僕の好きな漫画12「サバイバル」

今回ご紹介するのはさいとう・たかを著「サバイバル」です。

さいとう・たかをさんと言えば、言わずと知れた劇画界の巨匠です。代表作「ゴルゴ13」の主人公「デューク東郷」は、日本人なら知らない人はいないキャラクターと言っていいでしょう。あのぶっといまゆ毛とクールな瞳は一度見たら忘れられません。その過剰で濃すぎる個性ゆえ、幾度となくお笑いやギャグのネタに使われていますよね。

↑この目と眉。

ご本人のデビューは1955年と古く、戦後の漫画黎明期から貸本漫画の世界で活躍し、その舞台を商業誌に移してからは漫画界に「劇画」という新たな分野を確立した第一人者です。また、さいとう・プロダクションを設立し、それまで(今も)個人制作、家庭内手工業に近い制作スタイルだった漫画制作の現場において、初めて本格的な分業体制や脚本部門を導入した方でもあります。その後、さいとう・プロの出版部門が分社化したのがリイド社だそうで、兄の斎藤發司さんがさいとう・プロダクション及びリイド社の社長を務めているそうです。そのような事情があって、さいとう・たかをさんの作品は他社の雑誌に連載されている作品であっても、単行本はリイド社から出版されることが多いです。例えば『ゴルゴ13』は、小学館『ビッグコミック』連載ですが、単行本はリイド社出版されていますよ。

と、ここまでネットで情報を調べて書いてみましたが、スゴイ方ですね。劇画という表現を発明しただけでもスゴイのに、漫画の制作スタイルまで変えてしまうなんてスゴ過ぎです。劇画については当時、漫画のムーブメント=表現運動の一種と考えることもできますし、さいとう・たかをさん1人の手柄にしてしまうのは言い過ぎかも知れませんが、少なくともそのムーブメントの中心人物の1人であったことは間違いありません。どちらにしてもスゴイことには変わりないとして、もう1つの「分業制の開発」は特別な天才を感じます。「本当の天才は表現を変えるだけじゃなく、システムを変えてしまう」と誰かが言っていたのを聞いたことがあるのを思い出しました。まさにさいとう・たかをさんのような方のことをいうのでしょうかね。

と言ってしまうと、異論もあるかな?「何を言っているんだ?分業制は手塚治虫が作った物だ」というご意見もあるでしょう。確かに分業制の導入は手塚治虫さんや他の漫画家さんも行なっていますが、彼らはスタッフの雇用条件の整備にまでは踏み込みませんでした。彼らはエジソン型と言うか、「天才の仕事を手伝えるんだから、お金はいらないだろう?」と言わんばかりに、あるいは「労働基準法って何それ?美味いの?」と言わんばかりにスタッフを安く使い倒し、悪しき慣習を業界に残した存在でもあるのです。

漫画家と言えば「不眠不休、徹夜で寝る時間もなくで仕事をし続ける」というイメージは、その頃の少年漫画の作家さんが作ったイメージでしょう。漫画家のアシスタントやアニメーターの給料が生活できない程に安いのは、手塚治虫さんや宮崎駿さんが原因です。その時代の作家さんは、スタッフはタダ働き同然、お小遣い程度の賃金でボロボロになるまでこき使うのが常識だったりします。丁稚奉公、徒弟制の世界。天才達は人の使い方がめちゃくちゃだったのです。

さいとう・たかをさんの場合、長期的に事業計画を立て(=長期連載を請け負い)、生産体制を整え、組織の効率化を図ると共に、スタッフに安定した雇用と労働条件を提供できる仕組み作りを考えた点が違うように感じます。実際に見たわけではありませんが、スタッフの給料が高かったとか、労働時間など雇用諸条件が整えられていたという話は、業界に長くいれば何度か聞かされる話です。「時間管理が徹底していて、終業時間が来るとGペンで線を引いている途中であっても、作業をやめて全員退社する」とか、「作業の効率化をはかるためコピーが多用され、そのため机の横に大小様々な角度のゴルゴのコピーが入った瓶があり、瓶の底にはゴルゴの笑顔が眠っている(ゴルゴは笑わないので笑顔のコピーを使う機会がない)」だとか、嘘だか本当だか分からないような伝説を編集者に聞かされました。

漫画制作を個人事業から組織事業に押し上げようという発想がまず凡人には出来ません。作家はみんな、自分のことで精一杯だし、そろばんを弾くのが苦手な上に、お金の話をするのは創作に対して不純であるとさえ思っていますからね。他業種では当たり前のことでも、仕事をビジネスと捉えるだけで批判されるのが漫画界。そんな業界で凄まじいイノベーションを起こした人物です。

一方で、分業制が進めば作家としての個性は通常弱まるでしょうから、その点に批判もあるでしょう。でも、思い出して欲しいのです。あのぶっといまゆ毛と瞳は個性以外の何者でもありません。誰が描いてもさいとう・たかをさんの絵になってしまう点がスゴイと思いませんか?


