第7話 いざっ最初の勝負!


2008年6⽉ 

池袋東口を出て、明治通り沿いにあるジュンク堂書店の4階にあるカフェ。
ここの喫茶店は、書棚を抜けた隙間から、控えめな入り口を申し訳なさそうに覗かせており、まるで秘密基地のようにひっそりと佇んでいる。その為、一見すると外からこの喫茶店の存在は解りづらく、ジュンク堂書店の常連客しか入ってこない。

この当時、内密の話がある時や、一人きりで静かに考え事をしたい時に、僕は社員や関係者と絶対に出くわさない、この喫茶店まで足を伸ばしてコーヒーを飲みにくることが多かった。

この日も僕と奥野さんは、丁度ぬかりやビルにあるオンデーズの本社が見える、この喫茶店のテラス席に座ってコーヒーを飲んでいた。

午後の陽気がポカポカと気持ちが良い。木々の葉の甘いにおいと爽やかな花の香りがほのかにしみこんでいる。向かいの明治通りから聴こえて来る雑踏の音をBGMに、テラス席で心地よい風を受けながら、奥野さんは、MacBookの画面に並んだ数字の羅列から一旦、目を離すと、メガネのブリッジを人差し指で押し上げながら、静かに話を向けた。


「昨日まで気を揉みましたけど、今月の資金繰りもギリギリ何とかなりました。ところで、全国視察の⼿ごたえはどうでした?」

「かなりの強⾏軍だったけど、全店を⼀気に回って本当に良かったよ。お店のスタッフ達も、以前は本社の人間や社長なんかと気軽に食事したり話しする機会なんてなかったらしくて、喜んでくれたスタッフも結構いたよ。                             お蔭で今や、本社の中で、俺が唯一全ての店舗をくまなく見て、各店舗の置かれてる状況について一番詳しく知っている人になれたと⾃負できるようになったかな。財務経理関係は、奥野さんが一番良く知っているから、2人が揃えば、今一番オンデーズの現状を正確に把握出来ている事になる。これでようやく、経営者として少しは、やるべきことの方向性が見えてきたような気がする」

「それは良かった。それで、具体的な課題とか売上アップのヒントは何か見つかりましたか?」

「ハハハ。見つかったというよりは、もう全部を根本から変えないといけないという感じだね。とにかく売場作りが驚くほどバラバラなところ。これはすぐにでも整備しなくちゃいけない。                                                                                   戻ってきてすぐ営業部の管理職たちに『どういう風に店頭ディスプレイの運用してるのか?』って聞いてみたんだよ。そしたら『地域ごとに競合店との関係性や⽂化も違うので、店頭の演出や細かいディスプレイに関してはチェーン全体で共通のものは用意してなくて、その都度、地域のマネージャーの裁量で勝手にやるようになってる』っていうんだよ」


奥野さんは、飲み干したコーヒーのお代わりを頼みながら、深妙な顔つきで言った。

「それって、⼀見理屈が通っているようにも見えますけど、本部が本来の仕事を放棄しているだけなんじゃないですかね。それなら、全国⼀律のイメージで展開しているユニクロやZARAなんかが、なぜ繁盛しているのか、合理的に説明してほしい」


「そう思うでしょ。これだけインターネットが進んだ今の時代に、お客様の感性に東京も地⽅もないと思うんだよね。だから、しっかりとブランディングされたお店は、地方でもお客様にしっかりと指示をされている。この点は一刻も早く修正して、業界⼀お洒落なメガネ屋さんとして、ブランディングを確立してイメージを全国で統⼀していかなければいけないと思う。」


「なるほど。確かにそうですね。ところで、店舗巡回の合間に、メガネの一大産地である福井県の鯖江にも寄ったのですよね?」


「うん。鯖江のフレームメーカーさんのところにも何社か訪問してみた。実はそこで、ある事実を知ってね。もう、かなり驚いたよ・・」

「何を知ったんですか?」

「オンデーズの商品部は、メーカーのところにほとんど足を運んで会いに行っていない」

「え、メーカーのところに顔を出していないって? それは、どういう事ですか?」

「つまり、今のオンデーズは完全に『受け身』なのさ。鯖江市や中国でメガネのフレームを製造しているメーカーのところまで、こちらから足を運んで直接仕入れ交渉に出向く事はせず、本社でドンと構えて、地方や海外から売り込みに来る問屋の担当者にサンプルを持参させて、その中から値段の合う商品をただ仕⼊れているだけなんだよね。こんなのSPAブランドでもなんでもなく、ただ安売り商品を仕入れて、右から左に売るだけのバッタ屋だ」


