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【ネタバレ無】ザ・ワンが救うかもしれないもの―「いきなり踊りだす」こととリアリズムが調和する新ジャンル #ネスワンマン

1年ぶりに目の前で動いている推しを見てきました~

今(2022.11.10日現在)ちょうど大阪公演の前日で、この界隈は大変丁寧でネタバレタグもあり、オチをもとに考察してほしいムードが強いので終わってからゆっくり感想書くか~くらいに思ってたんですけど。

なんか、今、彼の所属してるチームの他メンは全員国外にいるんですね。YouTube様のイベントのために。YouTube界のオールスター感謝祭みたいなやつです。(こういうと途端にダサく聞こえる不思議)
私としては、生きてる間にYouTube事業が斜陽産業になっていく日も来ると思ってるから(長寿家系なので。祖母は享年102)、それに出られないことくらい可哀想なんて全然思わないんだけど、やっぱり世界に発信できる機会に居合わせられないのは、近い成果を考えると焦りもするだろうなと思ったりして。

でもですね、今回拝見した私にとって2度目の彼のワンマンは、世界を救うとまでは言わないけど、少なくとも日本演劇史上で「あれがエポックメイキングだったね」と言ってもらえる可能性の、小さな小さな火種ではあるが、そんな期待を感じたりしました。それをもって後押ししたい。

あと、私は奇しくも最近これとかこれとかで、舞台鑑賞ってのはオチを観に行ってるんじゃない、体験をしに行ってるんだ!としつこく言ってきたので、よっしゃじゃあそれを証明してやろうという気持ちに相成った。

作品の本当のおもしろさは物語のオチ以外のところにあるんだったら、【ネタバレ一切なし】で魅力を書ききれるんじゃないだろうか。そういう挑戦です。

『ザ・ワン』のネタバレにならないあらすじ

この絶望的な状況を打破するために、彼は選ばれた!
世界でたった一人の男である彼は、スーパーヒーロー「ザ・ワン」として生まれ変わり
世界を救うために各地に眠る「オーパーツ」を集める旅に出ることとなる!

表現者、ネスの単独公演第三弾!世界を救うスーパーヒーローとして、世界崩壊の謎を解きあかす!
なぜ世界は滅亡に進んでいるのか?なぜ彼が選ばれたのか?オーパーツとは?

数々の謎の先に待つ真実を、解き明かすことは出来るのか?
東京~大阪を股にかけてネスが巻き起こす大冒険!その活躍に刮目せよ!

ネス単独公演2022「ザ・ワン」公式HPより

字面を見ていると、ラッキーマンとドラゴンボールがいっしょになったようなテンション高めの印象。前作『SIN』は架空の犯罪都市が舞台の疑似裁判だったので、一見して真反対に見えます。
オーパーツっていうのは、その年代にその土地に存在したはずのない人工物のことです。out of place articraft。広義でいうとジョジョの石仮面なんかも、ジョナサンが骨針に気づいてひそかに研究していた時点ではある意味オーパーツといえるかもしれないね。なんてことをつらつら考える。

基本情報はここまでで、以降は公演パンフレット内インタビューより一部抜粋。一応当インタビュー内末尾より1つ前の見出しに「観劇前の方に一言」とあるので、ここまでの本文は観劇前に読んでいたとして差支えないものとして扱うことにするぞ。

(――見どころ・注目ポイントは?の問いに対して)
ジェットコースターみたいな物語かな。

ネス単独公演2022「ザ・ワン」公演パンフレット内インタビューより

物語が「ジェットコースター的」であることは、最後の章で話すことに関係してくるので、ちょっと覚えておいてください。

一旦「突然歌いだす」芝居=ミュージカルを考える

冒頭息巻いたように、当作を「【ネタバレ一切なし】で魅力を語る」、この結論を先に言うと「いきなり踊りだす」演目なのに芝居としてリアルで濃密あるということです。
前作『SIN』の感想のときもつぶやいてはいたんですけど↓

今回の『ザ・ワン』は、その設定や「ジェットコースター的」な構造もあいまって、その比でなく調和していると感じました。差を言葉にするなれば、「一部と化してる」だけでなく「ダンスによって物語に引き込む」ことが叶ったというか。