今回は「サバイバル」のお話でしたね。この作品は、いかにも業界を大きな視点で捉えていたさいとう・たかをさんらしいというか、作品のスケールの大きさがハンパないです。個人に焦点を当てながら、大きな世界を描き出していくという手法が非常にキレイに決まっており、本当に掛け値無しに面白いです。毎度おなじみWikiを参照してみます。

『サバイバル』は、さいとう・たかをによる日本の漫画。1976年から1978年にかけて『週刊少年サンデー』(小学館)にて連載された。突如発生した世界的な地殻変動による巨大地震に遭遇し生き残った少年、サトルが過酷きわまる環境の中で生き抜こうとする姿を描く。さいとう・たかをが描く少年漫画の代表作の一つ。

あらすじ

洞窟を探検していた鈴木サトルとその友人たちは、突然の大地震に襲われる。サトルだけは何とか洞窟から抜け出し助かったが、しかし、外は信じられない光景であった。陸続きだったはずの土地は、殆どが大地震により水没し、周りを全て海に囲まれた島になっていた。一緒に行動をしていた友人達はもちろん、周りには人が1人も居ない。ただ独り取り残されてしまったサトルは、生き延びるために様々な知識や技術を身につけ、やがて海を越えて変わり果てた世界へ旅立つ。そして、行方不明の家族を探す長い旅が始まった。

今、あらすじを読んだだけでも面白そうですもんねぇ。古くは望月峯太郎さんの「ドラゴンヘッド」、最近では「自殺島」「漂流ネットカフェ」など、時折、漫画界に現れる終末サバイバル作品は、大体、この「サバイバル」と楳図かずおさんの「漂流教室」が原点なのではないでしょうか。

僕は高校生の頃、クラスメイトの久光くんにお薦めされて初めてこの作品に触れました。ある日の部活の帰り道、久光くんと2人で下校することがあり、それまで彼は友人の輪の中にいたものの、2人きりで話す機会はあまりなく、その彼が「サバイバル」のことを熱心に語り出したのです。夕日に照らされながら自転車にまたがり、2人で帰った道を僕は忘れられません。

いえ、それ程大げさな話ではないのですが、その作品がいかに面白いかを語り続ける久光くんと一緒に帰れたことが嬉しかったのです。自分の好きな物の素晴らしさを一生懸命伝えようとする姿を見て、それを伝える相手に自分が選ばれたことが嬉しかったというのかな?僕はその話を聞いて久光くんが大好きになりました。あ、BL的な意味じゃなくて。

別のある日、すぐに高校の近所の古本屋に向かい、作品を立ち読みしました。すごく面白くてお店にあった12巻までを一気に立ち読みし、その後、続巻が置いてある古本屋を捜して駆け回り、とにかく夢中になって読みました。(お金はないから立ち読みでね!)

最初は正直に言うと劇画特有の濃すぎる絵柄が苦手だったのですが、途中からそれが心地良くなり、最後は「この世界観はこの絵でしか成立しない」と思うまでになり…、そう言えば、僕もよくそんな風に読者に言われるな…。「最初は絵は苦手だったけど、読んだらハマった」みたいな。これが少年サンデーに連載されていたというのは、今では信じられないですね。

その頃、漫画はメジャーを目指していたと思うんです。映画やテレビのように大衆に向けて作られていた気がします。その中でメジャーがあるがらこそのマイナーもあり、細分化された作品が存在を許されてきました。一般があって、マニアが成立するというか。

「サバイバル」はメジャーを目指していたと思います。本当に一般読者、少年達を楽しませようと、あれこれ工夫し、面白おかしいストーリーを考えていたように思えます。その中で、「なぜペットのフクロウの名前は『フライデー』なのに、その後、ペットになる犬の名前は『シロ』なんだよ?」とか、『父親が地質学者だという設定は絶対、後から考えたでしょ?』とか、いろいろツッコミ所があったり、途中で展開がグダグダになったり、サトルの食への執着心がスゴすぎるとか、「結局、物語の目的は何だったんだろう?」と問題もないではないのです。

でも、それらは細かいことで、途中に随時挟まれるサバイバルウンチクは読んでいて賢くなったような気になれたし、その場その場をきっちり楽しませてくれるエンターテイメント作品でした。作中で「キノコのクルミあえ」という料理が出て来て、それがスゴく美味しそうに見えたんだよなぁ…。

多少、変な部分はあるにせよ、誰もが面白いと思える作品を真面目に正面から描こうとした超力作だったと思います。「見ろ、これがエンターテイメントだ」とでも言わんばかりの。ハリウッドが「キャストアウェイ」を公開した時、それを見て「アメリカの皆さん、日本には『サバイバル』というMANGAがあって、そっちのほうが100倍面白いです」と思いました。絵は必ずしも万人向けとは言えないし、どうにも消せない個性が画面から溢れ出てはいますが、メジャーを目指しているのはビシビシ感じるワケです。

イマドキの美少女キャラが萌えてる漫画は、そもそもは細分化したマニア層に訴える作品のはずで、それが隆盛を極めている漫画界というのは、実はメジャーが無くなり、マニアしかいない一般人には近寄りがたい世界になってはいないだろうか?と心配している僕には、「サバイバル」が内包する若々しく健全な生命力と毒が、とても魅力的に感じられます。「草食系」とか「萌え」とかもうお腹いっぱいです。それが悪いことではないけれど、そればっかりってどうよ?熱い漫画に出会いたいと思う今日この頃であります。

いえ、暑い漫画今もあるし、僕が知らないだけであるんでしょうけど。「進撃の巨人」や「テラフォーマーズ」がヒットするのは、そういう読者の反動なのかなぁと思ったり。

ということで「サバイバル」を未読の方はぜひ読んでくださいませ。

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