第8話 新店舗

2008年7月

新店舗のオープンが遂に決まった。

ここから新生OWNDAYSの華々しいスタートがいよいよ切られるんだ。このお店がオープンすれば全てが上手くいく。社内のスタッフも一つにまとまり、全国の店舗の売上げも上がる。フランチャイズ展開だって順調に始動するし、財務は一気に健全化され、瞬く間に高収益企業へとV字回復だ。

僕は、ちょっとでも気を抜けばすぐにでも頭を覆いかぶさり奈落の底へと引きずり込もうとする靄のような不安を取り払うかのように、新店舗が上手くいくイメージを具体的に想像しては、自分自身を暗示にかけて、文字通り寝る間を惜しんで新生OWNDAYSのコンセプト作りに取り組んだ。

睡眠時間は1⽇5時間を切ることも珍しくなくなっていた。暇があれば少し寝て、目が覚めればまたそのまま仕事をする。毎日がそんな感じだった。しかし置かれた危機的状況とは裏腹に「新しいものを産み出す」というこの仕事に、疲労感が溜まれば溜まるほど、反比例するように、言葉では言い表せない充足感も同時に味わっていた。

新しいOWNDAYSのコンセプトはキーカラーを白と⿊に決めた。
キーカラーの白には「始まりを感じさせる。気分を一新する」という意味がある。反対色である黒には「高級感を与える。自己主張を強くする」といった意味がある。
シンプルでシックなモノトーンで、時間が経っても飽きのこないシンプルさにこだわった。そして何よりも大切なのは、「OWNDAYSの創出する空間に色を付けるのは、商品と人だけである」という想いが込められている。

キーカラーに合わせてロゴマークも新しくデザインした。今に続くオンデーズのシンボルとなるお馴染みの四角いロゴマークは、この時に産み出された。
ロゴマークは、2つの四角で描かれ、それぞれがOWNDAYSの「O」と「D」を表している。そしてこの四角は同時に扉にも見え、メガネにも見える。
「全ての人にOWNDAYSのメガネで、扉を開いて新しい世界を見て欲しい」
そんな想いを込めてデザインした。

新コンセプト1号店の設計は、僕が20歳の時に小さな喫茶店を創業した時からのメンバーである民谷亮が図面を描いた。

店内には、天井まで届く特注の棚を⼊れ、メガネを圧倒的なボリューム感で並べた。店頭に並べた商品の数は千本以上。20坪の店と変わらないので選ぶ楽しさは充分なはずだ。店舗の外壁に取り付けた巨大看板には「メガネ一式 五千円!」とデカデカと表示し、価格の安さもアピール。店内にはノリの良いEDM系のクラブミュージックを流した。
物件の申し込みからオープンまでの期間は僅か1ヶ月半。再生の為の全体の事業構造の見直しも行いつつ、不眠不休で全てを同時進行しながら新店舗の準備を進めていった。


2008年7⽉18日

新店舗、オープン前⽇。

工事の仮囲いが外された⾼⽥馬場店の前で、僕は心地の良い達成感に包まれていた。オンデーズを買収した当初から思い描いていた「ファッションアイテム」としてのメガネを売る店が、遂にその姿を現したのだ。

お店の前には、続々と関係者や友人達からの祝いの花が届けられてきている。店頭が賑やかになるにつれ、店の前で足を⽌め、店内を覗き込む通⾏⼈も⽬に見えて増えてきた。

(すごい期待感だ!大丈夫。これはいけるぞ!)

僕は、新店舗の成功を確信すると、明日のオープンに並んだお客様に配る記念品の数を200個から500個に増やすように長津君に指示を出すと店舗を後にして本社へと戻っていった。


2008年7月19日

午前7時

低血圧な上にヘビースモーカーで、物心ついた時から寝起きの悪さにかけては自他共に認めるところだったが、この日の僕はいつもよりも早く⽬が覚めると同時に、自宅のベッドから飛び上がるように跳ね起きた。

