僕の好きな漫画11「銀と金」

この記事は漫画家・佐藤秀峰の好きな漫画、影響を受けた漫画、作家などを紹介するコーナーです。

前回は僕の漫画家としての師匠の高橋ツトムさんの「地雷震」という作品について書きましたが、続く今回はもう1人の師匠、福本伸行さんの作品について触れたいと思います。ご紹介するのは「銀と金」という作品です。

僕が福本さんの職場に就職したのは1996年。20歳の頃でした。当時、連載していた作品は「天 ~天和通りの快男児~」「アカギ」、そして今回ご紹介する「銀と金」でした。月刊連載が2本(天、アカギ)と隔週連載が1本と、月合計4本の執筆をこなしており、月産原稿枚数で言えば週刊連載作家よりも多い量を描いていました。その頃の「仕事が辛かった話」は、自伝的エッセイ「佐藤まんが道」でたっぷりと書いていますので、未読の方はご覧くださいませ。

福本伸行さんと言いますと、今となってはあまりにも有名な漫画家ですが、僕が働いていた当時はどちらかというとマイナー寄りの作家さんでした。
まだ30代と若く、ご本人も作品も凄まじくエッジが立っていて、すっごい怖かった…じゃなくて、「なぜ僕の先生はもっと売れないのだろう?」と思っていました。その後、続く「カイジ」で大ブレイクし、メジャー作家への階段を駆け登ります。

Wikiではどのように書かれているのか調べてみました。


福本 伸行(ふくもと のぶゆき、1958年12月10日 - )は、日本の漫画家・漫画原作者。神奈川県横須賀市出身。右利き。既婚。身長175cm

かざま鋭二のアシスタントを経て、1980年『月刊少年チャンピオン』(秋田書店)連載の『よろしく純情大将』でデビュー。主な作品に『賭博黙示録カイジ』、『アカギ 〜闇に降り立った天才〜』、『銀と金』、『天 天和通りの快男児』などがある。


1998年に『賭博黙示録カイジ』で第22回講談社漫画賞受賞。

1980年『月刊少年チャンピオン』掲載の『よろしく純情大将』でデビュー。
その後、なかなかヒットが出ず、ちゃんぽん店などでアルバイトをし生計を立てつつ、ちばてつや賞などへの応募を続けながら、長く下積みの生活を送る。

1987年、『ワニの初恋』で、第4回ちばてつや大賞を受賞。

主に人情ものを描いていたが、1980年代は日本経済の景気も良く、ギャンブルをテーマにした漫画が隆盛を極めていたため、仕事が取りやすいという理由でギャンブル漫画を描き始める。1980年代末より『近代麻雀ゴールド』に『天 天和通りの快男児』を連載。この作品は増刷されて福本の初めての人気作品となり、漫画家として名が知られるようになる。この頃から作品に「ギャンブルもの」が多くなり、『近代麻雀』連載の『アカギ 〜闇に降り立った天才〜』や、更にアウトローの世界の駆け引きを描いた『アクションピザッツ』連載の『銀と金』で、一躍人気作家となる。

1996年から『週刊ヤングマガジン』に『賭博黙示録カイジ』の連載を開始する。

『カイジ』シリーズは2010年現在で通算39巻、1000万部以上を売るヒット作となり、福本の人気を不動のものとした。2005年には『アカギ』が、2007年には『カイジ』がそれぞれTVアニメ化されている。
2007年10月からは『週刊少年マガジン』に『賭博覇王伝 零』を連載開始。現在、『近代麻雀』誌上で『アカギ 〜闇に降り立った天才〜』、『週刊ヤングマガジン』誌上で『賭博堕天録カイジ 和也編』、『週刊少年マガジン』誌上で『賭博覇王伝 零』の3作品同時に連載中。



少々情報が古いようで、現在は「カイジ」と「アカギ」、「新 黒沢」を連載中のはずです。お誕生日は僕と2日違いですね。(僕は12月8日だよ)作風に付いても言及があったのでその部分を引用します。


