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【ネタバレ超有】Good Luck Your Memories:Re/私のエゴと観客のエゴみたいなことを考えた【観劇記】

基本的には行って即脳直の観劇記は書かないことにしているのですが(mixi時代の黒…反省をフルに活かしている。あと、筆が早いことだけを誇る旧世代たちへの反抗。一生反抗期なので)、単なるご批評めいたものでなく、内省としての観劇記だったら書いてもいいかという気にさせられた演目に出会いました。ので、失礼いたします。

拝見したのはこちら↓
『Good Luck Your Memories:Re』(劇団GAIA_crew本公演/作 加東岳史さん/Hikaru//さん他)

特設サイト、いつまで残るかわかんないからカンパニーの公式も。

それぞれ高校時代からの友人であり、選んだ道でくすぶりながらもお互いの友情を糧に日々を生きる探偵・刑事・チンピラの3人が、「人生で後悔した瞬間に戻せる」という能力を持つ女に出会ったことで、文字通り人生の歯車が狂いだしていくというストーリーでした。
当作は主催の劇団GAIA_crewで初期に上演されたものだそうで、初演の13年前の内容を改めて今の情勢や気分に合わせて書き起こしたとのこと。

まず、映画のように特効やCGを使えるわけでもないし、大劇場のように種も仕掛けも隠しづらい小劇場で「ファンタジー×任侠もの」を取り上げるということに興味をもちました。

「変えられるのは自分だけ」という一見当たり前のことで紡がれる濃密なドラマ

今日(2022年5月5日)が千穐楽なので核心に言及すると、上記の「後悔した瞬間にその人を戻せる」能力を持つ雫(しずく)の力を使って、主人公たちは何度も失敗をリカバリしようと試みます。
発端は、強く憧れる兄貴 陣内を助けたい思いで時を戻すチンピラ 浩輔。この異能は時を戻すのと引き換えに、その力と“契約”した人の思い出を蝕んでいくという代償があり、浩輔はその「本来の目的」だったはずの兄貴への恩義すら忘れていきます。
一方、刑事である誠司は、上司の女性刑事 小松が主導する捜査の失敗で降格処分になり、そのことに納得がいかずに異能に手を出してしまう。
そして探偵の卓馬は、この親友二人がお互いの友情や思い出を忘れながら野心をかなえようと殺しあう結末を回避するために雫の異能に頼ることになります。

文字にするとすごくよくわかるんだけど、1人ひとりの中でも内部矛盾が起きていて、3人の「後悔」も悲しいくらいかみ合わない物語。
なので、論理だけ整理するとバッドエンド不可避なことが痛いほどよくわかります。
論理的にどうやってもバッドエンドな話を、変に大団円にせず、予測できない繊細な心理描写による人情劇で魅せているところに大変しびれました。

まず、後悔って「してしまったことに対して心から悔やむこと」だから過去のできごとに因果があるのに、使い続けると「思い出=過去のできごと」を忘れていってしまうということは、それ単体ですでに崩壊している。それがわかっているから雫はもう能力を使いたくなかったのかなと思っています。
ちなみにこの雫は、契約者から吸い取った思い出を吸って永劫の時を生きています。その姉 樹(いつき)も同じく思い出を養分にしているが、本人にその能力はないらしい。そこで彼女は契約者を集めて妹に能力の行使を強いる役回りを担うわけですが、彼女自身はこの内部矛盾を逆に都合がいいととらえていたのだと思っていて。終わらない後悔や責任転嫁のスパイラルが続くほど、自分の身の安全は確保できるわけなので。

浩輔と誠司、それぞれ後悔するポイントもうまくできていると感じました。
浩輔は「陣内さん(兄貴)が逮捕されなければ」と願う。誠司は「組織で疎まれている女上司(小松)のとばっちりを受けなければ」→「後輩が上げた手柄が自分だったら」と願う。浩輔の後悔ポイントは短絡的で稚拙、誠司の視点は狡猾で身勝手という差も、なかなかに痛々しいものでした。経験上、知能差が激しい人との友情は不可能ではないけど脆いと思っているから、私はこの時点ですでに悲しかったです。

