新卒から7年間お世話になった、DeNAでの話

この度、起業する事になったので、世の中の方々にもう少し自分の事を知って欲しいし、その上で色んな方との繋がり/コミュニケーションが持てたらなぁという事で、自己紹介がてらDeNAでの話しをツラツラと書こうと思います。思い出の写真と思い出の一言と共に。
特にオチとかは無いので、その点、ご了承下さい!!m(_ _)m


<DeNAとの出会い>

DeNAとの出会いは2010年、自分がまだ学生で外資系企業への就活に躍起だった頃でした。漠然と「日本の未来明るくないし、海外で一旗揚げれる人にならないと!」ぐらいな考えで外資系コンサルとか受けてた頃です。

そんな頃に映画「ソーシャルネットワーク」を見て

インターネット、超かっけぇーーじゃん!!!絶対これだ!

と超無邪気に感じました。

日本のネット企業とかシリコンバレーの会社とかについて調べてる中、DeNAの採用チームの社員の方々とも出会えて「DeNA面白そう、一旦説明会行ってみるか〜」みたいなノリで南場さんスピーカーの会社説明会に行きました。
南場さんの話が好き過ぎて、合計3回?は説明会に行きました(暇すぎる笑)。


<内定者インターンの頃>

DeNAから内定を貰う前から社長室とか色んな部署でインターンさせて貰ってました。
当時の上司は守屋さん・赤川さん・柴田さんっていう順番で(みんな執行役員クラス・・・!)、マジで贅沢だったなぁと思います。当時はあんまり貴重さを分かってなかったのが悔やまれる笑。

この頃に習った言葉で、

雨が降っても自分のせい。

っていう言葉がありまして、今も凄い好きです。自責・他責みたいな話で、自分ではどうしようも出来ない事すら自責と捉えた方が成長するって話ですね。

そんなこんなで、周囲の社員さんもアツいし優秀だしハードボイルドな社風も好きだったので、最高だなと思って入社を決めました(自分史上、最高の意思決定の1つ!)。
※ちなみに今は社風も多少マイルドになってますのでご安心下さい笑

一緒に入社した同期が勢揃いの最高な写真@ハマスタ。


<韓国ゲーム事業部の頃>

2012年入社後、すぐ韓国ゲーム事業部に配属されました。「バハムート等の大ヒットウェブゲームをアプリでくるんで韓国に輸出する」っていうのが大方針で、自分はゲームリリース時のPF側のキャンペーン企画やらを最初やらせて頂き、1年目の秋ぐらいからソウルオフィスに赴任して現地マーケ部門の立ち上げに関わってました。

仕事も出来ないし英語も喋れないしで、最初はマジでキツかったのですが(白髪が一気に増えた!!笑)、メンターの中俣さんのお陰で何とか生き残る事が出来ました。
当時は土日も一緒に居たし家族以上の濃厚な毎日で、青春だったなぁーとしみじみ思います。

恩師の中俣さんが言っていた個人的な名言で、

毛穴からにじみ出るスピード感。

っていう言葉があって、めちゃ分かりやすいしDeNAっぽくて好きでした。今でもたまに思い出して「毛穴からはスピード感にじみ出てないな」って自戒してます。

そんな中俣さんとのお気に入りのツーショット。


<自動車事業部とAnycaの立ち上げをしてた頃>

ちょうど2014年、国内のアプリシフトも一気に加速するような時期でした(まだGunosyさんのアイコンが「G」だった頃)。DeNAとしても、大黒柱のゲーム事業が伸び悩む中、次の事業の柱を本気で作らないとという時期でした。

そんな中、こばけんさん・中島さんという強強な少数チームに異動となり、モビリティ領域に投資して行こう・個人間カーシェア事業のAnycaを立ち上げようという話を決めて行きました。

Anycaの投資決裁を貰いに行った経営会議で南場さんに言われた一言は今も語り草です。

他人に自分のクルマを貸すなんて私は絶対に使わない、流行らないと思う。

まぁ創業者に言われるとパンチのある一言でしたが、自分もアツアツに温まってたので、

南場さんはターゲットユーザーじゃないです!