ギャンブル漫画の第一人者とされ、緻密な心理描写・強烈な人物描写を特徴とする、極限の勝負に賭ける男達を描いた作品が多い。麻雀に関する作品で知られるが、作中では既存の博打にこだわらず、数多くの独自のギャンブルを生み出している。

表現等の特徴

・デフォルメが強い、劇画を単純化したような絵柄が特徴であり、人物像に極端に角張った顔・尖った顎・鋭い鼻など鋭角的な表現を使う。一部では瞳にキラキラがアレンジされた形で入っていたり、睫毛が長いのもいる。

・「ざわ…」という擬態語がよく使われる。これは心理的なざわめきを表現していると考えられ、主に主要登場人物の背後で脇役たちが一様に動揺したり、場の空気が高揚する場面で使用される。

・台詞などの語尾に「っ…!」「…!」「…」がよく使われる。小学館発行誌のような句読点が使われる雑誌に掲載する作品でも台詞に句点がつくことはまれである。

・暴力団の構成員や、富豪のボディーガードなどの没個性的なモブキャラとして、よく「黒服」が使われる。特徴は角刈り・黒の紳士服・黒のサングラス。ただしこのような役柄でも、ヒゲや髪型などに特徴をつけて、通常のキャラクターとして扱うこともある。

・登場人物が精神的な衝撃や動揺を受けた時の表現の一つとして、「ぐにゃ〜っ」の効果音と共に絵全体を歪ませる。

上記の特徴は他の作家の作品でも、しばしばパロディとして模倣されている。



そのあまりに独特の表現から近年はパロディのネタとしても頻繁に使われているのを見かけますが、誰にも似ていない個性的すぎる絵柄や、他の追随を許さない複雑でスリリングなストーリー展開は、漫画表現の1つの到達点ではないかと感じます。

今回ご紹介する「銀と金」という作品についても調べてみました。

『銀と金』(ぎんときん)は、福本伸行による日本の漫画作品。
1992年から1996年まで『アクションピザッツ』(双葉社)に連載された。単行本は全11巻。裏社会を生きる男達の、株の仕手戦や政治家との裏取引などの駆け引き、殺人鬼や復讐に身を委ねた男と命を懸けた死闘、さらに福本得意のギャンブル勝負を描いた作品である。休載という形で連載終了し、現在に至っても再開されていない。物語中ところどころで語られる伏線を残したままで、事実上の打ち切りで未完の作品となった見方が強い。



説明では「事実上の打ち切りで未完の作品となった見方が強い」と書かれていますが、これは僕の記憶だと「カイジ」の連載が決まったため、「銀と金」は抱えきれずに終了となった印象があります。ある日、福本さんから「ヤンマガで短期連載をすることになった」と聞き、その頃から頻繁に講談社の編集さんと打ち合わせをしている様子が伺えましたが、程なく「やっぱり連載になった」と告げられ、その後、福本さんのほうから「銀と金」の連載終了を出版社に打診していました。

人気作品でしたので、「銀と金」の担当者は続行を求めて食い下がっていましたが、残念ながら終了となってしまいました。福本さんが電話口で「だから、辞めるんじゃないですってば!一旦、休んでヤンマガが軌道に乗ったらまた考えますって!」と叫んでいたのを覚えています。

僕はこの作品の後半の7巻の途中を執筆している辺りで職場に加入しました。政治編(?)みたいな部分から。8巻から始まる神威家編では悪役の登場人物の名前が「神威秀峰」となっており、これは福本さんに「秀峰、お前の名前使ってもいい?」と許可を求められ「もちろんです!光栄です!」と答えたらそうなりました。

10巻、11巻の競馬編では登場する馬の8割は僕が描きました。この頃から登場人物の体部分を僕が描くようになり、それ以降、スタッフがキャラクターの体を描き、福本さんは顔だけを描くスタイルとなりました。つまり、僕は初代「体描き係」です。

