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目立つことが怖かった小学校時代

4ヶ月ほど前、近所を散歩していたときのこと。

小学校の校庭が目に入った。野球をしている子どもたち。まだ4月だというのに強い日差し。全力で白球を追いかけている。あ〜なんだか懐かしい光景だな…。自分が小学生だったときも、地域の野球チームが放課後に野球をしていたっけ。

自分はどんな小学生だったか、ちょっと振り返ってみたくなった。

これといった習い事もしていなかったので、毎日家と学校の往復のみ。通学路に咲いているヒメオドリコソウの蜜を吸い、家に帰る。家にパソコンがあったので、ゲームをして遊ぶこともしばしば。

ヒメオドリコソウ

高学年になると、放課後に学校の遊具で遊ぶことも多かった。タイヤ転がし(通称:タイころ)なるものがなぜか流行っていたんだけど、うちの小学校だけだろうか?
説明すると、一人がブランコに向かって(ブランコを横から見て三角形に見えるところを通過するように)タイヤを転がし、ブランコに乗っている人たちはタイヤに当たらないようになんとかして避けるというもの。当たるとタイヤ転がす人と交代する。暗くなるまでやるくらいめちゃめちゃおもしろかった。そのうち怪我する人が出たので禁止になったのだけど。

進研ゼミをやっていたので、家では宿題と進研ゼミに取り組む。ただ、奇数月は大相撲中継を見ながらなので、なかなか進まない。

勉強は好きだったし、そこそこ頑張っていた気がする。思い出深いのは100マス計算をいかに早く終わらせられるか競争したこと。1分59秒でクラス1位になったこともある。(てか100マス計算って今も学校でやるの?)

運動はからっきしだめ。足は遅いし、泳げないし、何をやってもダメ。きっと母に似たんだろう。縄跳びだけはめちゃめちゃ練習して二重跳びができるようになって、運動会で二重跳びの成果を披露するメンバーに選ばれた。なんであんなにがむしゃらだったのか分からないんだけど笑

そんな小学生時代、一番何を意識していたかと言われたら「目立たないこと」だったと思う。いつからそんな想いが芽生えたのか定かではないが、物心ついたときから目立つのが嫌いだった。人前で話す、発表する、みんなの視線を感じるのが嫌。恥ずかしい、失敗したくない、心臓がドキドキしてしょうがなかった。

だから、泳ぐのが遅いとか、走るのが遅いのは仕方ないとしても、それを見られるのが嫌だった。勉強は好きだけど間違えたら嫌なので、答えが分かってても手を挙げない児童だった。学級会でもそう。自分の意見とかない人間だったので発言もしなかった。だから、自分の意見がある人を「不思議だな〜」「すごいな〜」と思って見ていた。

あれよあれよという間に小6になり、委員会や地区児童会的なものを引っ張っていく学年になった。当然ながら委員長や自分の学区の長なぞ、はなからやる気なんかない。委員長は運良く他の子が立候補したので事なきを得たものの、問題は地区児童会だった。学区のメンバーの誰一人として「自分がやる!」と立候補するものがいなかった。良く知っている仲の良いメンバーなのだが、この時ばかりは、「誰かやれよ!」「なんで誰もやらねぇんだよ!」と怒りとイライラが最高潮に達した。結局じゃんけんか何かで自分が長をやることになってしまった。最悪だった。児童会の日が近づくと、役員の方にどう会を進めたらいいか電話で相談して準備をした。それでも信じられないくらい毎回緊張して児童会をやっていた。二度とこんな役まわりしてたまるもんか、と誓った。(あのとき真摯に相談に乗ってくれた役員の方、ほんとうにありがとうございました!!!)

将来これになりたい!っていう夢や目標もなかった。なりたいものなんてなかった。だから、2分の1成人式のときは困った。どうしよう・・・。
公民館で開かれていた囲碁教室に通っていたから、とりあえず棋士ということにして、なんとか乗り切った。

そんな小学校時代。


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