第3話 荒れる海で眼鏡を回せ。


2008年3月


初出社から三週間後。

本社のほど近くにある回転すし店で、僕は、長尾貴之と、近藤大介の三人で、少し遅い昼食をとりながら話していた。


長尾と近藤は、僕が二十歳の時に埼玉県の片田舎で、小さな喫茶店を始めた時から一緒に仕事をしてきた創業メンバーで、買収以前に経営していたデザイン会社の残務を整理してから、オンデーズに合流してきていた。

この二人の他にも、十名程のメンバーを一緒にオンデーズに引き連れて入社させており、起業時から苦楽を共にしてきた彼らは、当時、招かれざる客としてオンデーズ内で孤立する僕にとって、彼らは大事な数少ない応援団だった。
僕はレーンに流れる寿司を見つめながら呟くように言った。

「オンデーズを再生するには、この回転すし店と同じようにならないとダメだな・・」

「回転すしのお店と同じにですか?」


長尾は少し不思議そうな顔をしている。

「そう。寿司っていうのは昔、俺たちが子どもの頃は高級品だったろ?特別な時にしか食べられない贅沢品だった」

「まあ今でもカウンターだけの高級な寿司屋なんかは、社長と違って自分たち庶民にはなかなか行きづらいですけどね」

長尾は回転すし店ばかりでなく、たまにはカウンターの高級な店にも連れて行けと暗にリクエストするが、オンデーズの再生で余裕の無い僕は、無視を決め込んで話を続ける。

「それが数十年前、回転すし店が登場したことによって、一皿百円で誰でも気軽に食べられるようになった。単純に高かったものが安くなると、それだけでそこには大きなビジネスチャンスが生まれてくる。

年に数回しかお寿司を食べなかった人が毎月のように食べるようになったり、安くなった分、今までよりも、もっと多くの量を食べるようになる人も出てきた。その結果、売上が伸び、市場全体も大きく拡大させることになっていく。

今では回転すし店という業態は、それ自体が昔ながらの職人が握る鮨屋とは全く別の、新しい業態として成長して、世界中に展開されるビッグビジネスになった。回転すし業界の上位三社の売上の合計は五千億円以上にものぼるらしい。おい、ちょっと、話聞いてんのか?」

こんな理屈っぽい話より、もっぱら目の前の寿司に集中したそうな長尾と近藤を制すかのように、二人が取ろうとした寒ブリの皿を右手で堰き止め、僕は更に自分自身の考えを整理するかのように二人に向かって話し続けた。

「これは俺たちが新しく挑戦するメガネ業界にも言えると思うんだ。お寿司と同じように、俺たちが子どもの頃はメガネがとても高かっただろ?うっかりメガネを割っちゃったりすると、『あー3万円が!』みたいな。その頃のメガネはどちらかというと、医療器具としての側面がかなり強かったから、値段がいくら高くても、視力が悪くてメガネが必要な消費者は黙って買ってくれていた。

ところがバブルが崩壊した後、不景気になり、デフレが始まってからは、メガネの世界にも、どんどん価格破壊の波が押し寄せてきて、ZAPPを筆頭にジェイムズや眼鏡一座などの、価格の安さやファッション性を武器にしたメガネチェーンが凄い勢いで台頭するようになった。そして、俺たちがこれから手がけようとしているオンデーズもその中の一社だ」

「そう言えば、メガネが安くなったお蔭で、メガネを何本も持つ人や、頻繁に掛け替える人が増えて、一本辺りの販売単価は下がっても全体の本数が増えたので、市場規模はむしろ増えているとかいう話しを、前にどこかのニュースで目にしたことがあるなぁ」

近藤は、一見するとプロレスラーに見間違えられそうな鍛え上げられた巨漢を、窮屈そうにボックス席に押し込みながら、テンポよく寿司をつまんでいる。
僕の話に納得したように返事をしながらも、殺し屋のような鋭い眼差しは、流れてくる寿司ネタの群れを一点に睨みつけて、次の獲物を狙っている。
僕は流れて来たかんぴょう巻きを一口だけつまみ、お茶で喉を潤すと話を続けた。

「回転すし店が儲かるとなれば、ライバル店もまたどんどん現れる。市場が拡大している間は、新規参入する企業が沢山現れても、そこそこ皆が儲けていられるからな。しかし、人間の胃袋は無限じゃない。やがて市場の拡大はどこかで限界を迎える。

そうなると、一転して今度は淘汰の局面を迎えることになる。ただ安いだけではダメで、美味しさはもちろん、駐車場が広くて停めやすいとか、常に新しいメニューがあるといった、様々なこともお客様から比較されるようになり、面白みがなく、経営努力の足りない店は、次第に消費者から飽きられて敬遠され、潰れていく」

