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#179 運命にさえも従えない無法者(髙山汐生 /4年)

ある日、テクニカルアドバイザーの中西哲生さんが言った
「誰かのために生きる時が1番楽しいし1番パワーがでる」と。

こんばんは。
筑波大学蹴球部4年の髙山汐生と申します。
最初に、部員ブログを書いてほしいと連絡を受けたのが今年の1月。
それから2月中に出すことを目標にしていましたが、気付いたら12月になっていました。
4年間で最後の大会であるインカレを前に書くならここしかないという感情が湧き上がってきたので、無心でこれまで経験したことやその際に感じたことをブログという形で文字にしようと思います。
それではよろしくお願い致します。


「インカレで勝ちたい。」

今、頭の中にあるのはこれだけ。
最終学年だから、最後の大会だから、もちろんこれらの理由もあるだろう。
しかし、自分たちがこれから挑む試合は、
思い出作りの1試合ではない。
歴史を作るための1試合だ。

筑波大学蹴球部の歴史の中で、リーグ戦とインカレ優勝を成し遂げたのは約40年前。
リーグ戦を獲った年はインカレで悔しい思いをし、リーグ戦で悔しい思いをした年はインカレで笑って終わる。
これが筑波のここ数十年の流れである。
それで言うと、今年はインカレで苦戦し目標である日本一を達成できないということになる。
が、今年は違う。
そんな運命には従わない。

去年と同じAGFフィールド。
あの日、泣いていたのはメンバーに入った4年生だけではなかった。
試合後、応援に駆けつけてくれた多くの部員の前に挨拶をしに行った際、目に入ったのは最前列で応援してくれていた4年生達の涙だった。
終わらせてしまったんだなと思った。

今振り返るとこの時の自分はチームの為よりも自分の為。
チームの結果はもちろん大切だが、自分が良いプレーをして
「Jリーグのクラブから声が掛かるといいな」
と、緩い思考でプレーしていた。
そんな緩い思考は今年に入っても変わらなかった。
関東リーグが始まる前に中、高と過ごしたベルマーレからオファーを出さないと告げられてから、チームの練習を休み、何クラブも練習参加に行った。
「ここで頑張ればオファーを出してくれるかもしれない」
こう考えて練習参加に挑んだが、どこからもオファーをいただくことはできなかった。
夏休みに入り引き続き練習参加に行っていた中、自分の心の中で
「頑張る場所を間違えているんじゃないか」
と考えるようになった。
確かに、練習参加した際に頑張れば何か良い結果を得られるかもしれない。
しかし、自分が所属しているチームは筑波大学蹴球部であり、そこで結果を出せてない人間が外に出て良い結果を得られるのか。
チームのことを考えずに自分の進路にばかり目を向けてるいる人間に良い結果が待っているのか。
そう考えた自分は、ある練習参加を境に一旦練習参加に行くのをやめ、手遅れかもしれないが筑波大学蹴球部の為に行動しプレーしようと強く誓った。
リーグ戦が再開し、ホーム1グラには多くの部員と観客で埋め尽くされた。
各ホームゲームごとにプロジェクトチームが何ヶ月も前から動き、企画・運営を行ってくれた。
そんな中でプレーできる自分は本当に幸せ者であり、その人達のためにプレーしなければならないと改めて強く感じた。

いつも応援してくれる方のために。
応援で自分たちを鼓舞してくれる仲間のために。
そして、同期のために。

現時点での多くの4年生は引退し、自分達TOPチームに日本一という夢を乗せて応援に駆けつけてくれる。もちろん1,2,3年生も同様だと思う。
いつも応援してくれている人達を日本一にしたい。
本気でそう思ってる。
今年のリーグ戦はホーム &アウェー方式で行われ、平均観客数1000人を上回る筑波大学第1サッカー場は最高の雰囲気と応援で後押しして頂いた。
正直、日本一の応援だったと勝手に思っている。
応援合戦があり、応援で勝敗がつくならどこが日本一の応援か判断できるが、自分達が行なっているのはあくまでサッカー。
日本一のサッカーチームの応援団が日本一の応援団。
いつも応援してくれている人達を日本一にできるのは、TOPチームの部員であり、その日のスタメンとベンチにいる選手達である。
もう、どこにも負けたくない。
応援してくれる人の為に、闘い、勝ちたい。
そして、日本一を獲る。
本気で目指さない限り目標は達成されない。
本気で目指す人から発せられる言葉には血が通い、人の心を動かす。

「誰かのために生きる時が1番楽しいし1番パワーがでる」

筑波大学蹴球部員の為に闘い、共に頂きを。

応援よろしくお願い致します。




筑波大学蹴球部

体育専門学群4年

髙山汐生

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