「ジブリみたい」を禁止したい

予測変換が言いたいことの先を言ってくれ、ヤバい、に大体の言葉が代替されてしまう世の中、
ボキャブラリーが豊かな人は絶滅危惧種といってもよい。保護して丁重に扱うべきだ。

ボキャブラリーが乏しい人は何かと損であると思う。
診察で痛さをズキズキとしか言えない人は緊迫度が今ひとつ伝わらない。

料理をほめるときに美味しいしか言えない人は作り手のモチベーションを上げないし、成長させない。

その際たるものが、鬱蒼とした森を見たとき、機械仕掛けの人形を見たとき、蔦が巻きついた家を見たとき、地中海風の家と海のコントラストを眺めたとき、その全てに対して「ジブリみたい」と言う人だ。

目の前でそれを多用する人には、1週間ほどかけてスタジオジブリの歴史と作品を全て勉強してほしいと思う。
ひとくちにジブリといっても、『平成狸合戦ぽんぽこ』と『紅の豚』では全くといっていいほど世界観が違っている。

それを全て大きなひとくちでジブリ!と平らげてしまうのである。とても悲しい。

無理矢理ジブリに例えようとすることは論外だが、せめて、「ジブリみたい」と言いたいときは作品名まで出して欲しい。そうすれば聞き手も、その作品と目の前の景色の共通点を必死になって探すことができるというものだ。

目の前の景色を例えるときは、自分がフットボールアワーの後藤輝基に成り代わった気持ちになって、思い切って具体的なワードを出してみて欲しい。最初は誰にも伝わらなくとも、いずれその感性が共鳴することもあり、周りが順応してくることもあり、表現がうまくならなくても考えていることが伝わるようになるだろう。

#コラム #ジブリ

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