あと、あれだけ雫が「後悔(自分がしたことを悔やむ)」と言っているのに、それぞれの後悔の矛先が他人に依存していることも相当救いようがない。今回2回観劇して、初見のときは「ん? 後悔って自分の成したことへの悔しさではないの?ちょっと意味が違うような」と思ったのですが、2回目で

雫 どこでも戻せるわけではありません、後悔した瞬間に限定されます
誠司 御託はいいんだよ! 戻せるのか戻せないかって……

同作セリフより。聞き覚えなのでちがったらごめん

というシーンを改めて見て、「後悔した瞬間に戻れる」という設定は、これ以上の契約者の身勝手で他人が不幸になるのを見たくない雫が契約者に伝えているだけのせめてもの良心で、本当は戻りたいところに戻せる能力なのかなと読みました。実際はどうか知らんけど。
二人が本当の意味で後悔すべき瞬間は、ほかにもいくつもあります。浩輔が彼女の志保を陣内の女 麗華の命令よりも優先して守っていたら。私は「おめーが一番後悔すんのココだろうが!」と思ったさ。私にもまだ女心は残ってたようです。百歩譲って麗華をやりすごしたとしても、舎弟の山崎のもとにのこのこ銃を持って行かなかったら……など。
誠司は浩輔に比べて、積極的に後悔すべきポイントは客観的にあまり思いつかないんだけど、男性職場で虐げられる小松を見て見ぬ振りせずに支えていたらとか、ラーメン屋の柴田のセリフ「約束と約束した友達どっちが大事か」というように、一斉摘発をきっかけに浩輔を極道の道から助けようとしていたらとか、浩輔と同じくらい「人のせいにしてんじゃねえよ」と言いたい人物像ではある。

自分の失敗を人のせいにしてやり直している限り、バッドエンドは回避できない。ここがむちゃくちゃおもしろかったです。

そして「二人が死なないために」と、卓馬は一見正義を言っているように見えるんだけど、彼が一番、誰よりも、おのれではなく他人を変えようとしているところが愚かしくて悲しい。浩輔と誠司が↑のように自分を省みない限り、この目的は叶うはずがないからです。
小松が誠司の友情に「ひどいエゴイズムね」と言い捨てるシーンがあるが、3人で笑うために2人に変わってほしいというのは、客観的に正しいけれど卓馬のエゴだということ。そして、そうやって「ハッピーエンドを求める」のは観客のエゴでもあります。

なので、2人が殺しあわない世界を叶えるために自分が出会わない世界に戻るという自己犠牲は究極の正解で、シニカルで最高に好きな終わり方でした。
わが身を振り返ってみると、宝塚受けたときとか、東京に就職したいと言ったときとかに「ずっと友達でいたいのに」とか「好きだから遠くに行かないでほしい」みたいなことを友達とか恋人に言われるたび「は?????????????」となっていたなと思って。変わらぬ友情や愛情は大事には違いないが、自分の選んだ忍道?じゃねーや、生きる道みたいなものもそう簡単に曲げられないものだ。ってばよ

ラストシーン、自分のいない世界を見届けてさまよう卓馬の姿に、ちょっと『ポーの一族』を重ねました。姉は殺してしまったけど、卓馬の30年分の思い出を吸ってまた生き続ける雫と、「これ以上人が不幸になるのを見たくない」部分で共鳴してしまった卓馬。エドガーとアランみたいだなと思った。めちゃくちゃ美しくて、シュワシュワとはじける泡のように儚くてさわやかなバッドエンドでした。

この終わり方が好きなのは、自分のコラムでも書いたけど↓

(略)それ以前に私が気になったのは「救済がない」ことに対する強い反発心だった。
ああなるほど、今の観客は物語の結びに解決や救済で「スカッとすること」を求めている――。

ヘアカタログ.jp コラム 編集者 七島周子「正塚晴彦 解決しない救済」

今ってドラマでもアニメでも漫画でも、バラエティですらそうだけど、オチがスカッとしたかどうかが、作品の評判のかなりを占めるようになってしまっていると思っていて。(これがなぜか考え出すと3億字くらいになるから割愛)
そんな今、主人公の「3人で笑いたい」思いは観客側の願いでもあって、それをかたずをのんで見守る私たち観客に、ハラハラドキドキは繊細に共有するけれど、最後はそのエゴに媚びず、物語の中の論理を守った落としどころに着地すること。
哲学的な難しいストレートプレイとか、ニッチでアングラな世界観ではなく「ファンタジー×任侠もの」という極めてポピュラーな題材で、しかも後味悪くなくさわやかに落としてみせたところに「その手があったか」とうなりました。
で、「このすごさは今絶対書き残さねばならない」と思ったため、観劇記を書くに至ったのでした。

