多摩美術大学の芸術祭で思ったこと/賞を獲っても思えなかったこと

11月3日、今日は文化の日である。
国が、そう定めている。

ということで、多摩美術大学の学祭=芸術祭に来た。
南大沢駅からキャンパスまでバスが出ていた。
電車とバスを乗り継がなくては行けない場所にある。
家から2時間弱はかかった。

大学時代、八王子市に住んでいたが、美大の学祭に行くみたいな発想もなく、初めて足を踏み入れる。
特別に選ばれた人たちが行く場所であり、私はそうではないと知っていた。

今回の芸術祭のタイトル「さん、はいっ」は、サングラスを掛けた太陽(=SUN)が勢いよく飛び出していくイメージのメインイラストと共に、公式ホームページやパンフレット、広告ポスターや会場でののぼりなどでも展開されており、印象的である。多摩美術大学は標高が高めのところに所在していて、太陽が高くのぼるというイラストもしっくりくる。

会場であるキャンパスへ着くと、さっそく学生によるフリーマーケットが広がっていた。皆、自分でデザインしたポストカードやステッカー、キーホルダー、作品集やZINE、アクセサリーや衣類、陶器など、思い思いに制作し販売しているらしかった。ひとりで販売しているブースもあれば、チームで出しているところもあり、その形態も様々だった。SUZURIなどのオリジナル作品を販売するプラットフォームなども好きな私は夢中になって練り歩いた。

そして色々な商品をゲットする。いわゆる戦利品だ。オリジナルステッカーや作品のポスター、学生が自分で染めたオリジナルの布で作った巾着袋などを購入する。

モノの他に、似顔絵を販売しているブースもある。美大生に似顔絵を描いてもらえるなんて光栄じゃないか!とわくわくしながら声を掛ける。たった100円で描いてくれた。かわいい。

さて、私は中学生のとき、美術部だった。
しかも、美術部の部長だった。

小学生のときに水泳やバドミントンに打ち込んでいた私は当時、結構スポーツに疲弊していて運動部という選択肢を毛頭消しており、ふと、絵はさほど得意ではなかったが、苦手なことを克服してみようかなと思い立って、軽い気持ちで入部した。

結果的には、3年の夏の県のコンクールで賞を獲り、全校集会でみんなの前で表彰され、その作品が学校の廊下に1年間くらい飾られる、という結構良い感じの実績が残った。

どのような作品だったかというと、陸上選手を丁寧に描写していくというリアルな人物画で、描くにあたっては写真を模写するという手法をとった。周りは、ファンタジックな世界観で創作性の高いフィクション作品が多いなか、私はひたすらに陸上選手の汗の感じとか筋肉の感じとかを水彩で描写していた。それが得意分野とかいうわけではなかったが、そうした。

当時、好きな人が陸上部だった。私がこうして美術室で黙々と絵を<かいて>いるあいだ、彼は炎天下のグラウンドで汗を<かいて>いるんだよねっ!などと妄想していた。実に変態である。絵を描くのに大したメッセージ性は必須では無いのだと知る。
ちなみに、描きながら「これは賞獲れるぞ!」などと思った瞬間は1ミリも無かった。

私の片思いを乗せた作品が、私の許可もなく突然学校の廊下に飾られたとき、友人たちがざわついた。「このモデルって…」としきりに訊かれた。まさか賞獲ると思ってないし。まさか飾られると思ってないし。まさか、じゃん。絵で想いを伝えるタイプのイタい中学生だと思われていたに違いない。好きな人が見たら嫌だし、見てくれなくても嫌だと思った。

多摩美術大学には、油絵、水彩画、デジタル画、写真、映像、漫画、立体作品、陶芸、テキスタイル、、それだけでなく数多のあらゆる作品が飾られていた。彼らには、やりたいこと・描きたい対象・伝えたいメッセージがしっかりあった。どれにも想いが詰まっていることが、手にとるように分かる。大したメッセージ性が無くても絵が描けることをあの頃の私は気づいていた。が、それらにはそれがあった。

あの頃の私が、私ってばもしかして美術のセンスがあるわね、などと思って美術の道に進もうとしていたならば、もしかすると彼らと同じようにここに私の作品が並んでいたかもしれない。しれなくて、泣きそうになる。

しかし、私は思えなかったのだ。私ってばもしかして美術のセンスがあるわね、などとあの頃の私は思えなかったのだ。賞を獲り廊下に飾られたときですら、一切思えなかったのだ。

ここに作品が飾られている学生たちには、それを思った瞬間がきっとあったのだろう。

はあ、それが、尊い。才能だ。その瞬間こそが、彼らにとっての最初の「さん、はいっ」だったのではないか。(どういう意味ですか?とは訊かないでほしい。)

彼らの今後の活躍を祈りつつ、また来年も足を運びたい。

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