奥野さんは、イスに深く腰掛け直すと、眉をひそめて言った。

「そうですか・・しかもウチみたいな弱小チェーンのところにまで、売り込みに来るようなメーカーや問屋は、その分の営業コストを上乗せしているだろうから、仕入れも割高になるはずですよね?」

「そう。しかも問題はそれだけじゃないんだ。東京に来るメーカーさん達は、他の取引先にも当然営業に行く。そして真っ先に顔を出すのは業界大手のメガネチェーンや優良顧客からだ。すると、品質の良い売れ筋の商品は先に大手に抑えられてしまって、うちに来る頃には売れ残りの在庫処分みたいな商品しか残っていない。これじゃあ競合他社に比べて品質やデザインが劣ってしまってるのも納得だ」

「売れ残った在庫処分品みたいなものを割高で仕入れてるってことですか・・それも売上減少が続いてきた一つの大きな要因でしょうね。実は私もこの前とんでもないことに気がつきました。多量に売れ残った、もう絶対売れないような商品が、商品センターの奥にうず高く積み上げられて放置されていたんです。こんな不良在庫が未だに簿価ベースで数億円、棚卸資産としてそのまま計上されています」

「それはマズイな。商品の実態もどこかのタイミングでちゃんと決算に反映させて処理しないと、膿がどんどん溜まっていく一方だ」

「不良在庫の件は、次回の決算までになんとかしましょう。まずは早急に仕入先との関係を見直す必要がありますね。」

「ああ。そこはかなり改善の余地がある。取引先を数社に絞って大量発注すれば、仕入コストも抑えながら格段に良い商品を店頭に並べることが出来るようになると思う。それだけで10%はコストが削減できるんじゃないかな?」

「確か、うちが今、各メーカーへ支払っている取引の総額は、年間で六億円近くあったはず。これを10%下げられれば年間四千万、⽉に五百万は浮く事になる。この五百万があるかないかで、資⾦繰りは相当違って来ますよ」

「ああ。それにこの商品の改革が上⼿くいけば、何よりもスタッフが一番喜ぶよ。お客様と直に接するスタッフにとって、品質の悪いものを売らなければいけないこと程、苦しくて仕事が嫌になることは無い。商品の品質を改善してあげることができれば、スタッフの販売に関するモチベーションは必ず上がると思う」

「商品クオリティの劣勢を、現場のスタッフは痛切に感じているってことですね」

「そう。だから次の幹部会議で、早速、商品部の改革を最優先課題の一つに挙げようと思う」

「それはそうと社長、社内の雰囲気があちこちの地域で対立気味になっているのは知っていますか? このままではマズイかもしれません。社員達の気持ちが⼀致団結しないで、店舗の売上なんて上がるはずもないですし、競合他社になんて勝てるわけもありません。これも1日も早くなんとかしないと」

そう言うと、奥野さんはパソコンの画面を僕の方に向けると、全国の売り上げ集計表と資金繰り表を見せながら嘆息した。

「そうなんだよね。明らかに改革賛成派と反対派の対⽴が激しい地域ほど、売り上げが落ち込んできてる。反対派の連中も賛成派も「会社を良くしたい」という思いは皆んな同じなのに、どうしてこうも皆んなが対立してしまうのか、ほんと現実はそう簡単に理想通りにはいかないね」

「はい。会社は今、売上を一円でも落としてしまったら、すぐにでも倒産してしまいかねないような状態で、皆んなくだらない事で言い争ってる場合なんかじゃないというのに・・」

奥野さんは、空になったコーヒーカップを店員に渡し、おかわりを頼むと、吐き捨てるように言った。続けて僕もコーヒーのおかわりを頼むと、声のトーンを明るく変えて、湿った空気を吹き飛ばすように言った。