なにせ今日は新生OWNDAYSが遂に産声をあげる輝かしい1日だ。急いでシャワーを浴び、手早く⾝⽀度を整えると、寝ぼけた脳みそを叩き起こすように濃いブラックコーヒーを一気に流し込むと、栄光が始まるその瞬間をこの手で収める為に、愛用の一眼レフカメラと三脚を担ぎながら、迎えに来た長尾の車へと飛び乗り、⾼⽥⾺場の駅前にある新店舗へと向かった。


午前8時

⾼⽥馬場駅の周辺は、まだ人も車も少なく凜とした静けさが漂う。
僕はわざと新店舗のある場所から一つ手前の⾓で車から降りる事にした。角を曲がった瞬間に現れる、長蛇の行列の劇的な光景を目とカメラに焼き付けようと思ったのだ。
カメラをセットして、録画のボタンに手をかけながら、心を躍らせ、すこし軽快な足取りで角を曲がる。
するとそこに繰り広がられていた光景は…

明石と、長津君、民谷の3人が、⼿持ち無沙汰気味に店の前に⽴っていただけだった。

新生OWNDAYSの開店を心待ちにしているお客様は、ただの一人もいない。

開店を待つお店の前にはいつもと変わらない高田馬場の風景が、何事もなく、いや、まるでその存在すらも認めてくれてはいないかのように、ただ静かにゆっくりと流れていただけだった。

僕は体中の血の気が一気に下がるのを感じた。フワフワと、地に足がつかない感じで、気を抜けば地面の中に体ごと沈んでいってしまいそうな感覚に陥りながら、店舗前にいる明石に近づくと、力なく声を掛けた。

明石拡士は僕よりも一つ年下で、現場から若手のリーダー的な存在として慕われていたので、山岡部長が退職した後、後任の営業本部長として抜擢し、今回のオープン準備を一緒に取り仕切っていた。

「どう? お客さんはまだひとりも来てないの?」

明石は、すこし困った様子で答えた。

「ええ。でも、オープンまでにはまだ1時間半もありますから、こんなもんじゃないですかね。これからだとは思うんですが・・」

「オープンのチラシは撒いたんだよね?」

明石が眉間に神経質な皺を寄せながら答える。

「それはもう。業者さんにも大量に発注してありますし、そのほかにもこの数日間、手分けして駅前や周辺のマンション、事業所にも配って歩いてます。折り込みチラシで8万枚、通⾏⼈に大量のテッシュも配布しましたから、告知不⾜という事はないと思います。」

僕は焦って狼狽える気持ちを悟られまいと必死で感情を抑えて平静を装っていたが、動揺が止まらない。
奥野さんからも、「絶対に失敗は許されない」と何度も釘を刺されていたというのに、オープン1時間半前にも関わらず、まだ一人のお客さんすら並んでいないのだ。

(これは、取り返しのつかない⼤失敗を犯してしまったのかもしれない…)

やがて、オープン予定時刻の30分前になった。しかし、依然としてお客さんは誰一⼈として現れる気配はない。僕は、オープンに携わってくれた社員たちの顔を次々と思い浮かべては絶望的な気持ちに落ちて行った。

そこへ、奥野さんから僕の携帯に電話が入った。

「もしもし…」

「社長、おはようございます。もうすぐオープンですね!今、お客さんは何⼈ぐらい並んでますか?」

いつになく陽気な奥野さんの声が、今日は妙に疎ましい。

「うん、それが…・まだお客さんは、その…来てないかな…。まだ朝だしね。」
そう答えるのが、この時の僕には精一杯だった。
いつも饒舌で、まくしたてるように話すクセに、変に⾔葉に詰まっている僕の様⼦から、奥野さんは全てを察知したようだった。
何事にも慎重な奥野さんは、今回も新店オープンに前のめりになる僕とは対照的に、淡々とオフィスで⽇常業務をこなしていた。僕と顔を合わせる度に、⼝では「新店が失敗したら、⼆人でホームレスですからね」と冗談を言っていた奥野さんだったが、まさか本当に失敗するなどとは思ってもいなかったのだろう。奥野さんは僕の電話を力なく切った。


