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大友克洋「童夢」を再読して◆大友克洋のA面

【起】早すぎて頭が追い付かなかった

大友克洋「童夢」を漸く再読出来た。
家庭内暴力というものが注目を集め始めた頃と合致するのだろうけど、親子間の貧困連鎖を視覚化していたのは、とても早かったと思う。
アル中家庭の子どもという社会問題が話題の俎上にあがるのは、これより10年は後の事(※1)なのだから。

オレが「童夢」をはじめて読んだのは、たぶん18〜19歳の頃だと思う。
高校生の時には大友先生の単行本を何冊も読んでいたから、順当に行けば1983〜1984年頃。
その頃から気になっていたのが、アル中家庭の子吉川くんと知恵遅れの子ヨッちゃんの2人なのだ。
ずーっと気になっていたのだが、当時はその理由を言語化出来なかった。
この歳(54歳)になって、やっとそれが出来る様になったのだから、オレの成長なんて遅々として微々たる歩みだったのだなぁ。
大友先生の進化は速いので、オレなんぞに追い付ける筈もないんだよ。

詰まる所、この漫画の中では、社会の要らない人たちが潰し合いをしているんだ。

まず基本的に日本国内では、子供は親の付属物という前提で、国の設計から日々の運営までがなされている。
子供に人権は付与されていない。
特に、家庭という密室の中では親が主役であって、子供はオマケか小道具なんだ。

「童夢」の中で要らない子扱いを受けていないのは、ベランダから落ちそうになった赤ん坊と悦子くらいしかおらず、アル中家庭の吉川くんも、片親家庭のヨッちゃんも、残念ながら要らない子どもなのだ。
三浪中の青年、あの子も次の受験に失敗すれば恐らく、親から露骨に要らない子扱いされるのだろう。
そうでなくとも、あの子の親は既に、腫れ物に触れる様な態度ではないか。

オレが10代の頃から気になっていたのは、SF的な驚きよりも、そういう暮らしの描写の方だったのだ。

主犯のチョウさん、アレもやっぱり世間や家族にとって要らない人員なんだよ。
ほら、90ページでは、体のいい厄介ばらいだと台詞で解説されている。

【承】隠蔽しても漏れ出てしまうもの

チョウさんは頭の中が子ども並みというボケ老人だが、65歳という年齢に応じて手の付けられない暴君になっているんだ。
欲望や衝動が強く、手加減も出来ない。
考え無しに周囲を全て破壊してしまう。
悪いけど、家(という密室)の中でこのタイプの認知症に捕まったら、ひとたまりもない。

チョウさんを介護していたお家の人たちは堪りかねて逃げたのだろう、そんな事が容易に想像出来る。

世の中には、やっていい事と、そうでない事がある。

理由はどうあれ、無責任に他者を破壊してはならない(※2)

ボケ老人のチョウさんに欠けているのは、そうした事に関する判断力なのだろうね。
悦子が諭そうとしているのは、そういった最低限守らなくてはならない社会のルールなんだろう。

さて、吉川くんとヨッちゃんの話に戻すよ。
公団住宅に住んだ経験があると、この2人がどれだけ現実に近いのか判るだろう。
オレは小2〜小4までの2年あまり、東京都下昭島市の団地に住んだ事があり、実際に隣りの部屋に知恵遅れの大きな子がいた。
入居世帯のほとんどが貧困層(※3)であるため、家庭内で投げ捨てられた粗暴な子供も多かった。
「童夢」には、そんな現実に近い描写がとても多く、自分の事として引き寄せ易いんだ。

あの団地は要らない人たちの吹き溜まりであって、何かきっかけがあれば平穏そうな見た目が崩れ、内側の野蛮で粗暴な面がバレてしまうんだ。

いや、本当は既に半分くらいバレていて、おばさん方の井戸端会議の議題になっているではないか。

「童夢」を読んでいて、最も辛く苦しい気持ちになる箇所は、ヨッちゃんの死に際なのだ。
ネグレクトされていた吉川くんの葬式でもあるから。
吉川くんやヨッちゃん(あと手塚の奥さん)が死んだところで、悦子以外は誰も悼んでくれない、それがありありと判るからこそ、読んでいて悲しいのだ。

フランケンシュタインの怪物の様に大暴れするヨッちゃんの狂おしい咆哮は、この世に生まれ落ちた現実をどうにも出来ない僕らの心中と似ているのではないか?