「そこでなんだけどさぁ、一つ、どうしてもスグにやりたいことがあるんだよね!」

「…やりたいこと…ですか?」

奥野さんは、少し嫌な予感がしたのか、急にテンション高く話し始めた僕を怪訝そうな表情で見つめた。

「うん。思い切って、新しい店舗をオープンさせようと思うんだ!」

「は?新しい店舗を、オープンする?」

売上も思うように上がらない上に、明日の資金繰りすらもままならない今の状況で、新店舗をオープンする。
この突然の僕の提案に、目を白黒させている奥野さんの胃袋が、キリキリと痛み出す音が聞こえてくるようだった。

僕はお構い無しに、意気揚々と話を続ける。

「今、オンデーズに一番必要なのは、⽬に見える結果だ。それも圧倒的な結果が必要なんだよ。俺が打ち出した新しい戦略、新しいイメージのオンデーズで、実際に売り上げが伸びる事を証明して⾒せたら、誰も反対なんてしなくなるし、社員たちも一つにまとまるはずだ。『利益は百難隠す』という⾔葉があるでしょ。儲かってさえいれば少々の問題は乗り越えられるという意味。だから、ここで今までのカタカナの「オンデーズ」じゃなくて、英字の『OWNDAYS』新しい未来を象徴するような、新店舗をオープンさせて、俺の考えてるコンセプトやブランデイングの正しさを目に見える形で、会社のみんなに証明してみせようと思うんだよね!」

僕は⾃信満々に考えを披露すると、新しく注がれたコーヒーを、ぐいっと⼀気に飲み干した。

こういうテンションになると、僕はもう誰の反対意見も聞かない。しかし、この時の奥野さんは間髪を入れずに、声を荒げて猛反対した。

「何考えてるんですか?今はそんな時期じゃないですよ。今はまだ財務的な体力を慎重に見極めて強化すべき段階です。オンデーズは言うなれば集中治療室に入って昏睡状態のような状態で、何か一つでも処置を間違えたら、たちまち心肺停止になってしまいます。こんな状態で新店を出店するなんて、私は断固反対ですよ!」

普段温厚な奥野さんの口調があまりに決然としたものだったので、僕は内心驚いた。それほど、オンデーズの財務状況は逼迫しているという事なのだろう。しかし、それで安穏と引き下がる僕でもない。

「確かに財務内容が危機的状況なのは理解している。でも社内に不協和⾳が流れた結果、売り上げが思うように伸びていないのも事実だ。このまま売上を上げることが出来なければ、財務内容は一層悪化するだけでしょ。新店の成功体験で、新しい戦略の正しさを示して社内の不協和音を取り除き、全社一丸となって売り上げ拡大を目指す。この好循環の起爆剤になるのが、全く新しいコンセプト、これからのOWNDAYSを具現化させる新店舗なんだよ!」

奥野さんは少し唸った。

なるほど、確かに新店舗が成功すれば⼀⽯⼆鳥、いや三鳥の効果が現れるかもしれない。しかし、失敗したらどうだろうか。社長の僕は成功を信じて疑っていないが、現実問題として失敗する可能性も相当高い。万が⼀ここで新店舗が大失敗したら、恐らくオンデーズは即倒産だ。あまりに危険な賭けだと奥野さんは考えていたのだろう。

「社長、これは財務担当の役員としてハッキリ⾔わせてもらいます。新店舗を出店する意義はよく理解しました。しかし、その前にやるべき事が沢山あります。まず第一に出⾎を1日も早く⽌めるべきです。今、オンデーズは重体の上に出血が続いているような状態です。不採算の店舗が全体の3分の1以上も占めている。この赤字を一刻も早く止める事が、最優先課題なんです」

確かにそうだ。いくら新店舗を成功させて売り上げを上積みできたとしても、⼀ 方で⾚字を垂れ流していては何にもならない。奥野さんの言う通り、不採算の店舗を黒字化するか、もしくは閉店させて赤字を止めることこそ、喫緊の課題であることは間違いない。

「それはまあその通りだよね。ここは急いで出⾎を⽌めるのが先決か。それで、奥野さん何か具体的な手は考えてるの?」
「まぁ、セオリー通りなら不採算店舗の閉店とスタッフのリストラでしょうね。赤字店を⽉に2~3店舗ずつ、半年ぐらいかけて順番に整理して⾏くような感じでしょうか。閉店とリストラで大胆なコストカットを進めながら、売上を増加させる手を地道に打つのがセオリーですね」