“役替わりの妙”をはじめておもしろいと思った

長い。なげーな。すみません。

そういう「生き直し」を何度も繰り返す話なので、1週間マチソワで上演し直されることも、主人公たちの生き直しになぞられられていたように感じました。
プロローグを経て冒頭のシーン、探偵事務所で眠っている卓馬の寝相は、クライマックスで何億回も生き直しにチャレンジして目覚めるときのそれと同じ姿勢で。今見ている公演そのものがリプライズなんだな~という遊びがおもしろかった。

さらに、2チームに分かれて役替わりとなっているのも、生き直すたびに生まれる全く違う人生であることを効果的に強調していると思いました。
私、元々宝塚だとか東宝だとかのダブルキャストって割と冷めるタイプなんです。四季のブロードウェイのようにスーパーロングランが前提の公演とか、小さいカンパニーが座組に対して役が少ないから分け合ったりするのは興行上致し方ないかと思えるけど、前者の役替わりってチケットがはける以外の芝居上の意味があるように全く思えない。『飛鳥夕映え』の鎌足トリプルキャストなんてマジでイライラしました(積年の恨み)

一般的にWキャストの妙ともいわれる「相手が変わるとお芝居も変わってる~🥺」みたいな感想も、一度も抱いたことなくて。元々地方出身だからだと思うんですが、貴重な貴重な1回の観劇体験で森よりも木に注目するというのが、私は不器用なのでできないのです。映像まで買わせて見比べさせるのありきな楽しませ方だと思う。生で見る醍醐味は個人的にないと思います。

なので、当作も本来は最初にチケットを取ったチームの公演しか見るつもりはありませんでした。が、パンフレットを改めて眺めていると、シングルキャストとWキャストになっている役に、人事的な問題以外のギミックが効いているように見えました。
「卓馬が何度もやり直している世界の別ルートを見たい」
そういう思いになり、もう1チームを見たいと初めて感じるに至りました。

主人公3人(卓馬・誠司・浩輔)は当然シングルキャスト。
3人の運命を狂わす雫と樹もシングル。
そして、刑事の楢崎と極道の陣内もシングル。誠司と浩輔の運命に強く影響するけど、この町の元凶であることは誠司と浩輔の人生が変わろうと影響されない圧倒的な2人。
それ以外の「周りの人たち」がWキャストなのが本当にうまいなと思って。生き直すたびに、雫のいうところの「時間の編み目」が少しずつ変わって、その人自身のパーソナリティが少しずつ違っているのだとしたら、違う人が演じて違う人格になるのはうなずけるなと。
主人公3人に強烈にかかわる存在として唯一のWキャストは探偵事務所の所長 影浦でしたが、劇中の言葉を借りて卓馬が「特異点」だとするなら、つじつまが合っているとも思いました。代表&副代表のWキャストで人事的な意味もありつつ、矛盾もしていないのはふつうにおもしろい。

たとえば、私が一番その差を楽しんだのは女性刑事の小松。もはや時代遅れなくらい強烈な男性社会のなかで強い野心を燃やすという軸は同じながら、中山さんの小松は高潔で鋭い女戦士のようでした。一方大西さんの小松は、楢崎の差別的な態度に腹に一物を隠しながらも、うまくいなすこともできる策士に見えた。
生きていると自分の信念は変わらなくても、会う人や起こることによって生き方が影響される実感はすごくあります。なので、二人の役者がまったく違う人物像を描き出すことは「卓馬がしつこくやり直しをしている」ことを強調しているようで、めちゃくちゃ意味があり、はじめてWキャストの見比べを楽しいと思ったのでした。