その違いは何かを考えるには、ダンスでなく歌であればポピュラーなジャンルだし、ヒントになるのは想像に難くないと思う。ミュージカルですね。
ミュージカルはよく、よく思わない人から「突然歌いだすのおかしいでしょwww」と揶揄の対象にされることがありますが、その長い歴史の中で、いかに物語(セリフ)と音楽(ナンバー)を調和するかという問題に向き合ってきて今があるんですよ。
その議論の歴史は省略しますが、作者や音楽家、批評家たちのたくさんのディスカッションを通して、世界中で認められる一大ジャンルとなっているのは間違いないと思います。

この歴史を考察した本に『ミュージカルの歴史 なぜ突然歌いだすのか』(宮本直美/中公新書/2022年)というのがあります。以下は議論に入る前のさわりだけど、今回のテーマに近い部分を抜粋↓

様々なタイプのミュージカルに慣れているはずの筆者自身、違和感とまではいわないが、演目によっては歌と台詞の「段差」を強く感じることがある。

『ミュージカルの歴史 なぜ突然歌いだすのか』(宮本直美/中公新書/2022年)

この章で筆者は「突然歌いだす」のにひっかかりを感じることがあるのは、「現実にそんな人いないじゃん、おかしいでしょ」という見方をする人に限らず、前提として「歌と台詞で構成されるものを見る=歌いだすことを了承した世界として見る」人でも、ナンバーと物語にブツ切り感を覚える演目は確かにあるという現象を論じています。それをあえてやってきた時代も含め、双方を調和する努力はどのようになされてきたかを紹介していきます。

※正確には音楽と物語の「統合」という表現を使うみたいなんだけど、イメージしづらいと思うのでこの記事は「調和」に言い換えています

ここで『ザ・ワン』に話を戻すと、私の感想としては『SIN』に比べてその”段差”が格段に感じられなくなったと思いました。
それはネスくん本人が心情のつなぎめを表現する力が上がったのも大きいと思いますが、演出上にギミックが効いてるんですよこれが。
その一例としては、これは多くの人にとってネタバレにはならないと思うが、最初のうちはあえて“段差”を見せるようなダンスパートの使われ方がなされるんですね。そこがうまいなぁと。主人公が能動的に踊っていたものが、だんだんと引っ掻き回されるように踊りだすようになる。「赤い靴」みたいだな、と思いました。

ミュージカルに照らしたことによるもう1つの発見としては、去年『SIN』を「ダンスになるとやっぱり引き込まれる」と思った人の方が、感性としてはむしろ正しかったのかも?と思う部分もあります。
おそらく、ミュージカルの例でいうところの「歌いだすものだと了承する」というのに私は慣れすぎているから「物語の中で必要に応じて踊りだすものだ」と了承しすぎていたのかもしれない。いや、それでも違和感はなく、調和のクオリティは高かったんだけど。見慣れない人にとってそこにある段差を確かに感じるというのは、それもいいことだと思いました。

ただ今回は、かれこれ25年(ヒッ)ミュージカルを見ている私でも「ハイここでナンバーね」という客観性を失う瞬間があった。さらに、「ダンスナンバーを見ている」というよりも「ダンスによって物語に没入していく」感覚を味わいました。そういうジャンルは例がないとは言い切れないけど、めちゃくちゃ最先端だと思いました。

で、もう1つ。歌で引っ張り込もうとしてくるミュージカルに25年抵抗してきたくせに、歌で引っ張り込まれるよりダンスで引っ張り込まれるの気持ちいいなと思ったんですよね。これは、私が“歌(音+歌詞で構成されるもの)”にそもそも抵抗があるという超個人的な嗜好が前提なのは承知の上で、大きな可能性を感じました。

「突然踊りだす」ことが芝居と調和するには

「突然踊りだす」方がむしろ調和する? ――過去の類似例を振り返る

では、単なる好みではあるという前提で、「歌で引っ張り込もうとしてくるミュージカルに25年抵抗してきた」私がなぜ「ダンスで引っ張り込まれる」のには抵抗を感じなかったかを考えます。

これは、すごく考えてみたところ、過去に類似体験がありました、実は。

それは『théâtre de Yuhi Vol.1  La vie』(企画プロデュース・主演 大空祐飛 ※当時の表記/脚本・演出 児玉明子/2014年)。女性画家 タマラ・ド・レンピッカの生涯を下敷きにした物語を、音楽と少しの歌、ダンスやパントマイムなどの身体パフォーマンスで紡いでいく舞台作品でした。