「そういえば、ここの回転寿司もネタの鮮度が悪いですね。このマグロなんてゴムみたいな味してますよ」

長尾は魚の鮮度に文句をつけ始めたが、寿司を取る手を緩める事は無い。この二人には「遠慮」という二文字が欠けている。僕も食事中の二人に遠慮なく話を続けた。


「この『淘汰の段階』に差し掛かろうとしてるのが、丁度まさに今のメガネ業界なんじゃないかなと俺は思うんだよね。新興チェーン店の参入によってメガネの価格が大幅に下がり、市場の拡大が一気に進んだ。その成功を見て、多くの大手メガネチェーン店が安売り路線の別業態を作って参入してきた。しかし、市場の成長が止まるやいなや、たちまちオーバーストア状態になり、弱いところから淘汰が始まってきた。まさに今がそんな感じ」

「なるほど。オンデーズも『安さ』を武器に事業を拡大してきたけど、ここにきて足踏み状態に陥った。それは危機感を感じた大手チェーンが続々とこの業界に参入し、なりふり構わぬ安売り攻勢をかけてきた影響が大きくて、まさに『安さは安さに負ける』という格言通りになった。そんな感じですかね?」


寿司をひとしきりつまみ終え、充分にお腹を満たした長尾は、ようやくまともな返事を返してきた。

近藤は、フンフンと頷きながら、まだ黙々と寿司を口に運び続けている。

「そう。そして、圧倒的な勝者がまだ出ていないこの業界では、これからも当分は生き残りをかけた新興メガネチェーンを中心とした激しい戦国時代が続いていくと思う。オンデーズも、このままの状態では必ず淘汰される。生き残るには、回転すし業界と同様、まずは上位三社には最低残らないと生き残れないと思う」

〆の玉子を食べ終えた近藤が、目の前にうず高く積まれた皿を色毎に整理しながら、怪訝な顔つきで聞いてきた。

「でもさあ、正直言って今のオンデーズは、まず真っ先に淘汰されるようなポジションにいるじゃん。社長が再生に乗り出したからには、何か具体的な策があってのことなの?」

僕は少しだけ身を乗り出して、この想定内の質問に、少し自慢気に答えた。

「俺はねぇ、ZARAみたいな路線じゃないかと思うんだ」

普段はユニクロしか着ない長尾も少し興味深そうに身を乗り出す。

「ZARAみたいな路線ですか?」

この時期、ZARAは日本進出から数年を経て、六本木ヒルズや表参道などへ立て続けに大型店を出店しており、迎え撃つユニクロやGAP、後に続いて進出してくるH&Mなどとの熾烈な競争の様子が『ファストファッション戦争』などと言われ、連日のように各メディアを賑わしていた。


「今ではアパレル業界で世界一になったZARAも、当初は価格を武器に店舗を増やして行った。しかし、ある時から安さは変えずに品質やファッション性を追求し始めた。有名ブランドのコレクションをいち早く研究して、どこよりも早く流行をキャッチしてすぐに商品開発に反映させていき、売り場をどんどん変えて行く。その結果『低価格なのにお洒落で品質が良い』というイメージを消費者に持たせることに成功して、世界のアパレル業界を席巻してシェアを一気に広げていった」

「安さって慣れますからね。消費者に飽きられない為に、ただ安いだけじゃなくて、デザイン性、高品質という武器を追加していったっていう事ですね」


「そう。これにより、ライバルはいなくなった。低価格の市場ではデザインや機能性で勝てるし、デザインや品質を求める市場では価格で勝てる。つまり、低価格帯市場と、中価格帯市場の両方のニーズを一挙に取り込むことに成功したわけだ。似たような市場でも、ポジションを少し変えれば、新しい市場が生まれるケースがある。うまくそこのニーズに合わせて新しい立ち位置をつくることが出来れば、莫大な成功を掴むこともできる。まあ俗に言うブルーオーシャンだな」
「ブルーオーシャン?」


「戦いのない青い海という意味。ちなみに競争が過熱しすぎてる市場をレッドオーシャンという。これくらい勉強しとけよ」


「なるほど。上手い事言いますね。レッドオーシャンは嫌だなぁ・・聞いただけで大変そうだ」


僕はつい先日読んだばかりの本の内容を、さも自分の知見かの様に長尾に説明した。

「例えば、宅配便も最初はブルーオーシャンの好例だったと言える。運送業界は、もともと個人よりも企業の荷物を重視していた。企業の方が荷物の数も単価も大きいし、集荷も配達もルーティン化できてオペレーションも楽だからね。

そこへヤマト運輸が個人用の小さな荷物を配達する市場の開拓に乗り出した。まさに誰一人目指さなかったブルーオーシャンに漕ぎ出したわけだ。しかし当時の運送業界の常識では、非効率的な個人向けの市場を取りに行くというのは、まったく馬鹿げた戦略で『とうとうヤキが回ったか』と業界中から笑われていたらしい。しかし、蓋を空けてみれば巨大な需要がそこにはあり、今までになかった新しい市場を出現させて、今ではヤマト運輸は押しも押されもしない運送業界のエクセレントカンパニーだ」