「それはダメだ!絶対にダメ!」

この提案に僕は即座に反対した。

「コストカットの⼤前提に、従業員の解雇や賃金カットを置いたら絶対に駄目だ。そんなことをしたら、立ち直れるものも立ち直れなくなる」

「しかし社員を抱えたまま店を閉めたら、売上だけが無くなり、キャッシュの流出は止まりません。それじゃあ赤字の削減にはなりませんよ」

「奥野さんが言ってることは解るけど、会社が⽣き残るためにスタッフを大量にリストラして解雇するのは、今のオンデーズでは絶体に悪手だ。全国のお店を見てまわって解ったけど、俺たちのメガネ屋っていう商売は『人』の要素が半分以上をしめてるんだ。接客や視力測定にレンズの加工、それらがちゃんと提供できて初めてお金が頂ける。言うなればスタッフも商品の大切な一部だ。だからその大切な商品を失ってしまったらお店の商品を半分以上捨てることと同じことになってしまう」

「でも、リストラしなければ赤字はとまりませんよ?」

奥野さんは(できることなら自分だってリストラなんてしたくは無い。でも会社を存続させていく為に、詰め腹を切るのは止むを得ないだろう)とでも言いたげに、苦虫を噛み潰したような表情で吐き捨てるように言った。

「いや、要は赤字が黒字にさえなればいいんでしょ?全体で見れば赤字額は莫大だけど、ひとつひとつのお店で考えれば、⽉にほんの数⼗万円程度の赤字がほとんどだ。ということは、1⽇にしたら、たった3–4本多くのメガネを今より売れば赤字は無くなるんだよ。たったそれだけなんだ。そっちの方が閉店して行くよりよっぽど簡単だし建設的でしょう?」

「しかし、実際には今その3–4本が売れてないんですよ。今よりもあと少し多く売るための、何か具体的な案でもあるんですか?」

「ある。まずは目標を細分化することだ」

「細分化ですか?」

「そう。いきなり各店舗に『月間百万円、今よりも多く売り上げをあげろ!』なんて言うから駄目なんだ。今の営業部は目標の建て方が大雑把過ぎる。月に百万売り上げを上げるということは、1日に3万円多く売れればいいだけだ。3万円というと、現在のオンデーズの客単価だとメガネ3本分だ。
営業部は毎時間毎に小さく目標を設定させて、目の前のあと1本を、多く売ることだけ考えて皆んなが行動するように、具体的で細かな指揮をとらせていけばいいんだよ。
そして、それに加えて、今考えている新コンセプトの店舗を成功させて、そのノウハウを全店に⽔平展開すれば、 1⽇3本どころか、10本も20本も多く売って見せるよ」

僕がここまで⾔い切ったとあっては、もはやどうしようもない。奥野さんは、半ば諦めたような顔で覚悟を決めたようだった。

「わかりました。そこまで言うのならやってみましょう。但し、リストラもせずに財務を立て直すなんて、こんな破天荒なやり方は前代未聞です。ますます無理難題に挑むという事をちゃんと認識しておいてくださいね!」

「ああ。無理難題を言ってるのは重々承知してる。けど、リストラをせずに売上拡大で再生に挑むというやり方は絶体に間違ってないはずだ。ちょっとの間だけ信じてみてよ」

(よし。大丈夫だ。売上目標を細分化する。新店舗を成功させる。この2つが上手く機能すれば、必ずオンデーズはV字回復を果たせるぞ)

奥野さんの心配もよそに、僕の心は逆境を打開する一筋の光明を見出せたような気がして、高く空の上へ引き上げられるように興奮していた。


2008年6⽉下旬

東京都内は、初夏のねっとりと肌に絡みつくような蒸し暑い⽇が連日続いていた。
僕は、フランチャイズなどの法人営業を担当していた長津君と一緒に、⾼⽥馬場の駅前に居た。新店舗の物件開発を命じて早々、長津君が見つけてきた新店舗⽤の物件の下見に来ていたのだ。


「どうです、⾼田馬場駅の目の前という希少な物件ですよ!」

少し顎のしゃくれた不動産屋の営業マンが、満面の笑顔で物件を指差しながら得意げに説明をする。
僕も、自分の理想通りのロケーションにある、この空き物件を前に満足気にしていた。