これ、1~2曲歌いはしていたんだけど、分類としてはミュージカルではないと思っていて。セリフと音楽に合わせた体の動きで、セリフだけの世界よりも情景や心象を描くことに成功していた印象的な舞台だったのです。

私にとってこの作品は「圧倒的に段差がない」と思ったわけだけど、それはなぜかを考えると。
企画・主演の大空さんが、演出の児玉さんにこうオーダーしたのだそうで。

「芝居だとしても嘘はつきたくない」

このオーダーは、なかなか面白いけど、超難しいですよね。

で、これは自分の経験者としての主観も大いに入ってくるから論理は欠落してるんだけど、歌よりも圧倒的に振り(マイムやダンス)の方が意識を超えたところで表現できるな~ということにまず気づいたんですよ。
ただ、先述の書籍の中でいうと「段差」の正体は作者や演者の方ではなく、受容者が感じる「突然歌い(踊り)だしたぞ」という感覚だから、論理的には受容者目線での「調和」を感じさせる理由がもっとなければいけないんですが……

しかし、大空さんと児玉さんが導き出した「嘘をつきたくない」のアンサーが、たとえばストレートプレイ(歌やダンス、音を一切排除する)でなく、マイムだったということは、めちゃくちゃ大きいヒントだと思っていて。
たしかにあのとき私は、ステージ上と客席の「段差」、大空さんがタマラを演じているという「段差」、その2つを言葉ではなくマイムが埋めたと感じたなと。本来「段差」と感じるはずの“現実的には不自然な動き”が、別の段差をうめてしまったわけです。
リアルな会話を中断して他の表現を差し込むことで、逆に「リアルだ」と感じた……

この経験があったので、今回の『ザ・ワン』の客席で感じた「気持ちいいな」が、単に推しが天才とか美しいとかいった主観的なものでなく、ダンスで紡がれる芝居ってかなり気持ちいいジャンルなんじゃないか……?という発見につながったのでした。

で、余談ですけど、この企画・主演の大空さんって元宝塚トップスターなんですよね。演出の児玉さんは元宝塚の座付作家。要は、偶然にもこの作品も、半分ファンに向けた出し物でもあった。そんな共通点もあります。

ダンスナンバーが“ウリ”なのに、ダンスアクトでなく芝居であるというすごさ

つまり、私としては今回の『ザ・ワン』の方が「突然踊りだす」“段差”もだんだんと忘れるくらい没入するしかけにより、さらには「踊りだす必然性」すら感じさせるものだったことに強く好感をもちました。

踊りだす必要性が確かにある。でも、ダンスアクトではない。ここが最後のキモ。

『SIN』の記事でも言ってるしやかましいほどツイートしてるけど、脚本・演出の加東さんがネスくんと彼を応援する人たち、そのために打たれる興行の意味あいをめちゃくちゃ的確に把握していながら、演劇人としての矜持を強く持たれているから、セリフにダンスがより深く調和しても、あくまでも「演劇」なんですよね。改めてすごい。

これ、一番キモでありながらミュージカルになじみがない人はすごさが分かりづらいと思うんだけど、調和が進んで“進化”することで、逆に積極的に物語性を捨てていくミュージカルは往々にしてあるんですよ。
一般的にわかりやすい言葉を使うと、“考察”の余地がないっていうのかな。しゃべってるまんま、歌ってるまんまならまだいいほうで、え、なんで?今歌でいろいろすっ飛ばしたよね!? 的な。しょうがない。だって、ミュージカルにおける歌って、そのためのツールでもあるからです。

一応補足しとくと、良質なミュージカルには心情や葛藤をセリフでは端折る代わりに、歌詞だけでなく音楽的な表現で雄弁に語り、ヘタなストプレよりも骨太な物語もちゃんとあります。ただ、ペラッペラなものもあり、ペラッペラでWikipediaコピペしたみたいな脚本なのに世界中で支持されているヒット作も死ぬっほどある。

もちろんそれを悪いとは言わないけど(嫌いですが)、前回よりダンスが占める意味合いが濃く強くなっているのに、物語性が薄まっていないのはふつーじゃねえ、ということが分かってもらえたら。
このバランスに関してはね、まだ見てない人は楽しみにしていてください。まさに「ジェットコースター的」な引き込まれ方をすると思うし、最初は「あれ?」って感じると思うな。