だからこそ、逆さまに落ちて行くヨッちゃんの姿や目付きは、僕らの胸を抉るのだろうと思う。

チョウさんが破壊の限りを尽くした団地はそのまま、吉川くんやヨッちゃんたちの墓場になってしまうのだし…。

閉じられた空間しか知らず、何もなし得ないで死んで行くだけの、要らない人たち。
これを自分の事と思ったら堪らないけれど、僕らの日常ってこんなモンだ、とてもとても虚しい営みだ。

【転】ズレた奴に腹が立つ

チョウさんは何故腹立たしいのか?
それは、吉川くんやヨッちゃんたちの墓場となった瓦礫の上でアラレちゃん帽子を探し当て、オンドレの物欲だけを満たしてニッコリするからなんだよ。
結局、自分の欲得しか頭にない暴君だから、僕らはチョウさんに腹が立つの。
老害だからか?って言うと、多分それだけじゃなかろう。
自分の労力は自分の楽しみにしか使わない癖に、社会の中に居座ろう、他者から奪う事で文化文明を享受しよう、そんな勝手な奴だから腹が立つんだよ。

チョウさんのやった事は甚大な被害を出しており、イタズラの範疇を明らかに超えている。

こんな場面を見かけない?
万引きだの横取りだの喧嘩だの、子どもの絡む揉め事がある度にさ?

「子供のした事なんだから勘弁してくれませんか?」

いやいや、親が横からしゃしゃり出て来てそれを言うかよ!って思うじゃん?
平穏に生きる術を教えるという仕事を放棄しちゃってる親がエラソーに出て来るからこそ、僕らは頭に来るんだよ。
チョウさんのズレた感覚と根っこは同じ、そこが腹立つんだよ。

【結】次世代に渡す課題

それと、このキーワードにも触れて置かないといけないよね。

野々村典子「子供よ、子供に気をつけなさい」

これは、子どもと去勢の関係を示してるのだと、オレは勝手に考えている。
親や社会が施す去勢が効いているのか?って言うと、長い目で見ればコントロール不可能なんだって事だよ。

子ども同士でも、人数によっては互いに牽制し合うだろう?
牽制の仕方が行き過ぎると暴力と呼ばれる訳だが、窘める程度ならばどうかね?
子ども同士でほんの少しの去勢を加え合っていると取れないもんかね?

悦子はサイキックバトルでチョウさんに足りなかった去勢を加えている、そう読み取ったよオレは。

「童夢」のチョウさん対悦子のサイキックバトル、これはいつも大勢の子どもたちが見張っていて、視線だけで悦子に加勢している。
ここは、子どもたちをモブだと思って流して読むと、全く気付かない箇所。

大人だの学校だのの目が届かない所で、子供は色んな物事を吸収しているし、意外と聡いのだ、という事を示しているんだろう。

親がちょっかい出せない場面で、子どもは自分の判断力を働かせている訳さ。

チョウさん対悦子のラストバトルが開始すると、子どもたちはちゃんと呼応している。
チョウさんにトドメを刺すのは複数人の子どもたちで、悦子一人だけではないんだ。

チョウさんが生育歴上の去勢で何を拗らせたのか、全貌は不明だ。
だが、自制心を持たない密室内の暴君が無制限の自由を求めたら、どれだけ僕らの暮らしを危険に晒すのか?って事なのだと思う。

リンチ上等だとか、死刑反対だとか、そんな簡便な言葉で片付けられない問題が、山ほど見つかるんだ。

勝手な懲罰はいけないという自制心と、植松聖の様な偏った思考回路と、心はその両側に振れ、どちらも元々持っているのだと気付いてしまうんだ。

平和なこの日本国内もまた内側を眺めてみれば針のムシロであって、「童夢」はそんな恐ろしい事を暴いてしまう、現実と地続きの漫画作品なんだ。

家の中は治外法権であり、子供にとって安全圏であるとは限らない。
大友克洋「童夢」を再読して受け取った最大の教訓は、正にこの事だった。

僕らは今後、後世に何を残せるだろうか?