「うん。確かに場所は申し分ないね。ここなら学生も多いし、ビジネスマンや学生も大勢通る。お洒落に敏感な層を狙うには、願ってもないロケーションだよ!」

長津君が、胸を張って誇らしげに言う。

「私も一目見て、この物件は新生オンデーズを象徴するのに相応しい物件だと思ったんですよ!」

この時、紹介された物件は、最近まで携帯量販店が入っていた6坪ほどの小さな貸店舗だった。店舗正⾯の上部に、高田馬場駅のホームからはっきりと視認できるほど巨大な看板スペースもあり、店内の広さに不釣り合いなこの巨大看板も同時に確保できるという点でも、かなり魅力的な物件だった。

「でも、どうなんですか?メガネ屋さんにしては、少し狭いような気もするのですが」

この物件を紹介してきた不動産屋の営業マンは、笑顔を浮かべながらも探る様な⽬で僕たちの反応を伺った。

「いや、我々がイオンさんのような、ショッピングモールで出店している店舗の中には、6坪や8坪でも十分な売り上げを叩き出しているお店が沢山あるんですよ。OWNDAYSは、高度に進化した最新の機械を駆使して⼩さな坪数の店舗でも十分に売り上げも利益も確保できるビジネスモデルを持っているんですよ」

僕は、不動産屋の営業マンを相手に、かなり誇張気味に自信たっぷりと説明してみせた。

しかし、実際はまだそんな、人様に自慢できるようなノウハウなど全然有していなかった。
この当時、たまたまイオンモールにある数店舗が6-8坪程度の小スペースで月に六百万を超えるような売り上げを叩き出していたので、単純に「売り場が狭くても店の前の人通りさえ多ければメガネは生活必需品だから自然と売れていくんだろう」といった程度に考えていただけだった。


そこまで聞くと、営業マンは僕を少し品定めするような顔つきで言った。


「そうですか。それなら安⼼しました。実は今さっき、大手の金券ショップさんからも引き合いが来ていましてね。⼀応、この場で一万円でも申込金を入れていただけますと、御社との契約を優先的に進めることができるんですが、どうしますか?」

(煽りだな…) と僕は思ったが、立地・広さともに非常に気に入ったので、即決で仮申し込みを入れることにした。
僕は自分の財布から一万円を取り出すと、その場で申し込み用紙に簡単な必要事項を記入して、お金と一緒に営業マンに渡した。これで仮契約は成立だ。


翌⽇

僕は幹部達全員を会議室に呼び出し、意気揚々と新店舗の計画について話を切り出した。

「みんな、ちょっとこれを⾒てほしい。⾼⽥⾺場駅から徒歩5分の超掘り出し物件なんだけど・・」

おもむろに図面を見せられた奥野さんが、目を丸くして言った。

「こ、これは新店舗の図面ですか?もう探して来ちゃったんですか?」

「ピンポーン!! 正解。⾼⽥⾺場は学⽣だけでなくビジネスマンやOLも沢山いるでしょう。あの場所ならお洒落落に敏感な若者をターゲットにした新コンセプトのOWNDAYSを展開するには、まさに絶好の場所だと思うんだ!」

僕は自信満点といった顔で図面を眺めながら話した。
それに反し、居並んだ幹部達は、皆んな一様に押し黙ると、苦⾍を噛み潰したような表情で見つめていた。

「ははーん。さては皆んな、路面店なんか無理だと⾔いたいんでしょ? だけど、ここをよく⾒てよ。ほら、坪数はたった6坪なんだ。家賃は流石に高くて坪あたり十二万円もするんだけど、何せたった6坪しかないから七十二万円で済む。 七十二万円で駅前の超一等地に路⾯店が出せるんだよ。しかも巨大看板もあるから広告効果もある。それに、ちょっとこれを見てみてよ!」

そう⾔うと、僕はエクセルで作った新店の収⽀計画書を見せた。

 「イオンモールのこのお店は、たったの6坪だ。 それで月商六百万以上を売っている。⾼⽥⾺場なら駅前の路⾯店だから、それと同等の⽉商六百いや、七百万は堅いはずだ。客単価一万円として1日平均20客ちょっとだから、人員も2名体制で充分に回せる。家賃、光熱費、人件費などの販管費は二百万以下に収まるはずだから手堅く⿊字が見込まれる。というか、超ドル箱店舗にもなり得る計算だ。出店費⽤にざっと二千万円かかったとしても、1年で充分に元が取れる。どう?完璧な計画でしょ!」