午前10時

「いらっしゃいませ!OWNDAYSオープンしましたー!」

明石と長津君の威勢の良い声と共に、僕の思い描いていた「新しいOWNDAYS」がオープンした。
しかし、誰一人として店内に入ってくるお客さんはいない。
新生OWNDAYSを象徴する⾼⽥⾺場店の船出は、これからの荒れる海での航海を不気味に暗示するかのように、誰一人のお客様も並ぶことなく、道行く人たちの群れに、その存在を認めてもらうことすらなく始まった。

「いらっしゃいませ! いらっしゃいませ! メガネ⼀式五千円。オンデーズ、本⽇グランドオープンです! お洒落なメガネが続々⼊荷しています!さぁ、皆さんお気軽にご覧になってください、いらっしゃいませー」

明石と長津君が、お店の周囲に漂う、ぎこちない静けさを取り払うかのように、明るく元気に大声を張り上げて呼び込みを始めた。

二人の呼び込みに煽られて、意気消沈していた僕も、我に返って二人に続き大声を張り上げて呼び込みを始め、通⾏客にチラシを配り始めた。折れそうになる気持ちを奮い立たせるかのように精一杯の笑顔を作りながら。
しかし、誰⼀⼈として⾜を止めてはくれない。通勤、通学の時間帯なのだから当然と言えば当然だ。
僕たちの場違いな呼び込みの声は、朝の⾼⽥⾺場の駅前に、ただ虚しく響き渡るのみであった。
やがて、お昼時に差し掛かり、⽇差しは一段と厳しくなってきた。炎天下で声を嗄らす僕たちとは対照的に、店内にいるスタッフたちは、エアコンの効いた店内で涼しい顔で外の様⼦を、冷ややかに眺めていた。

(少なくとも年齢の近い、若⼿のスタッフたちとは心が通い合っていると思っていたけど、そうでもないのか。⾃分が甘かったのか・・) 

僕は悄然とした気持ちに襲われた。
本当に気持ちが通い合っているのなら、こうやって社長以下、管理職が汗まみれで呼び込みをしているのを見て、自分達だけ涼しい店内にいようとは思わないだろう。つまり、まだまだ心が通い合ってなどいなかったのだ。

⼈心掌握に多少なりとも手ごたえを感じていただけに、僕にはスタッたちが、僕に向けている冷めた視線の方が、お客様が来てくれないことよりも、遥かに⼤きなショックだった。

さらに追い討ちをかけるように「招かれざる客」も現れた。

店舗から少し離れたところで、数人のスーツ姿の男たちが、遠巻きにこちらを観察するように様子を伺っている。目を凝らして見てみると、彼らは見下すような視線を僕に向けながら、ニヤニヤと嫌味な笑顔を浮かべている。 どうやら同業のメガネ店の人たちが、様⼦を探りに来たようだ。

しかも、良く見ると、その中に見た顔があった。

山岡部長だっだ。

「あんたみたいな人が社⻑をやるようでは、もうこの会社に将来は無い!」

そんな嫌味を吐き捨てながら退職していったのだが、その後、子飼いの管理職達を連れ、業界大手のメガネチェーンに転職したという噂は聞いていた。
まるで「素⼈が、遊び半分でやるからこうなるんだ!ざまぁみやがれ!やっぱり早々とオンデーズに見切りをつけて正解だったぜ」とでも言わんばかりの顔つきで、落胆する僕を嘲笑っているようだった。
僕は屈辱感に打ち震えていた。
汗の混じった悔し涙が、すこし僕の頬を伝った。


午後3時

ようやくポツリポツリと店内にお客様が吸い込まれ始めた。それでも、⽴ち⽌まって店内を覗いては、そのまま通り過ぎるお客様の方が、圧倒的に多い。 僕は堪らず、学⽣風の若者を呼び⽌め、質問してみる事にした。