人生は人からの影響の連続であること、自分の存在を肯定しすぎないこと

単に作品として楽しいということ以上に、より内省的な見方に向かった接点になったのは麗華でした。
麗華は「女であることを最大限に利用して、まじめに生きてるやつを笑って生きていきたい」と言うのですが、ビジョンとして共感はしないんだけど、そう思う根っこはすごく理解できるなと思ってしまって。

学生時代の販売のアルバイトや前職の訪問営業のとき、私はすごく成績がよかったのですが、今思えばそれって私のスキルのせいではないなと思うわけです。私がインターホンを押すだけでおもしろいくらいにドアが開く。私が話しかけると、なぜか会話がつながり商品が売れていく。
「見た目にクセのない若い女」であることが、努力やスキルを超えて結果につながる経験。今振り返れば、本能的に対象に適した髪型や服装にしたりとか自分なりに知恵や工夫をつくしているわけですが、持って生まれたもので先輩や同僚を簡単に凌駕できてしまうことに、正直「それなりの女に生まれてよかった」とちょっとイージーに感じていたことを思い出した。
私も何かの“編み目”が狂えば、麗華のようになる素質があったのだなと思い、雫のいう因果とか過去の積み重ねの危うさを痛感したのでした。
私の場合はまず学があったから、女性性を性的に利用するのは価値観として悪だと知っていたこと。おかげさまで家庭にも友人にもお金にも恵まれていたことも大きいと思います。このどれかが欠けていたら、こういう生き方をしてたんだろうなぁと、2人の麗華を見比べて思いました。
自分が落ちなかった落とし穴を、生き直してみている卓馬のようなきもちだった。

普通に恋愛をしている志保ちゃんを「ダサい」というのは、見た目も特に洗練されておらず持てる武器を使わずに生きていることへの侮蔑とともに、戦わずに生きられることへの嫉妬なんだろうなというのも痛いほど共感できました。ラクロの『危険な関係』で、主人公の女貴族が元愛人の婚約者を犯せと命じるのと同じ構図。

なお、この手の女は同じく加東さん脚本の『SIN』でも描かれていたのだけど、その時はまったく自己投影することがなかった。
やはり、これもWキャストの秋山さんと阿川さんの演じ分けの妙、そして設定の妙だと思う。

志保ちゃんの話が出ましたが、卓馬からみると浩輔の彼女 志保ちゃんは「親友のとてもいい彼女」で大切な2人なのかもしれないけど、志保ちゃんサイドから見ると浩輔と卓馬は「極道くずれのチンピラとその怪しい生業の友達」なわけで、あのまま付き合っていると3人の主人公たちが笑って過ごせても志保ちゃんだけバッドエンドだもんなとも思った。麗華が志保ちゃんをひっぱたくシーンは麗華の焦燥だけじゃなく、志保がこのままだと幸せになれないことも示唆していて、マジでうまい。

卓馬がいなくなって誠司と浩輔、山崎や結惟が平穏に暮らせているように、浩輔がいなければ志保にも平穏が訪れるということ。

もちろん、加東さんがつぶやかれていたように「全員が幸せになる奇跡」を願いもするし、それがいわゆる世界平和の究極系だとは思うんだけど、私としては、私個人の愛情とか想いみたいなものが、必ずしも“善”ではないという戒めめいたものを感じました。心にくさびとしてグサッと刺さったというか。

恋は求めるもので愛は与えるものといい、与える愛は上位互換のように言う人がいるが。
何かを与えるって、ときに相手にはありがた迷惑だったり、その人の成長を邪魔してしまったりする可能性もあるとするなら、むちゃくちゃあぶない諸刃の剣だと思う。

私の存在は過去に出会ってくれた人やものの集積で、かけがえのないものだけれど、それと同時に誰かの人生のじゃまをしたり、悪影響も与えたりしている可能性もあること。

毅然としたプロット、力強い演者、見る人の数だけ自己投影先がありそうなキャラクターたち。生の芝居を見る醍醐味が詰まっていました。

長々書いた割につまらん〆になりますが、いい芝居を見ました。

出演者さんそれぞれ、所属の座組での公演も見てみたい。‐ヨドミ‐の次回公演のフライヤーももらってきた。正方形のフライヤーかわいい。

ふだん有償原稿を書いてるとは思えない〆で、自分でも唖然としています。

〆は気の置けない友人とのラーメンにしよう。

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