東京の郊外でデザインは可能か?

サラリーマンを卒業したのが15年前の2004年6月。42歳の時でした。正直、これ以上、都心への会社勤めを続けていたら、精神的に死んでしまうと感じての覚悟の逃亡でした。なんの保証も、次の仕事も決まっていませんでした。貯金もありませんでしたし、住宅ローンもたくさん残っていたし、娘二人の教育費もかかる時期でした。

けして、会社や仕事に恵まれなかったわけではありません。まわりから見たら、好きなことを好きなようにやっている会社員にしか見えなかったと思います。それでも、わけのわからない上司への説明など、会社組織の理不尽なこと、めんどくさいことがたくさんありました。そんなことの積み重ねが限界に達していたのでしょう。

また、まわりには、フリーで活躍している同世代のデザイナーや建築家がたくさんいました。彼らの仕事が輝いてみえました。いっしょに展覧会を企画する中で、ぼくだけが、会社員である違和感が、どんどん膨らんでいきました。デザインができない自分が、独立してやっていける自信は何もありませんでした。独立して何とかなるという気持ちはなく、会社を辞めないと死んでしまうという危機感が、退職を決意させました。

さらに、自分が育ち、住んでいる東京の郊外という地域と、仕事をしている地域とのギャップでした。自分が住んでいる地域と関係ない仕事をしていることへの違和感。自分がやっている仕事が、誰のため、何のためになっているのか。そうした疑問が膨らんでいきました。皮肉なことに、暮らしに関係している展覧会を企画する中で、その違和感がどんどん明確になっていきました。

会社を辞める時に決意したのは、できる限り自分が住んでいる地域の仕事をすること。デザインの仕事は、都心にしかないと疑いもしなかった学生時代。20年間のサラリーマンを経て、地元に戻り、できることを模索してきた15年間。まだまだ、道半ばだけど、少しずつ地域の仲間も、地域のデザインの仕事が増えてきた実感があります。

野望は、東京の郊外である多摩エリアを暮らしのデザインの最先端エリアにすること。東京の郊外という暮らしが溢れているエリア。そこに住む人たちの幸せは、どのようにしたら実現するのか。地域の課題を探り、地域の資源を活かして、さらに暮らしやすい地域にしていく。

東京の郊外には、デザインを必要としてる人がたくさんいます。これまでの工業的、商業的なデザインとは違う、本当の暮らしのためのデザイン。都心でも、地方でもない、東京の郊外のデザイン。これからも、その可能性を、探っていきます。



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