「あの、すいません。調査会社の者なんですが、今、どうしてお店に⼊るのをやめたのですか?」

突然呼び⽌められ、⼀瞬怪訝な表情を浮かべた若者だったが、気さくな感じで答えてくれた。

「うーーん、なんか、お洒落過ぎて気後れしたんですよね」

僕は後頭部をバットで殴られたような思いだった。僕自身が最もこだわった「お洒落さ」が、逆に敷居を高くしてしまっていたというのか。

「それに、狭いから気まずい感じもするよね。⼊ったら最後、何か買わないと出られないような圧迫感が凄いある」

この言葉も、僕を激しく打ちのめした。そう⾔われてみれば、出⼊口が一箇所しかないため、店の中は袋⼩路状態だ。ショッピングモール内のインショップの場合、間口は広く開放されていて、2⽅向ないし3方向に出入り口がある場合もあるから、お客様は気軽に⼊って気軽に出ていける。しかし、路面店では一箇所しかない出⼊り口が、圧迫感と入りにくさを感じさせてしまっていたのだ。 6坪以下と小さく、閉ざされた路面店で、お客様が気まずさや圧迫感を感じるのは無理もない。

「あと、だいたい今日は特に何も買うつもりは無かったんで」

最大の勘違いはここだった。大事なのは、店前の通行量よりも、店の前を歩く人たちの「ショッピングモチベーション」なのだ。つまりどれだけ沢山の人が店の前を歩いていようが、買い物をするつもりで歩いていない人達に財布を開いてもらい、お金を出してもらうのには、とてつもなく高いハードルがあったのだ。
ショッピングモールや商店街に来る人たちの多くは、予め何かしらを買おうと思って歩いている。つまりショッピングモチベーションが高いのだ。お客様は、その日は何かしらを「買おう」と思って歩いているのだから、いわゆる財布の紐が緩い状態にある。

一方、高田馬場の駅前は通行量こそ多いが、そのほとんどは通勤や通学で、買い物をする目的で歩いている人たちはほとんどいない。ショッピングモチベーションがほとんどない人たちの波に向かって僕らはメガネを買ってくれと、むやみやたらに叫んでいただけだったのだ…。

(何故、こんな簡単なことにすら気づけなかったんだろうか…)

次々と覆される想定とはかけ離れた現実の数々を突きつけられて、僕は今更ながらに自分の迂闊さに無性に腹が立っていた。
結局、オープン初⽇の売り上げこそ何とか三十万円を確保したものの、2日⽬以降は1⽇数万円と地を這い続けた。それでも連日、僕や明石以下、役員たちが声を嗄らして呼び込みを続けた結果の数字である。
その後1カ⽉間の売り上げはわずかに百五十万円に留まり、期待の新店舗はドル箱どころか連日大赤字を垂れ流す、新たなお荷物店舗を産んでしまっただけという無残な結果となってしまった。

社運を賭けた⾼⽥馬場店は、いきなり最初から⼤失敗に沈んでしまったのである。

この大失敗で、僕自身は完全に⾃信を吹き⾶ばされ、自分を⾒失ってしまった。限界まで精力を注ぎ込み、練りに練り、満を持して産み出した、全く新しいコンセプトのメガネ店が、お客様から、ことごとく否定されてしまったのだ。
メガネの事は素人だが、消費者としての感覚、商売人としての嗅覚には自信があった。日本中のお店を回って店舗のことも全て理解したつもりでいた。あとは自分が「良い!」と思う店を作りさえすれば、 必ずお客様が殺到するという揺るぎない確信があったのだ。
しかし、それは大いなる勘違い、ただの思い上がりであったことを、まざまざと思い知らされたのだ。


2008年7月末

「いよいよ来⽉にでも民事再生して、俺は⾃己破産かなぁ」

オープンから2週間が経過して高田馬場店の最初の月商予測がでた頃、僕は、いつもの蕎⻨屋の奥座敷で、更科蕎麦をすすりながら言った。
奥野さんは無言で蕎麦をすすっている。

「新店は見事にコケてしまった。1から10まで俺の思い通りに作った店が失敗したんだ。⾔い訳は何もない。全部、俺が責任を背負って会社を民事再生にかけて、自分自身は⾃⼰破産することにするよ。勿論、社員にはちゃんと給料は払うし、メーカーさんにも⼀切迷惑はかけないつもりだ。銀⾏だけはワリを食う形になるが、元はと⾔えば俺自身が借りた借金じゃないし、恨まれる筋合いはないでしょう。これで、みんなハッピーだ。奥野さんもこれで、苦しい資金繰りに胃袋が痛むこともなくなるだろうし。ハハハ。かえって気が楽になってきちゃったなぁ。」

