第1話 1.4tの砂利を積んだ2tトラックのハンドルを握る。

2008年1月

東京では新幹線のぞみの喫煙車両廃止に続いて、タクシーでも全国で全面禁煙が実施され、世の愛煙家達には一段と肩身の狭い時代に入りつつあった。
僕は自慢じゃ無いが、超が付く程のヘビースモーカー。
そんな世間の風潮など、どこ吹く風とばかりに、ポケットの数だけタバコを洋服に詰め込んで、禁煙ブームなど「我関せず」といった態度で、途切れることなくあちこちで狼煙のような煙をあげながら、この日も毎日忙しく仕事をしていた。


「えええ! オンデーズを修治さんが、個人で買収するって言うんですか?」


六本木の交差点にある有名な喫茶店「アマンド」の2階の窓際の席で、奥野さんは悲鳴のような大声をあげると、ずり落ちたメガネを直しながら「まるで信じられない」という顔で目を丸くして、驚いた。

「そう。結局、誰に話しても反対ばかりされるしさ、もう面倒だから自分で買う事にしようかなと思って」

そう言いながら吸っていたタバコを消すと、すぐさま次のタバコに火をつけ、美味そうに煙を両胸いっぱに吸い込んでは吐き出す僕に、タバコを吸わない奥野さんは、僕の吐き出す煙を迷惑そうに手で払いながら言った。

「それは絶対にやめといた方が良いですよ。何度も説明したように、オンデーズは年間の売上が、たったの二十億円しかないのに、銀行からの短期借り入れ金が十四億円もあるんですよ! 借入金の回転期間はわずか八か月、約定返済額は月に八千万円から一億円にものぼる。それなのに毎月、営業赤字が二千万近く出ているという、異常な資金繰りに陥ってしまっている会社ですよ。買収したとしても、これを再生するなんて、まず無理ですよ!」

(さすがは金融のプロ、数字が全部頭に入っているんだなぁ。ひょっとして奥野さんは、寝言までが数字なんじゃないのだろうか?)

そんなことを考えながら、僕は奥野さんの意見に、ふんふんと耳を傾けていた。

この椅子から落ちそうになっている細身でメガネの男は「奥野良考」41歳。
奥野さんは、上智大学を卒業後、3大メガバンクの一つ、穂積銀行に就職し、所謂「優秀な銀行マンの出世コース」を順調に歩んでいたが、大手銀行同士の合併に伴う派閥闘争や、薄汚い裏切り合いばかりの業界に嫌気がさしてドロップアウトした後、大手の再生ファンドを経て、小さな投資コンサルタントのベンチャー企業に転職したばっかりだった。

僕の名前は「田中修治」 29歳。肩まで伸びた髪の毛を金髪に近い茶色に染め、破れたジーパンに黒いジャケットを羽織ったスタイルをトレードマークに、早稲田の住宅街の片隅で、数名の社員達と、小さなデザイン企画の会社を経営している。

この物語の始まりは、そんな流行りの若手IT社長風を気取る僕のもとに、仕事を通じて交流のあったビジネス誌の編集者の人が、全国に60店舗を展開する低価格メガネのチェーン店「オンデーズ」の創業者で、会長職に就いていた松林氏を紹介してきたところから始まった。

なんでも面白そうな事にはすぐ首を突っ込みたがる性分の僕は、松林氏とオンデーズの支配権を握っていたリードビジネスソリューション(以下RBS)との内紛に巻き込まれるような形で「株式売却」いわゆるオンデーズの身売り案件にどっぷりと関わっていた。

当初は松林氏から「オンデーズの経営の実権を自らの手に取り戻したいのでスポンサー探しに協力して欲しい」と懇願され、松林氏側の支援者として、RBSと交渉を図っていたが、詳しく内情を聞いているうちに、松林氏の従業員や関係者の気持ちを無視した我儘な態度や傲慢な自己主張に次第に愛想を尽かしていった僕は、いつしか敵だったはずのRBS側の「味方」としてRBSの相談に乗るようになっていた。


オンデーズはここから2年ほど前、創業者の松林氏の乱雑な経営の末に実質債務超過に陥り、見かねて大株主であったRBSが、松林氏から経営権を取り上げ再生に乗り出したものの、有効な手立てを打つ事が出来ず事態は更に悪化していき、とうとう破産寸前に陥っていた。