っていう超生意気な事を言った記憶があります笑。

Anycaの立ち上げ話はそれだけでも濃密なので、また別のnoteで書こうと思います!
結果的に100億円のバリュエーションでSOMPOホールディングスさんとJVを作る事になったので、我が子が今後も生き長らえられて凄く嬉しいし、後を引き継いでくれたメンバーに感謝してもし切れないです。

Anyca1周年イベントの時の写真。


<DeNAトラベルへの異動打診が来た時>

2017年夏頃に急遽上司に呼び出され社長室に入ったら南場さん・守安さんが神妙な雰囲気で座ってて、「DeNAトラベルに社長出向してくれ」という事を伝えられました(和ませるためか「DeNAトラベルって知ってる?」みたいな謎な質問もありつつ笑)。
青天の霹靂すぎてその場で処理しきれず「一晩だけ考えさせて下さい」と伝えました。

そこからの24時間は激動でした・・・笑。まず嫁に電話をしパニックぶりを露呈しつつ、尊敬する先輩方や父親など、信頼できる人に突撃で相談をしました。また、Anycaのコアメンバーを飲みに呼び出し、腹を割って話したり・・・。

その時に今でも心に残っているのが、自分の社会人生の大半を支えて貰った中島さんと、Anycaの責任者を引き継ぐならこの人!と思っていた馬場ちゃんの一言です(偶然内容が一致しました!)。

大見にとっては凄いチャンスだよ。大見が抜けた後はどうにかするから、チャレンジしたら良いと思う。

今でも当時を思い出すと複雑な心境で胸がザワザワしますし、ふっと涙もろくなったりしてしまいます。一緒にプロダクトを作って来たメンバーを裏切る形になるので。
その後のAnycaを支えて下さった方々に本当に感謝しかありません。


異動打診後、2週間後には受け取ってた名刺。激動過ぎた・・・笑


<DeNAトラベル出向から企業譲渡まで>

結果的に、僕にとってDeNAにおける最後の大きなプロジェクトでした。

今振り返ってもかなりハードなプロジェクトで、管理体制の不備や業績悪化が重なっていて、かつ社員数は300人以上で事業部も5つ以上あり(シンガポールに子会社も)、幹部は自分よりシニアな方が殆どという感じで。。。
DeNAの旅行事業に対する投資方針を決める事が大事なミッションの1つだったため、急ピッチで業界研究も進めました。

結果的にエボラブルアジアさんに会社譲渡する形となり、今は「エアトリ」というブランドにて [国内航空券はエボラブルアジアさん]・[海外航空券は旧DeNAトラベル] というお互いの強みを活かした組み合わせでぐいぐい成長しています。

最終的な着地に至るまで、当然色々あるのですが(本当に色々。。。苦笑)、途中自分がプレッシャーに押し潰されそうになった時に、Anyca時代からお世話になっていた原田さんからゲキを貰ったのが今も忘れられません。

そんな覚悟なんだったら経営者を目指すなんて一生口にするな!

いつも温厚な原田さんにゲキを入れられたのはこの時が最初で最後でした。お陰で奮い立てましたし、最後まで強い気持ちを保つ事が出来ました。


<その後、起業に至るまで>

DeNAトラベルから2018年の夏頃に帰任した後、疲れ切っていた&ウェブ業界の動きを全然追えて無かったという事もあり、中国やインド等に出張させて貰い色々見させて貰いました。

現地のスタートアップ等に会ったりする中で、

日本ならではの特徴とか強みを活かさないと世界での勝負には勝てない。

という感想というか結論に至りました。

そんな背景もあり起業ネタも「食」にまつわるものなのですが、元々はDeNAの社内新規事業として練っていました。結果的に今回は社外で起業する事になりましたが、DeNAグループとも連携しつつ世の中を良く出来たらと思っています!
(起業ネタはまた今度、別の note で書かせて下さい〜)


以上、長々と駄文を失礼致しました。
今後もどうぞ宜しくお願いします〜!!

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