平穏な暮らしを守る為、チョウさんみたいなタガの外れた化け物にならんよう自分で気を付ける、中高年の僕らはせめて、そこから始めるしかないんだろうね。

思い返して欲しい。
僕らは皆、嘗て子どもだった。
無菌室を与えられたとしても、自力で隙間をこじ開け、自律を目指して来たのではないだろうか?
僕らが大人に対して欲したものは、見てくれの平穏ではなく、外の世界を生き抜く知恵だったのではないだろうか?

親や学校や社会が去勢しようとして失敗した事、または去勢された事象を取り返そうと記憶しているなら、今後の何かに生かして行こうよな。
僕らが経験した事柄、失敗も成功も、次世代の役に立つかも知れないのだから。

そう思ってこの記録をつけ、今宵は取り敢えず筆を置きます。

【オマケ】

チョウさんには実在のモデルがいるらしい。
いしかわじゅん先生が詳しいので、詳細は直に訊ねられたし。

【参考資料】

童夢初出一覧(大友DB)
http://interq.or.jp/blue/junya/appleparadise/html/okcomics/ok-08-domu.html

金属バット事件(ウィキペディア)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E9%87%91%E5%B1%9E%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%88%E4%B8%A1%E8%A6%AA%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6

家庭内の殺し合いが世の中でクローズアップされるのは、何と「童夢」連載の最中、しかもド真ん中の時期であった。
(実は今調べた)
(オレは大友先生のこういう所が恐いんだよ)

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【注釈】

※1
1990年代、精神医学分野に於いて、アル中家庭の子ども(アダルトチルドレン)という概念が日本にも輸入された。
但し、この用語の流布が進むと同時に、誤解から意味を拡大解釈される濫用に至ったため、輸入した側が使用を自粛している。

※2
君にとって使い捨ての玩具であっても、君が破壊した相手の人生は死ぬまで続いて行くのだし、そんな重たい責任を背負えるのかと問われたら、誰だって無理に決まっている。
僕らが酒鬼薔薇聖斗の存在を許せない理由は、彼がそこのポイントをクリアしないからに他ならないのだ。
酒鬼薔薇聖斗を許せないと言う者がいる限り、僕らは他者の人生を安直に破壊してはならない、そういう自戒を持とうではないか。
誰がどいつを嫌おうと勝手だが、そうやって唾棄する相手と同じ行為に及ぶ奴は、同じ穴の狢と自白している様なものだと、いい加減気付いてくれないかな?
僕らみたいな凡人の進化はどうせ、大友先生に追い付きはしないんだ。
それなら、歩を進める前に、少し頭を冷やす時間を持とう。

※3
公営住宅入居には、世帯収入の低い世帯が優先されるという絶対的な規則があり、応募者の人数によって抽選が行われるため、実際に入居出来る世帯はより抜きの貧困層なのである。
このシステムは21世紀の現在でも変わりはない。

【参考文献】

大友克洋「童夢」
発行 双葉社
1983年8月18日初版第1刷
1984年3月30日第6刷
(本記事のトップ画像は66〜67ページより撮影・引用致しました)

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【奥付】

2019年8月18日初版発行
2020年6月25日第2版発行
考案・筆記・記録・権利保有
©️夙谷稀

引用の要件を満たす場合は権利者の許諾を必要としないが、盗用剽窃に対しては容赦なく法的措置を執らせて貰うので、ご承知置き下され。


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