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#173 配られたカード(大野智哉/4年)

日頃から蹴球部への
ご支援・ご声援ありがとうございます。

今回のブログは
レフェリーとして活動している大野智哉が
担当させていただきます。

何を書こうか、今シーズン始まってから
ずっと考えていましたが
自分の好きな言葉と4年間について
書きたいと思います!

かなりの長文ですが
最後まで読んでいただけると嬉しいです!

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みなさんスヌーピーは知っていますか?

かわいいだけではなく、ストーリー上では
数々の名言が記されているのですが
その中に自分の好きな言葉があります。

"You play with the cards you’re dealt..
           Whatever that means."

(配られたカードで勝負するしかないのさ。
      それがどういう意味であれ。)

要するに

「運命には逆らえない。だからこそ、過去を悔やむのではなく、今そしてこれからを考えるべきだ。」

というように自分は解釈してます。

大学1年生にこの言葉と出会ったのですが
今振り返るとこの言葉の大切さに気づけた
4年間だったかなと思います。

その4年間を振り返ってみたいと思います。


第一章「プレーヤーに区切りをつけるまで」

浪人生活を経て、2020年の春に入学してきた。
まさにコロナ禍が始まったような時期だった。

みんなと会えたのは7月だった。
そこから一緒にプレーする時間が始まった。

しかしながら
2か月後無惨にもそれは終わりを迎える。

「ゴキッ」

この音ともに人生において
3度目の前十字靭帯を断裂した。

その時は、2度の経験があったから復帰できると思っていた。治して、復帰して、自分の力を見せてやるとも。

だけど、復帰に向けてトレーニングしてても
プレーするのが怖すぎる、足を出して奪いにいくのができない、ずっとそんな状況だった。

おまけに復帰過程で痛めた半月板が膝を伸ばすときにひっかかって、膝を伸ばせないなんてこともよくあった。

思いっきりプレーすることができなかった。
楽しくなかった。

あんなにプレーするのが楽しかったのに。
どんなことよりも時間を割いてきたのに。

雨でも雪でもコンクリの上でも
ボールを追いかけてきたのに。

いつしかプレーするのが嫌になっていた。

「ここまでか。」

2年生の冬
15年間やってきた選手に区切りをつけた。

配られたカードは
あまりにも悲しいものだった。


第二章「暗く長いトンネル」

もともと指導者になりたいこともあって
選手と平行して、指導者としての活動も
始めていた。

でも、どこか自分の生活の中には虚無感が
漂っていた。

選手としてサッカーをやっていた自分に自信を持っていた。日常においてもその自信が活力になっていた。

だけど、何か違った。

区切りをつける前、選手として思う存分プレーできなくなった時から自信がなくなり始めていた。

もともとサッカーしかやってこなかったから、他のことが何もできなかった。
そもそも外の世界を何も知らなかった。

世の中のことを知らなすぎた。

いざ、何かやろうとすると何もできない。
できるまでに時間がとてもかかる。

「何でこんなつまらない人間なんだろう。
     本当に何もできないんだな。」と。

ずっと過去のことばかり悔やんでいた。

自分の生き方間違ってたんじゃないかと。
前十字靭帯を切ってプレーできなくなったことも。

本当に自分が情けなかったし、つらかった。

蹴球部の仲間が頑張っている姿をみて
何もできない自分が悔しかった。

「配られたカード」ばかりをみて嘆いていた。

そんな時期が長く続いていた。

そんなときに
レフェリーという関わり方に出会った。

入学当初はレフェリーをやるとは思ってもいなかった。そもそも選手として上を目指していたし、それまではやってみようとも思わなかった。

文句言われるし、カード出さないといけないし、ただただきついだけだと思っていた。

でも、やってみると思っていたのとは違った。

選手の近くでプレーをみれるのが楽しかった。一緒に試合をつくるのが楽しかった。

そして、何より選手と一緒にピッチ上を走れるのが楽しかった。

これなら大好きなサッカーと
ずっと関わっていられると思った。

選手として立てなかった舞台に
チャレンジできるのではないかと思った。

そこから、もう一度戦うことを決めた。


第三章「ラストシーズン」

戦うと決めたものはいいものの
その時点で蹴球部生活が
1シーズンと半分くらいしか残っていなかった。

しかしながら
同時期にヘルニアも患っていた。

その治療もあったから、
まともに動き始めたのは
2023年の3月くらいだった。

でも、前とは違ってなぜか自信はあった。

自分ならできると。

きっと、選手としてプレーしていたときの
自信が戻ってきたのだと思う。

だからこそ、前向きに考えることができていた。今の状況をどう変えるべきなのかと。

「配られたカード」をどう生かすか
そしてよりよいカードがもらえるには
どうすべきかと考えられるようになった。

そうしたら、徐々に何かが変わってきた。

周りの方々のおかげでたくさんの貴重な経験ができるようになってきた。

アミノバイタルカップ決勝をはじめとした、たくさんの大切な試合を担当させていただいた。

多くの方と出会い
多くの方に良くしていただいた。

1年前、そして大学入学時には
想像できなかったような景色を
みさせていただいた。

本当に幸せだと思った。

「配られたカード」を
生かしたり、よりよいカードをもらえるように少しは動くことができたのだと思う。

だからこそ、周りの方々のおかげもあり
ラストシーズン新たな1歩を踏み出せたのだと
思う。



そういった4年間であった。

何が言いたいかというと
スヌーピーのあの言葉を
身をもって体験し、その考え方の大切さを
実感したということ。

どんなに過去を悔やんでも
どんなに自分が選んだことが違っていたとしても過去は変えることはできない。

運命には逆らえない。

でも、今そして未来は変えることができる。
よりよくしていくことはできる。

どんなに「配られたカード」が良くなくても
変えることはできない。

だけど、カードを生かすこと、
これからもらうであろうカードを
よりよいものにすることはできるはずである。

今の自分はまだまだであるし、これといった
能力があるわけではないから、以前と変わらず過去を悔やむことはある。

だけど、可能性がある限り、前を向いて、
自分に配られたカードで勝負していきたいと
思っている。

そして、選手として立てなかった舞台に
いつかは立ちたいとも思っている。

そう思わせてもらった蹴球部生活だった。

よかったこともよくなかったことも
大切な自分の財産だと思う。

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筑波大学蹴球部にいたからこそ
ここで蹴球部の仲間に出会えたからこそ
このようなことを感じ成長することができたのだと思います。

本当に浪人してでもここに来てよかったと
思っています。

そして最高の同期に出会えたと思っています。

この4年間で自分に関わってくださった方々
本当にありがとうございました。

最後になりますが

これを読んでくださったみなさんには

筑波大学蹴球部には選手や指導者だけでなく
審判としても活躍できる舞台がある

ということを知っていただけたら幸いです。

蹴球部には審判の偉大な先輩方が
たくさんいらっしゃいます。

「蹴球部でレフェリーとして活躍してみたい」

そう思ってもらえる方が増えてくれたら
とても嬉しいです。

長く拙い文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。

今後とも筑波大学蹴球部へのご支援・ご声援のほど何卒よろしくお願いいたします。



筑波大学蹴球部

体育専門学群 4年

大野智哉

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