漫画好きの一部には、作家がキャラクターのすべてを描いていないと代筆者がいるかのような捉え方をする人もいますが、これは分業制作スタイルを取る場合にはどこまでを誰の仕事をするかという線引きの問題でしかありません。アニメだったら集団作業が当たり前なので、誰も「代筆」という捉え方はしないでしょ?で、僕はキャラクターの体を描いていましたが…、ムチャクチャ辛かったです…。どう辛かったかは、自伝的エッセイ「佐藤まんが道」でたっぷりと書いていますので、未読の方は(以下略)

作画に参加するということで、当然、作品を読むワケですが、僕はこの作品が福本作品の最高傑作だと思っています。実は1巻冒頭の株の仕手戦などの描写は難しく、当時は今イチ、ピンと来ませんでした。その後の殺人鬼の話から絵画勝負までの流れはムダがなく伏線も完璧に決まっていて、泣くでも笑うでもなく物語の完成度に感動しました。贅肉の一切ない筋肉美とでも言うのでしょうか。

続くポーカー勝負では敵キャラが立ちまくっていて、ギャンブルのトリックや演出もすべて見事に決まっているという、もう天才としか言いようのない所業を見せつけられました。これ以上の物を作るのは不可能と思った所に、さらにその後の麻雀勝負ではそれ以上の緊迫感と生々しさを持って読者に物語が迫ってきます。今まで作品と読者の間にあった物語という膜を破って、直接、それを顔に塗りたくられるような信じられない体験でした。息ができないと言うか。「漫画ってスゴイ!」と心の底から震えました。

8巻から始まる神威家編は、もちろん面白かったですが、この頃から自分が描き手として作品に参加しているので、純粋に読者であった時とは違い、もう少し冷静に捉えられています。「天才も努力して描いているんだな」と。月4本の原稿の執筆を抱え、当時スタッフだった僕にはまず4本分の物語を作ることがなぜ可能なのか分かりませんでしたが、さらに作画作業があって、それもこなします。

人間なので息抜きの時間も必要でしょうし、睡眠も必要です。生活はグチャグチャで周囲のペースに自分を合わせる余裕もないので、周りのスタッフはそれに合わせるのが大変でしたが、何度もネームを練り直したり、ひたむきに描き続ける姿を横目に見ていると、これだけ一生懸命描いているんだからしょうがないよな、と思う部分もあったり。何と言うか、情熱の量が常人離れしていて、それが原稿に転写されていくかのように見えました。同性ながら机に向かう姿がちょっとセクシーに見えました。

福本さんの作品が面白いのは、トリックが優れていたり、ストーリーテリングの才能があるからということではなくて、作者が作品の面白さを信じ切り、その情熱のすべてを捧げているからだと思いました。「仕事か?プライベートか?」なんて質問が成り立たないくらいに、すべてを投げ打って描いていました。面白い作品がどうして面白いのか、その裏側を見せてもらいました気がします。すごかったなぁ…。

「カイジ」が始まった時は、実は「それより『銀と金』を描きましょうよ。あれを完結させないと作家としての純度が薄まる」と感じていました。「カイジ」も2巻くらいまでは、僕もスタッフとして作画に参加していたのです。「アカギ」の鷲巣麻雀編も最初のほうは僕も描いていました。僕が漫画家になって17年目くらいですが、それがまだ続いているなんて…。

福本さんは「カイジやアカギはある意味、学校の同級生より深い知り合いなんだ。20年も連載していて、いつも読者の横にいた友達なんだ。だから、常にそばにいて読者と一緒に成長し続けることが大切なんだ」と言います。それも分かるんだけど、それって作者と作品の間に距離が出来ているということではないかと思うのです。

「銀と金」では、作者は漫画そのものだったと思うのですが、今の「カイジ」は作者がすでに主人公を追い越し、少し離れた場所から全体をコントロールしながら見守っているように見えるのです。あのギリギリ感をもう一度見たいと思ってしまうのは、僕の贅沢なのかなぁ…?

あの瞬間のあの福本作品が一番好きです。
他の福本作品についてもまた機会があれば語りたいと思います。

今回はこれで。
ではでは。

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