追記 2022.11.10 20:00
1個比較検証するのを忘れていた重要なことがありました。先述の『La vie』は物語のために書き下ろされた楽曲を使用していますが(音楽 和田俊輔)、当作は前回同様既存の楽曲を引用しています。
ミュージカルも一般的に楽曲は物語のために書き下ろされますが、成立以降も一部例外あり(ABBAのヒットナンバーを使用する『マンマ・ミーア!』、先にコンセプトアルバムをヒットさせて興行した『ジーザス・クライスト・スーパースター』など)。
で、なので、既存楽曲を引用して構成していく点で共通するのは、ミュージカル成立以前の「レビュー」「ショー」が該当します。これらは宝塚に限らずさまざまな芸の寄席であって物語性は強くなかったとされていて、宝塚のショーには一部全編を通して物語仕立てになっているものもありますが、物語自体はかなり記号化されていて、物語で没入する人はほぼ皆無だと思います。(BADDY信者から反論を食らいそうだけど、あれは物語というよりキャラクターへの二次創作的没入だと私は理解してる。斬)
なので、単に「突然踊りだす」というだけでなく、人の曲を使っているのに”段差”がないという点も面白いわけです。よくよく考えてみると、観客によっては「すでに知っている曲」だからこそ思考が広がる可能性がある。この点も、ジャンルとして新しいと言い切っていいんじゃないか?と思っている理由です。

「ダンサーがダンスで食える日本」に近づく小さいけれども大きな一歩になるんじゃないか

『SIN』単体で見たときは1つの良作・意欲作という“点”だったものが、新たに出会った『ザ・ワン』の進化。単なる”点“を超えた「ジャンル」へ広がっていくんじゃないか、そんな壮大なことを思っています、割と本気で。

前回の記事で、若手スター(美女)の台頭に喚起した私は、一人のスターが生まれる瞬間に立ち会いました!ピギャー!!とわめいたけど、今回の『ザ・ワン』を見た人も、新しいジャンルが生まれる瞬間に立ち会ったと自慢できる日が来るかも……? 来て…! 来るといいな!と。

で、私がこの小さな可能性を語気強く期待するのは、ダンサーがダンスでダンス以外の舞台の0番に立てるエンタメってのを夢見てしまうからなんですよね。
ミュージカルはミュージカルで素晴らしい一ジャンルだと思う。でもさ、それだけじゃないとダメか?っていう。歌えなきゃダメ? ストプレでストイックに演技勉強するか、つよつよ組織力のアイドル経ないと主役張れない??的な。
もちろんダンスそのものが主体の公演や、ガラ公演的な現在のダンサーの活躍の在り方を否定するものでも毛頭ないです。

自分自身がどっちも練習してた時からずっと思ってたんですよ。
え、みんなこんなに頑張ってこんなにうまいのに、バレエ(ダンス)進路むずすぎん?っていう。歌だって間口が広くないのは重々承知してるんだけど、ダンスの方が選択肢もステージもなすぎんか??
こんなに楽しくて奥が深いのに、ほとんどの人が趣味や教養で終わらないかんの???

そんな18歳から大学生時代の悶々とした不条理が、少しだけスッキリとしたような気がしました、今年。

そもそも、ネスくんが所属するREAL AKIBA BOYZの動画内で、メンバーのあっちゃんが言っていた「振付家とかバックダンサーとかじゃなくダンスをメインコンテンツに勝負する」(意訳)ってやつ。
それに関してはRAB自体が間違いなくパイオニアだと思うし、たぶん近い将来確立すると思うんですよ。

私はそこを強烈に共感て応援しつつ、ネスくんがそこからちょっとだけ横道にそれて、演劇に手を伸ばしてくれたことがまずうれしいです。世の中に新しい何かが生まれるきっかけになったらいいなぁって。割とひいき目抜きで客観的に思った、2回目の単独公演観劇でした。

去年の単独後は「すごい金の卵を見つけたのでは?」と編集者としての才をうぬぼれるくらいの余裕があったけど、今は大変な人のファンになっちゃったかもな、とちょっと日和ってます。

やっぱ、たしかにあなたこそザ・ワンだと思うよ。その才がある。同時に使命もあるし、宿命めいたものもありそうだね。良いんだか悪いんだか。

これからも茶の間から見守っています。

まあでも、行きたいよねシンガポール🦁

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