見出し画像

女性専用車に憤る人々

 世間には女性専用車なるものの存在をどうも快く思わない人が一定数いるようで、特に過激な人々は、女性専用車の設置を憲法違反だと論じ及ぶ。今回は、こうした問題について思うことをつらつらと書き散らしたいと思う。

 2018年、東京メトロ千代田線の女性専用車にある男性グループが乗り込み、発車が遅れるという事件があった。そのグループの代表は、自分は絶対に痴漢をしないのに女性専用車なんておかしい、マイノリティが強くなりすぎていて、マジョリティが差別されている、女性差別があったのは戦前の話だ、などと言っており、また別のメンバーは、自分は男性として優遇されたことなどなく、むしろ冷遇されてばかりだ、と言っている。
 彼らの発言から明らかであるように、彼らの行動は考え抜かれた信念によって支持されているものではない。あまりにトンチンカンである。
 彼らが言いたいのは、男性が乗車できない車両を設けるなんて男性差別だ、ということなのだろうが、個人的なことを言わせてもらえば、これがどういう意味で男性にとって不利益なのかがよくわからない。
 まず、全体としての混み具合は、女性専用車が極端に空いているというのでない限り、女性専用車があろうがなかろうがほとんど変わらないはずである。それゆえ、混み具合が女性専用車反対の根拠になることはおそらくない。
 次に思い浮かぶのが、〈同じ料金を払っているのに——例えば——男性は9両、女性は10両の中から乗り込む車両を選べるというのは不平等だ〉という意見であるが、これもまたなかなか理解しづらい。一つずつ疑問を書き連ねることにしよう。
 最も素朴な疑問が、(例えば)一号車に乗れないことがそんなに嫌なのか、というものである。どの車両でも同じではないか。
 もしも、乗り込むことのできる車両の数に差があることが不平等であると憤っているのだ!と言われたらどうだろうか。そういう人たちは女性専用車の撤廃を望んでいるようなのだが、もしその根拠が上述のようなものであるとすれば、問題を解決するために必ずしも女性専用車を撤廃する必要はないということは明らかである。乗り込むことのできる車両の数を合わせるために、男性専用車を作れ!と叫んでも良さそうなものなのに、そういう声は全く聞こえない。このことが示唆しているのは、乗り込める車両の数などというのは方便に過ぎないということである。本気でその点の平等を求めているのだとすれば、男性専用車を作った方がよほどスマートなので(女性と争う必要もないだろう)、そういう人はぜひそちらの活動に尽力していただければ、と思う。
 さらに言えば、こういうことを不平等だと言うのであれば、世の中は不平等だらけであり、「不平等」という言葉が甚だしく希釈されている。例えば、シニア料金は不平等か。美容院で男性のカット料金が安いのは不平等か。バスのこども運賃は不平等か。相席居酒屋は不平等か。優先席は不平等か。これらは憲法違反なのか。自分の都合のいいように「不平等」という言葉を使うならば、こうした問題を抱え込むことになるだろう。これら全てが不平等だと言えて初めて、女性専用車は不平等だと言うことができるのだから。
 最も致命的な誤りに思われるのは、女性は10両の車両から自由に一つを選択してどこにでも乗り込むことができる、と素朴に考えているということである。女性専用車を選ぶ女性客の多くにとっては、おそらく他の9両は選択肢ではない。
 この点が見て取れないのは、男性側に加害者意識、特権意識が欠如しているからである。それは冒頭で紹介した男性グループのメンバーの発言にも顕著に現れている。女性差別があったのは戦前の話だ、男性は優遇されているどころか冷遇されている。こういう人たちは、自分が酔っ払って夜道を歩くことができることが普通だと思っているし、議員のほとんど男性であることに何の違和感も覚えないし、電車に乗ることに身の危険を感じるという発想もさらさらないのだろう。日本のジェンダーギャップ指数を見れば、彼らの認識が単に間違っているということ、彼らが単純に勉強不足だということは明らかである。
 どういうふうに考えれば、男性は——私も男性なのだが——女性の感じる恐怖を具体的にイメージできるだろうか。例えば、電車の乗客の半分がヤンキーやヤクザだとしよう。毎日どこかでヤンキーやヤクザによる車内での暴行事件が発生しているとする。この場合、おそらくわれわれは、ヤンキーやヤクザ以外の人専用車があればありがたく思うのではないだろうか。
 もちろん、心優しいヤンキーやカタギには決して手を出さないヤクザもいるだろうが(俺は絶対に痴漢をしない!という男性がいることと同じである)、ヤンキーやヤクザによる暴力事件の件数が有意に多い場合には、依然としてカタギ専用車の設置は合理的である筈ではないか。「俺は絶対に痴漢しないのに」というのが反対根拠にならないのはそういう次第である。毒をもったタランチュラが「俺ぜったい噛まないから」と言っても、怖いものは怖いのだ。
 それゆえ、平等ということで言うならば、同じ料金を払っている以上、誰もが安心して利用できることもまた平等であり、逆に一部の人が安心して乗ることができないのならば、それはそういう意味で平等ではない。もちろん、女性が女性専用車を利用する理由は痴漢だけには限られないだろうが。

 もちろん、女性専用車にも問題がないわけではない。例えば、こうした問題圏においては、二元論的なジェンダー観と異性愛が暗黙の前提とされており(つまり、乗客は女性か男性かであり、また痴漢の対象は異性であると考えられている)、そういう意味でマイノリティが考慮に入れられているとは言えない。
 では具体的にどうすればよいのか。それについては私が簡単に解決できるような問題ではないし、noteのカジュアルな一記事の範囲を超えているように思われるので、ここでは問題提起だけをしておしまい、ということにしたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?