無理して明るく振る舞う僕をよそに、奥野さんは黙々と蕎麦をすすっている。やがて会話が途切れ、2人の間に気まずい沈黙が流れ始めたところで、奥野さんはメガネのブリッジを人差し指で押し上げると冷静な顔をしながら言った。

「残念ながら、そんな簡単に民事再生や⾃己破産は裁判所に認められませんよ」

「え?新店が失敗したらオンデーズは倒産すると言ったのは奥野さんでしょ?俺が⾃己破産しようがしまいが、今月末の資金繰りが間に合わずに潰れる事には変わらない。後処理をスムーズにするために自己破産するだけなんだから、認められるも何もないでしょう」

僕は、蕎麦を食べ終わり、食後のタバコに火をつけると、不思議そうに奥野さんの顔を覗き込んだ。奥野さんはいつものように迷惑そうにタバコの煙を両手で払いながら言った。

「いや、あれから少し状況が変わったんですよ。実は、商品部の改革が機能し始めていて利益率が上がってきています。それから売り上げ上位の店舗から、日々の売り上げも順調に伸び始めてきています。ギリギリなのには変わりませんが、新店分の赤字を飲み込んでも、今月いっぱいは、まだ何とか資金繰りが回りそうなんです」

「ほ、本当?」

「それに、今まで広告宣伝を担当していた高橋さんを、新しく商品部の部長に就任させましたよね? その高橋さんが、各メーカーさんと強烈に交渉を始めていて、その効果で取引先の態度も少しずつ軟化してきています。最初は、⽀払いサイトを伸ばしてほしいと頼み込んでも30日間が限界でした。それ以上は断固として拒否されていたですが、先日、数社から60⽇までなら伸ばしてもいいと条件緩和がありました」

「それはありがたいな。高橋部長の交渉粘り勝ちか。あの人の目力と迫力に加えて理詰めで粘られたら、⼤抵の人は根負けしてしまうだろうから」
僕は思わぬ朗報に、たまらず笑みがこぼれてきた。


話を少し前に戻そう。
僕がオンデーズの社長に就任してから2ヶ月がたった頃。

この高橋部長は、寡黙で酒癖が悪くヘビースモーカー、オールバックをビシッと決めて、細身のスタイルにいつもお洒落なスタイルと、真面目を絵に書いたようなオンデーズの本部社員の中では、異色の存在だった。前職は大手アパレル企業でバイヤーとして長年活躍しており、その後オンデーズでも商品を担当したくて転職して来ていた。しかし前経営陣や、旧営業幹部とソリが合わず、商品には思うように携わらせてもらえず、広告宣伝部長のポジションについていた。
しかし、この当時のオンデーズには広告宣伝費など当然皆無なので、これといった仕事もなく、いわば窓際族のような状態に追いやられていた。
そんな高橋さんが、喫煙所でタバコをふかしている僕のところに唐突にやって来た。

静かに僕の隣に並ぶと、ポケットからタバコを取り出しておもむろに火を付け、軽く一服ふかすと思い詰めたような表情で声を掛けてきた。

「ちょっとよろしいですか?」

大きな目をギロッとさせながら睨むような表情とは裏腹に、やけに丁寧な言葉遣い。その空気感で僕は思わず悟った。

(この人も会社辞めるって言いに来たんだな…)

「ちょっとお話したいことがあるんですが…」

「はい。はい。どうしました?なんか良い転職先でも見つかったんですか?」

僕は少し嫌味を混ぜながら返事をした。「別にあなたが辞めると言っても困らないよ」という虚勢も含んだ感じで。

「は? いや、そんなんじゃなくて、商品部のことなんですけど」

「え?商品部…?商品部がどうかしたんですか?」

僕は思わぬ返答に少し拍子抜けした。どうやら退職の相談ではなかったらしい。

「いいですか、今の商品部は全然なってないですよ。あんなんじゃ全然ダメだ。売れ筋商品の在庫予測も発注数字の管理もまるでできてやしない。私はもともと商品がやりたくてこの会社に入って来たんですよ。社長、私に商品部を任せてくださいよ!私は前職でバイヤーだったんで中国で生産するノウハウもある。業者さんとの交渉だって生ぬるい。もっとやりあえるはずですよ!」