「なるほど。誰も漕ぎ出していない海に一番乗りするということには、大きな価値があるという事ですね!」

長尾はこの手の解りやすいサクセスストーリーが昔から大好きだ。

「そう。でも、アパレルにしても宅配便にしても、ブルーオーシャンに漕ぎ出すには相当の勇気がいる。なかなか真似のできる戦略じゃない。だからこそ、一度その市場のリーディングカンパニーになれれば、ライバルが現れにくく、独占状態を比較的長く維持できるわけだ」

食後のデザートに、クリームの乗ったメロンとプリンを一口で平らげた近藤が、ぶっきらぼうに聞いてきた。

「ふむ。なんとなく方向性は分かった。つまり社長はオンデーズをメガネ業界のZARAみたいにしようってわけだ」

「その通り。俺はもっと思い切ってメガネをファッションアイテムに寄せていこうと思う。アパレル雑貨としてのカテゴリーでメガネを売るんだ。お店もグッとお洒落にして、店員もスタイリッシュにさせてさ。そう言うなればファストファッションアイウェア・・、そう、オンデーズ をファストファッション アイウェアブランドとして生まれ変わらせられれ ば、オンデーズにしかないブルーオーシャンを見つけれると思う」

メガネを医療器具じゃなくファッションアイテムと位置付けて、戦略を根本から練り直したら、今までにない魅力的なお店ができ、メガネ業界の誰も漕ぎ出したことのないブルーオーシャンがそこには広がっているに違いない。このプランなら、オンデーズは割と簡単に立ち直れるかもしれない。
僕は自分で考えた再生プランを、自身満々に創業時から苦楽を共にしてきた二人に披露することで、心を覆っていた分厚い雲をぬぐい去ろうとしていたのかもしれない。


「でも、はっきり言ってこのオンデーズをお洒落にするなんて、かなり難しくないですか?店舗はお洒落とは程遠くセールチラシで埋め尽くされた安売りのバッタ屋みたいだし、スタッフは統一した制服も無ければ美意識も低い。若くてお洒落な今時の子だったら、まず今のオンデーズではメガネは買いませんよ」

長尾の言う通り、この当時のオンデーズは業績もさることながら、ブランドイメージも最低だった。

ただ「安い」だけで商品の品質もお世辞にも良いとは言えない。店舗のデザインはバラバラ。スタッフのほとんどは男性で、寝癖のついた髪、フケのついた服で店頭に立つ人も当たり前のようにいた。
業績が悪いだけでなく、お洒落でも無ければ、技術も無いし、品質も悪い。
『ただ安いだけのメガネのディスカウントストア』と言われてメガネ業界では鼻で笑われる存在。それがこの当時のオンデーズだったのだ。

(ダサいこのオンデーズをファストファッション アイウェアブランドにする)

お洒落になれば、働く人たちはもっとプライドを持てるようになるからモチベーション、も上がるはず。お店やスタッフが生まれ変われば、売り上げだってすぐにV字回復して、急成長企業になれるはず。


全てが仮定と希望的観測だけで埋め尽くされた、幼稚なレベルの再生プラン。
今になって思い返すと、高校生でもすぐに考えつくような、この程度のアイデアだけで、この破綻寸前の企業を簡単に再生できると、最初は本気で思っていたのだから恥ずかしくてしょうがない。若さ故の無知と勢いというのは本当に恐ろしいものである。


そもそも、この時点でのオンデーズはお洒落に生まれ変わるも何も、月末の給与支払いにすら窮している始末で、店舗の改装も、新しいお洒落な制服も、センスの良い新商品を仕入れるのも、肝心の「資金」がほとんど無いのだから具体的に行動に起こすこと自体がどれも困難だというのに。


しかし無知だからが故、この時は、この幼稚な発想が、エクスカリバーの如く光り輝く強力な武器だと盲信することができ、沈没しかけているオンデーズを引き連れてブルーオーシャン目掛けて荒れる海へと飛び込んでいくキッカケになった事も、これまた事実なのだから、人生というのは本当に奇妙で面白い。

しかし、やはり商売というものはそう甘くなかった。
早々に僕のこの 「オンデーズをお洒落にすれば全て上手く行く」という幻想はもろくも崩れ去ることになる。


第4話に続く・・

*本記事は2018年9月5日発売の【破天荒フェニックス オンデーズ再生物語 (NewsPicks Book) 】から本編の一部を抜粋したものです。を抜粋したものです。

https://www.amazon.co.jp/破天荒フェニックス-オンデーズ再生物語-NewsPicks-Book-田中/dp/4344033507


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