デザイン教育は、どこに向かっているのか

社会の中でのデザインの役割が変化して、大学でのデザイン教育も変わってきていると感じている。

ぼく自身は、4年前から明星大学デザイン学部の教授となり、美大ではない総合大学の中のデザイン学部というものをはじめて体験している。このデザイン学部は、受験にデッサンもなければ、専門的なデザイナーになることだけを目指している訳ではない。

デッサンと平面構成を予備校で鍛え、一浪して美大のデザイン学科に入学した自分にとっては、当初、このデザイン学部には違和感があった。どういう学生たちが入学し、ここで何を学び、どういう仕事につくのか。あまり想像できなかった。

4年前にはじまったデザイン学部では、今年はじめて卒業生がでた。デザイナーという専門職になる人は少なく、企業の企画、営業、販売、そして、公務員までいる。これから彼ら彼女らがどのように活躍していくのか、それぞれの仕事にどのようにデザインを活かしていくのかとても興味深いし、その活躍を期待している。

このデザイン学部では、デザインを企画力と表現力の掛け算としている。企画は、分析力と発想力と統合力。表現力は、美的構成力に加えて、プレゼンテーション力とコミュニケーション力だ。美大のデザイン学部では教えないようなことを教えている。デザイナーではない職種でも役立つような内容が多い。

実は、明星大学デザイン学部の前身は、造形芸術学部で、アートとデザインの11コースがあるユニークな学部だった。それがキャンパスの移転をきっかけに、大きくデザインに舵を切ることになった。

しかし、ここで面白いのは、デザイン学部をつくる時に、教員にアーティストがたくさん残っていたこと。絵画や彫刻、テキスタイルアートやガラス作家などデザインの専門家ではない人たちといっしょに、「デザインとは何か?」を議論して、新しい学部をつくった。そうすることで、デザインの原点に立ち返った新しいデザイン学部が誕生することになった。

そもそもデザインが、応用美術として、実社会に役立つ目的を持った表現とした試行錯誤の結果だと考えると、このデザイン学部成立のプロセスが、計画と造形というデザインの本質をしっかりと捉えることに成功したのだ。

現代の社会でデザインが役立つためには、企画力やコミュニケーション力が必要で、描いたり、つくったりするだけでは、仕事になりにくい。あるいは、下請けのような仕事になりがちだ。そんなあたりまえのことを考え、デザイン学部をつくった。

とても不思議な成り立ちではじまった明星大学デザイン学部。その本当の底力を、まだ、うまく伝えらえていない。

美大でも入試にデッサンのない学科が増えはじめている。これまでの美大にはいなかったようなタイプの人がデザインを学ぼうとしている。

さて、これからデザイン教育は、どうなっていくのか。アメリカでは、一般の大学でもデザインの講義があるという。デザインリテラシーのない人間は、ビジネスの現場でも役に立たなくなってきているのだろうか。

そうだとしたら、日本のデザイン教育は、まだまだ遅れている。すべての人がデザインを学んで、その力を仕事に活かすようになったら、社会はもっと魅力的なものになっていくのだろう。







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