したようにチャーハンに譬えてツイートしてみたんです。

 官房長官記者会見や国会答弁と、チャーハンによる譬えとをひとつひとつ対応させてみると、シェフとは、任命権者たる内閣総理大臣です。憲法第15条第1項は、「公務員を選定し、およびこれを罷免することは、国民固有の権利である」と規定しており、日本学術会議法第17条は、「会員は内閣総理大臣が任命する」と規定している。そのシェフが作るチャーハンが「任命」という行為です。

 シェフとした理由は、『料理の鉄人』で威厳を持って立っている中華の鉄人のイメージを借りたから(笑)。それで、83年の答弁を「海老チャーハン」、2018年の解釈の明確化とされるものを「玉子チャーハン」に譬えてみたのです。

 現在では「海老チャーハン」を注文すると、なぜか「玉子チャーハン」が出てくる。これはおかしくないですかと訊ねると、「いやいや、同じシェフが作っておりますので」という答弁が返ってくる。でも、「海老チャーハン」と「玉子チャーハン」は明らかにちがいます。だから、「海老チャーハンと玉子チャーハンは同じです」とまでは言えません。そのため、「同じシェフが作っております」という説明になるわけです。

 注文とはちがうものが来ているにもかかわらず、まだ、法律上は「海老チャーハン」なんです。なぜなら、日本学術会議の推薦に基づいて任命しており、解釈変更もおこなわれていないわけだから。そういうわけで、メニューには「海老チャーハン」と書かれている。それが法律に記載された文言なわけですね。だから、それに従って「海老チャーハン」を頼んだら、「玉子チャーハン」が来てしまう。「これは注文したもの(法律に書かれた内容)とちがうだろう」と言ったら、「いやいや、同じシェフが作っております」という返答をくり返す。でも、それでは説明になってないよね、ということです。屁理屈だということをわかってもらうための譬えです。


ごはんで考える論点ずらし

──同じシェフが作っても、注文した品とちがうものが来たら、やっぱりダメですよね。看板に偽りありになってしまう。

 たとえ同じシェフが作っていたとしても、「海老チャーハン」を注文して、「玉子チャーハン」が出てきたら、おかしいことは実感としてわかりますよね。

 たぶん、海老チャーハンから、いろいろ抜いたんですよ(笑)。要するに、6名除外というのは、海老を抜いたということなんです。だから、「海老チャーハンから海老が取り除かれたのは、なぜですか? 注文とちがっていませんか」と記者が問うているのに、それには答えない。そして、6名の任命を拒否したのではなく、99名を任命したのだといった説明をくり返す。その説明もチャーハンに譬えてみると、「取り除いたのではありません。チャーハンを作ったら、後に海老だけが残っていたんです」と答えているようなものです(*5)。

 注文どおりに「海老チャーハン」が出てこないのはおかしい。つまり、推薦のとおりに任命されないのはおかしい。そのことが問題になり、日本学術会議は6人の任命を求める要望書を提出しました。野党は国会で追及し、官房長官記者会見では記者がくり返し質問し、多くの学会や文化団体も声明を出しました。一般国民も見ている。それなのに「玉子チャーハンで何が問題ですか」と開き直っている。そのときに、くり返し憲法第15条第1項を持ち出してきますが、それって理屈になってないよねということをわかってもらうための「海老チャーハン」と「玉子チャーハン」なんです。

 ですから、「チャーハン論法」という新しい言葉を流行らせたかったわけではなく、この譬えを念頭に置くと、その後の言い訳も、枝葉末節なものなのか、それとも他の言い訳を付け加えたものなのか、再び憲法第15条第1項に戻ったのかが、よくわかるようになると思うんです。

 論点ずらしの骨組みだけを、ごはんに譬えて理解しておく。「ごはんで学ぶ論点ずらし」を念頭において、国会審議をみると、もっといろんなことに気づけるようになると思います。


*1
1983年5月12日、参議院文教委員会。

*2
2018年11月13日に内閣府日本学術会議事務局が作成したとされる「日本学術会議法第17条による推薦と内閣総理大臣による会員の任命との関係について」一部抜粋