普段は寡黙でほとんど喋らず、正直何を考えてるのか解らない高橋さんが、こんなに熱い思いを持っていたのが驚きだった。しかもそんな経験者が眠ってたなんて、まさに渡りに船だ。僕は間髪入れず快諾した。

「いいですよ!やってください!それだけ今までやりたい事があったんなら、もう好きにやっちゃってくださいよ」

「は? いいんですか? 本当に…」

「いいよ。じゃあ今から高橋さんが商品部の部長ね。早速、仕事にとりかかって下さい」

「あの、いや、なんか幹部会にかけてからとか、人事発令とか、そういうのはいいんですか?」

「何で?社長の俺が、今ここで良いって言ってるんだから、良いんですよ。そんな悠長なこと言ってる時間なんて無いんですから、もう今この場で部長に任命しますよ。すぐに商品部長の名刺作って好きに動いてください」

僕は「そんな会社ごっこ的で儀礼でしかない手順など面倒臭い」と言わんばかりに、高橋さんの申し出を即答した。

すると、高橋さんはそれまで見せたことのないほど顔をしわくちゃにして笑顔を見せながら握手を求めてきてこう言った。

「こういうの! こういう展開!こういうスピード感を、私はまさに待ってたんですよ!私やりますから! 任されたからには全力でやりますから。じゃあ私が商品部の部長ということで良いですね!」

高橋さんは吸いかけのタバコを灰皿に押し込めると、時間が勿体無いとばかりにオフィスへと駆け足で戻っていった。僕は思わぬ隠れた人材の登場と、自分の改革にまた一人賛同してくれる同士を見つけたようで、なんだか少し胸がワクワクしたのだった。

話を、先ほどの蕎麦屋に戻そう。奥野さんはお茶をすすりながら。デザートに頼んだわらび餅をつつきながら続けた。

「鯖江での社⻑に対する信頼感も少しづつですが出てきたみたいですよ。最初は社長に対するイメージはとにかく酷かった。業界に飛び交った噂も最低のものでしたからね。ところが、軽自動車で全国の店舗をくまなく巡回したり、鯖江のメーカーさん達のところに頭を下げて回ってるのが耳に入ったのか、少し⾒直され始めてるみたいですよ。『意外とマトモな奴だ』って。それで頑なだったメーカーさん達も次第に態度を軟化させ始めたというわけです」

「何が幸いするか分からないね。普通の事をしただけなのに、見直されるなんて。不良少年が猫を助けると必要以上に優しく見えるアレと一緒かねぇ。ハハハ」

こうして、最初の新コンセプト店は大失敗。そして最初の大きな資金ショートの危機は、なんとか首の皮一枚だけ、僅か数ヶ月程度だが猶予ができて、即倒産という最悪の事態は避けることが出来た。

とはいってもまだ、何も根本的に解決したわけではないのだが、延命処置を施され、もう少しだけ対策を立てる猶予期間を手にいれた僕たちは、次の改革へと息つく暇もなく突入していった。

奥野さんは「まだもう少し諦めるなよ」とでも言いたげな顔をしながら話しを続けた。

「それと、例のプロジェクトがいよいよ佳境に入りました。予定通りに行けば、来週には、次の大勝負が始まります。落ち込んでなんかいる場合じゃないですよ。諦めずに、次の打席に立ちましょう。まだまだこれから更にメチャクチャ忙しくなりますよ!」

そう。実はこの時、僕らは新店舗のオープンと同時に、極秘裏にもう一つ。更にもっと大きなプロジェクトを無謀にも進行させていたのだ。


また新たな会社を、買収する。


それもオンデーズと同じ規模の会社を。


第9話に続く・・

*本記事は2018年9月5日発売の【破天荒フェニックス オンデーズ再生物語 (NewsPicks Book) 】から本編の一部を抜粋したものです。

https://www.amazon.co.jp/破天荒フェニックス-オンデーズ再生物語-NewsPicks-Book-田中/dp/4344033507


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