2期連続で赤字を計上する事が確定し、このままでは銀行からの融資も受けられず、翌月の給与支払いもまともに手当てするのが難しい状況になる事が、もはや既定路線となりつつあったオンデーズの扱いに困り果てたRBSは、「民事再生」か「売却して撤退 するか」の2択を選択せざるしかない状況にあったのだ。

そこで僕は、自分のネットワークを駆使して、知人の経営者達にこの案件を紹介し、手頃な引き受け先を見つけ出した後は、このオンデーズ売却の仲介に入り、手数料でも稼ごうと考えて、当時、本業だったデザイン会社の仕事の傍ら、オンデーズの再生計画を自分なりに練り上げ、大っぴらに身売りを公言できない当時の経営陣に代わり、様々な企業の社長や担当者を相手に秘密裏にオンデーズの売却先を探し歩いていたのだった。

奥野さんは、財務会計の知識に疎い僕が、このオンデーズ売却案件の協力を依頼した知人のベンチャー投資会社から、金融のプロとして僕のもとに派遣されてきており、一緒にオンデーズのデューデリジェンスを手伝ってくれていたパートナーだった。


「修治さん、とにかくいいですか、二十億の売り上げしかないのに十四億の負債を抱えているということは、2tトラックの荷台に1・4tの砂利が乗っかっているようなもんです。そんなトラック、重くてスピードは出ないし、運転も難しい。カーブだって曲がりきれない。いつひっくり返って大事故になったっておかしくないんですよ!」

奥野さんは、よく上手い例え話を言う。僕は感心したように言った。

「ハハハ。なるほど。2tトラックで1・4トンの砂利を積んでいたら、そりゃまともに走らないか」

「そうですよ!そんな貧乏くじを引くような真似は、やめたほうが絶対に良いですよ!十四億もある借金を背負い込むぐらいなら、ゼロから自分で新しく事業を立ち上げた方が、余程マシだと思いますよ?」

奥野さんは、本当に僕がオンデーズを買おうとしていることを察したのか、まるでオモチャを欲しがる子供を諭すような感じで、半ば呆れた表情を浮かべながら、僕にこの買収計画を思いとどまるよう強く説得した。

しかし、僕は負けずに反論する。

「うーん、しかしだよ、仮にその砂利を全部降ろせたとしたら、凄い身軽に感じるんじゃない? もし重いトラックでも、安全に運転できるテクニックを身につけることができたとしたら、軽くなったトラックなど自由自在に操れるようになる。それに、借金をきれいさっぱり返せたとしたら、それまで銀行返済に充てられていた数千万ものお金が、今度は毎月そっくり会社に残るようになるんだよ。そう考えると少し興味が湧いてきません?」

自分で言ってても(ちょっと楽天的過ぎるかな)と思っていた僕に、奥野さんは、心の底から心配そうな顔をして説得を続けた。 メタルフレームのメガネのブリッジを人差指で押し上げながら、冷静に諭すように言った。


「とにかく、自分は財務の専門家ですし、前職からも沢山の企業再生案件に関わってきました。その経験から忠告しておきますけど、修治さんがオンデーズを買うのは絶対に考え直した方がいいですよ。十四億という負債はあまりに重すぎます。修治さんの会社が大企業で資金に相当な余裕があるとか、多少なりともオンデーズに利益が出ているならまだしも、言っちゃ悪いが修治さんの会社は、資金力も信用も無い、ただのベンチャー企業だ。まともな増資にも応じられない。こんな状態でオンデーズを買収するだなんて、さすがに無理ですよ。やめといた方が良い。まるで自殺行為だ!」

「ハハハ。そんな、きっぱりと否定しないでくださいよ。さすがに俺も、みすみす失敗する気なんてないですよ。最初は人に仲介しようと思って作成していた自分なりの再生計画をね、こう毎日朝から晩まで眺めていると、なんだか自分のこの考え方で、ちゃんとオンデーズを動かすことができれば、再生できるんじゃないかなって、そんな気がしてきたんだですよね。それに、オンデーズの店舗を色々と見て回ってるうちに、この会社はそんなに皆んなが言う程、腐ってないんじゃないかなって思ったんですよ」

「腐ってない・・ですか?」

「そう、会社の資金繰りは、文字通り火の車なんだけど、各地のお店を覗いてみると、結構、生き生きと誇りを持って働いてるスタッフの子が沢山いるんですよね。店内は掃除も行き届いてて、見えないところも、ちゃんと整理整頓されていたりとか。本来、会社が腐ってくると、こういうところに如実に現れるもんなんだけど、さっきのトラックの例えで言えば、過積載なんだけど、エンジンや足回りは、割とまだしっかりしているなぁと・・そんな風に感じたんですよね」