3. 日学法第7条第2項に基づく内閣総理大臣の任命権の在り方について
 内閣総理大臣による会員の任命は、推薦された者についてなされねばならず、推薦されていない者を任命することはできない。その上で、日学法第17条による推薦のとおりに内閣総理大臣が会員を任命すべき義務があるかどうかについて検討する。
(1)まず、
①日本学術会議が内閣総理大臣の所轄の下の国の行政機関であることから、憲法第65条及び第72条の規定の趣旨に照らし、内閣総理大臣は、会員の任命権者として、日本学術会議に人事を通じて一定の監督権を行使することができるものであると考えられること
②憲法第15条第1項の規定に明らかにされているところの公務員の終局的任命権が国民にあるという国民主権の原理からすれば、任命権者たる内閣総理大臣が、会員の任命について国民及び国会に対して責任を負えるものでなければならないこと
からすれば、内閣総理大臣に、日学法第17条による推薦のとおりに任命すべき義務があるとまでは言えないと考えられる。
(※)内閣総理大臣による会員の任命は、推薦を前提とするものであることから「形式的任命」と言われることもあるが、国の行政機関に属する国家公務員の任命であることから、司法権の独立が憲法上保障されているところでの内閣による下級裁判所の裁判官の任命や、憲法第23条に規定された学閤の自由を保障するために大学の自治が認められているところでの文部大臣による大学の学長の任命とは同視することはできないと考えられる。
・最高裁判所の指名した者の名簿によって行われる内閣による下級裁判所の裁判官の任命(憲法第80条及び裁判所法第40条)
・大学管理機関の申出に基づく任命権者による大学の学長等の任命(教育公務員特例法〈昭和24年法律第1号〉第10条)

文書の全文は、2020年10月8日の東京新聞の記事「政府が日本学術会議の任命拒否を認めた内部文書」をご参照ください。 https://www.tokyo-np.co.jp/article/60551

*3
1983年11月24日、参議院文教委員会。

*4
日本国憲法第3章第15条第1項
公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。

*5
「海老だけが残っていた」という説明は、2020年10月9日のbuuさん(@buu34)による下記のツイートがオリジナルです。

「炒飯からエビが取り除かれたのはなぜなんですか?」
「取り除いたんではありません。炒飯道の精神にのっとって炒飯を作ったら、後にエビが残ったんです」


資料1
2020年10月7日午後の官房長官記者会見

村上記者 東京新聞の村上です。日本学術会議の推薦についてお伺いいたします。今日の衆院内閣委員会で、1983年の国会答弁と2018年の文書とで、考えかたを変えたということではないとの答弁がありました。2018年の文書では「推薦のとおりに任命すべき義務があるとまでは言えない」としています。しかし、83年11月の参院文教委員会の丹羽国務大臣の答弁では、「学会の方からの推薦をしていただいた者は拒否はしない。形だけの任命をしていく」と明確に述べています。これ、この場でも何度も訊いていますが、改めてお伺いいたします。考えかたを変えていないのであるならば、いまも推薦者は拒否をしないということになりますが、どうしてそうなっていないんでしょうか。

加藤官房長官 あの、そこはすでにお配りをした文書でもありますが、憲法第15条第1項の規定に明らかにされているとおり、公務員の選定任命権が国民固有の権利であるという考えかたからすれば、任命権者たる内閣総理大臣が推薦のとおりに任命しなければならないというわけではないという考えかたを確認をしたわけでありまして、昭和58年の国会答弁も当然、現憲法下、のもとでなされたわけでありますから、このような前提でなされたものであると認識をしております。

村上記者 東京新聞の村上です。そうしますと、これも午前の会見とまた同じくり返しになってしまうかもしれませんが、昭和58年、1983年の国会での答弁も現憲法下でなされているということになりますと、83年の段階で「推薦をしていただいた者は拒否はしない。形だけの任命をしていく」、この答弁というのはそもそも妥当だったんでしょうか。

加藤官房長官 そうした答弁ももちろん踏まえて整理をさせていただいているわけでありますし、あくまでも先ほど申しあげた確認文書の中身に沿って、これまでも対応してきたということであります。


資料2
1983年、内閣法制局の「法律案審議録」に掲載されている「日本学術会議関係想定問答」

(問17) 日本学術会議法第一条で、日本学術会議は、内閣総理大臣の所轄機関となつているが、所轄機関とは何か。また、内閣総理大臣は所轄機関である日本学術会議に対し、いかなる権限を有するのか。

(答) 日本学術会議は、独立して職務を行う(日本学術会議法第三条)独立性の強い機関であり、総理府の所管大臣としての内閣総理大臣との関係は、所轄という用語で示されているように、所轄大臣との関係は薄いものとされ、いわゆる行政機構の配分図としては、一応内閣総理大臣の下に属することを示しているものと考えられる。
 したがつて、特に法律に規定するものを除き、内閣総理大臣は、日本学術会議の職務に対し指揮監督権を持つていないと考える。
 指揮監督権の具体的な内容としては、予算、事務局職員の人事及び庁舎管理、会員・委員の海外派遣命令等である。


次回は「これも『ご飯論法』?」です。

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