僕は得意満面な顔で収⽀計画表を差し出した。
幹部陣は皆んな、開いた⼝が塞がらないような様子だった。それもそのはず、この時点ではまだ資金繰りは火の車で、銀行交渉も、⽂字通り⾎ヘドを吐くほど苛烈なものだった。そんな綱渡りの状態を続けているというのに、⽬の前の僕は、嬉々として新店舗をオープンするつもりでいる。 皆んなの胃がキリキリと痛み出すのも、しょうがないだろう。そんな最中にあっけらかんと僕は発言を続ける。

「どう? たったの二千万円でいいんだよ。この出店資金を何とか捻出して新店を出すんだ!」

すると、それまで押し黙って議論に耳を傾けていた奥野さんが急に堰を切ったように声をあげた。

「わかりましたっ!もうわかりましたよっ!二千万は私が何とかしてきますよ。やりましょう!しかし、万が⼀にも失敗は許されませんから、これは肝に銘じておいてくださいね!ここでこの社長のイメージする新コンセプトのお店が失敗したら、財務の⾯では完全にアウトです。しかも、社長の戦略も間違っていたことを⽩日の下に晒すことになる。そうなったら、社長の求⼼力は完全に失われ、オンデーズは空中分解するかもしれません。つまり、瀕死のオンデーズにとどめを刺すことにもなりかねませんからね。その危機感を充分に持って、この新店に賭けてください。 私も、この会社と心中する覚悟を決めてるんですから」


危機的状況にも関わらず、お構い無しに前だけを向こうとする僕の態度を見ているうちに、奥野さんの曲がったへそにも火がついてしまったようだ。
多分、奥野さんも僕と同じで、困難であればあるほど、その困難に挑みたくなってしまう、なんとも損な性分なのだろう。

思わぬ奥野さんの⾔葉に、僕の顔から笑顔は消えていた。僕は表情を引き締めて言った。

「新店舗を出すのは、なにもこの1店舗だけじゃない。これはあくまでも始まりだよ。オンデーズは現在60店舗にも満たないが、1年後には100店舗を達成する。チェーン店として生き残っていくためのバイイング・パワーを持つためには最低100店舗は店舗数を増やさないと絶体にダメなんだ!」

新規出店に続いて、一気に100店舗にまで店舗を増やすという計画を突如聞かされた幹部達は、更に困惑した表情を見せた。

「前年は数件しかオープン出来ていないのに、いきなり1年で40数店舗って・・」

「何考えてるんですか?そんな資金など逆立ちしたって出てこない!」

幹部達は次々に不安を口にした。
僕は諭すように続けた。

「新しいコンセプトのモデルを直営店で作ったら、そのノウハウを元にしてフランチャイズ展開をする。全国で加盟店を募って、店舗網を拡大するんだ。資金がない今のオンデーズが一気に売上を拡大して借入金の返済を楽にしていくにはそれしかない。ただし創業者の時に広げていた、いい加減なフランチャイズのやり方とは根本的に全てが違う。加盟店と本部、双方が、それぞれの役割分担をしっかりと担い、戦略的に機能する形のパートナーシップ型のフランチャイズモデルを作るんだ!

フランチャイズ展開を使って、早期に100店舗体制にする計画は、事前の再生計画として銀行にも提出して、理解は得ている。もう進んでいくしかないんだよ。その為にも、モデル店舗となるこの高田馬場をオープンさせて成功させる必要があるんだ」

奥野さんは、しぶしぶと苦笑いしながら意気揚々と計画を発表する僕を見ていた。

こうして新生オンデーズの、まさに社運を賭けた高田馬場店の出店計画は、僕と幹部陣の気持ちに小さくない溝を作ったまま、梅雨入り前のジメジメとした空気の中、静かに、しかし激しく動き出したのだった。


第8話に続く・・

*本記事は2018年9月5日発売の【破天荒フェニックス オンデーズ再生物語 (NewsPicks Book) 】から本編の一部を抜粋したものです。

https://www.amazon.co.jp/破天荒フェニックス-オンデーズ再生物語-NewsPicks-Book-田中/dp/4344033507


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