「つまり、ダメなのは運転手で、運転手さえ交代したら、会社は良くなるはず・・そう言いたいんですか?」

「ハハハ。そう!その通り!それに俺自身も、三十歳を迎えるにあたって、経営者として、この辺でひと勝負かけたいという気持ちも強くあるんだですよね。でも俺みたいに、会社も小さくて資金も信用も無い若い経営者が、大きなチャンスを掴む為には、皆んなが嫌がるような案件、ちょうどこのオンデーズみたいな、燃え盛る火の中に自ら進んで手を突っ込んでくような事でもしないと、なかなかそのチャンスは掴めないでしょう?」

僕は目の前の灰皿を吸い殻でいっぱいにしながら、タバコの煙を肺いっぱいに送り込んでは、熱っぽく奥野さんを説得した。
ここでまずは、目の前にいる「財務会計のプロ」の一人くらい説得させられないようでは、どうせ先は無い。

奥野さんは目の前を漂う煙を大袈裟に両手で払いながら目をしばしばさせて言った。

「もう。タバコは嫌いなんですから勘弁してくださいよ。なるほど、まあなんとなく分かりました。なら、もう一つ質問させてください。なんでそんなオンデーズに固執するんですか?他にも買収話はたくさんありますし、M&Aの案件や相談だったら、今ならいくらでも見つかりますよ」

折しもこの時、アメリカではサブプライムローンが破綻し、記録的な株安から世界同時不況が叫ばれ始め、先の見えない経済状態が続いていた。
さらに世界中を騒がせた、リーマンショックはここから約半年後に世界中を襲うことになり、日本も未曾有の大不況に陥ることになるのだが、その前兆はすでに始まっており、あちこちから倒産や民事再生、などの暗い話題が、毎日のように経営者仲間から聞こえてくるようになってきていた。

僕は、少し姿勢を正すように座り直しながら言った。

「オンデーズにこだわる理由は『業界』です。オンデーズがいるのが『メガネ業界』だからですよ。居酒屋チェーンやアパレル、カフェ・・どの業界にも普通はすでに超強力なナンバーワンが存在してるでしょ?例えばカフェならスターバックス、アパレルならZARAとか。
せっかく企業を買収して大きく勝負をかけるなら、まずはその業界で世界一にならなきゃいけない。実現可能かどうかは置いておいて、嘘でもいいからまずは世界一を本気で目指さなくちゃいけない。

でも、ほぼ全ての業界では、すでに世界的な大企業がしっかりとシェアを持っていて、且つ、それらの大企業は圧倒的なビジネスのノウハウやサービスを更に進化させ続け努力を重ねている。だからなんか『世界一を目指す!』と宣言したとしても『どーせ無理でしょ・・』って大言壮語過ぎちゃうというか、まわりの皆んなが口だけのように感じて本気になってついてこないと思うんだですよね。


でもメガネ業界を調べてみると『これだ』っていう圧倒的な会社が、まだ存在してなかったいんですだよね。一応、日本のメガネ業界で最大手と言われてるお店を見に行ったんですけど、何ていうか、よくある『街の眼鏡屋さん』だったんだよねぇ。素人目に見ても、ハッキリと解るような『圧倒的な差』が他のチェーン店と比べて、あまり見当たらないっていうか。
これくらいの完成度で業界トップになれるというのなら、なんとなく自分でも勝てそうだなぁって。漠然とそう感じちゃったんだですよね」


奥野さんは、なんとなく合点がいったような顔をしていた。

「なるほど。そういう事ですか。まだ圧倒的なナンバーワンが不在のメガネ業界で、ひと勝負したいという感じなんですね?」

僕は、さらにまくし立てるように話を続けた。

「それに負債の十四億ばかりでなく、売り上げの二十億にも目を向けてみてよ!この二十億は誰が稼ぎだしているかといえば、今オンデーズにいる全国のスタッフ達なわけで、少ないとはいえ、それでもかなりの数のお客様が全国でこのスタッフ達のサービスと商品に対して二十億ものお金を支払ってくれている。
つまり、現在のオンデーズのスタッフ達は、少なくとも年間二十億の価値を生み出す力を持っているという事になるんじゃないですか?」

「まあ、確かに言いたいことはわかります。メガネは単なる物販と違って、視力測定やレンズ加工といった、人が生み出す『付加価値』の部分が大きいし、粗利率は六割から七割にも達すると言われてます。仮に粗利率が七割なら十四億もの価値を、現在のオンデーズのスタッフ達は産み出している事にはなりますね」

勢いのついてきた僕は、奥野さんを更に説得すべく、畳み掛けるように話し続けた。

「そう!年商二十億という事は、十年間なら二百億だ。二百億に対して十四億なんてたったの7%に過ぎないじゃないですか?! たった7%の借金にビビッて、十年で二百億の価値を産み出す可能性のある会社を、むざむざ潰してしまうなんて、あり得ないでしょ?」

「まあ、確かにそう考えれば一理あります。でも、よく考えてください。今の経営陣はその『毎年二十億の価値を創り出す会社』をたったの三千万足らずで売ろうとしているじゃないですか? 恐らくは、十四億の負債以上の何か大きな問題を抱えていると考える方が普通ですよ」

僕の決意を試すかのように奥野さんは鈍色に光るメガネの奥から鋭い眼光を向けて強く不安を煽った。
正確には不安なんかではなく、この予感は、その後まさしく的中し、買収直後から、僕らを何度も地獄の釜の入り口まで追いやることになるのだが。


「とにかく、奥野さんに何と言われようが、俺はオンデーズの買収に名乗りを上げることにするしますよ。だから、奥野さん、これからは俺がオンデーズを買収するために、汗を流してくださいね!そして買収が成功した暁には一緒に再生に入りましょうよ!」

「え?」

僕は、半ば押し切るように話をまとめた。

この唐突な申し出に、奥野さんはメガネの奥で目を白黒させ、上手く言葉の意味が飲み込めない様子でいた。

「だってさ、オンデーズの買収と再生には、オンデーズの財務内容を熟知していて、且つメインバンク不在、十一行にも及ぶ銀行団と粘り強く交渉出来るCFOが、絶対に必要でしょう?
その適任者は奥野さんしかいないわけで、だから奥野さんには買収後に、そのままオンデーズに俺と一緒に入ってもらって財務と銀行交渉を担当してもらいたいんだよね。ということで宜しくお願い!じゃあ、頼みましたよ!」


投資コンサルタントとして、客観的にオンデーズを調査していたはずの自分が、いつの間にか、この買収劇の当事者になろうとしている。
それが嫌なら、僕の申し出を即座に断れば良いのだが、奥野さんは断ろうとしないでいた。


それが、奥野さん自身も不思議でならないようだった。

何か逃れられない運命の糸に手繰られるように、激しい嵐の真っただ中に引き込まれていくような感覚に、奥野さんも包まれていたのかもしれない。

僕は奥野さんからの返事を待たず、最後は一方的に要望だけを伝えると、コートのポケットにテーブルの上のタバコの箱を押し込みながら、さっさと店を出て行き、この日のミーティングはを終了した。


2008年2月

僕は奥野さんへの宣言通り、オンデーズを買収した。
某外資系ファンドもオンデーズの買収に名乗りを上げていたが、決算の内容があまりに酷い為、具体的な再生計画が描けずに、最後には自ら降りてしまった。
その為、最終的に手を挙げていたのは僕一人だけになり、僕が個人で三千万円の増資を引き受けるかたちで、オンデーズの株式の70%以上を取得し、新しい筆頭株主となり、代表取締役へと就任した。

これを受けて奥野さんは、投資コンサルタント会社からの出向という形で、オンデーズに合流し、財務会計の責任者として、オンデーズの銀行交渉担当としての役割を担う事になった。


今にも雪に変わりそうな雨がしとしと降る寒い夜。

六本木交差点にあるアマンドの2階の片隅で、全国のオンデーズのスタッフ達は、まだ誰も知らないうちに、オンデーズの命運を預かる、新しい社長とCFOはひっそりと誕生した。


この時から100人が100人「絶対に倒産する」と言い切っていた、僕たちオンデーズの快進撃は静かにその幕を開けることになったのである。


第2話に続く・・


*本記事は2018年9月5日発売の【破天荒フェニックス オンデーズ再生物語 (NewsPicks Book) 】から第一話を抜粋したものです。

https://www.amazon.co.jp/破天荒フェニックス-オンデーズ再生物語-NewsPicks-Book-田中/dp/4344033507




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