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未経験から3年で年商1000万稼ぐフリーランスになった方法

今回はもっちーさんから同じ記事のタイトルで別視点でnote書いてみてよ
って言われたので書いてみることにしました。
元の記事はこちら

あんまこの記事見ちゃうと書き方かぶるのでさらっと見てあとは自分なりに書いていこうと思います。
元々わたしは美容師でエンジニアに転職するときそんなに高い目標など思っていませんでした。
ただやればやるほどできることが増え、考えも変わり結果年商1000万円は3年終わったあとくらいに達成しました(ちょっと飛び越えて月単価100万円だったけど)
その時にやっていたこと、考えていたことなどを書いていこうと思います。
要点がまとまったSESでのどうやって成長していくのかなどはこちらのnoteを見てください


エンジニアになるまで

どうやってエンジニアになれたの?!?!なんで転職したの!?!?!とかはこちらのnoteに記載しているので割愛します。

エンジニア1年目

最初は転職して1か月学習期間が設けられれ、Javaの基礎などを勉強して2か月目に某自動メーカーの案件に参画しました。
内容としては書ける範囲ですが老朽化対応のテスト部隊でした。(OJTメンバーとして参画)
他の同期は開発案件にも入れていてなんでテスト案件なんだよと不満を思っていたことは今でも覚えています。
上司が書いたテスト仕様書通りにひたすらエビデンスを取って検証する作業。
リーダーの方はかなり厳しい人でしたがその人のVBAで作ったツールが本当に便利なものばかりで他のチームでも多数使われ、「エンジニアすげーーーーー!私もこういうの作りたい!!!」と思って弟子入りしてました。
通常業務が終わった後に、そのマクロの事を調べ自分でも同じようなものをひたすら作ったりしてました。(ただの業務に関係ない自己学習なので当たり前に残業時間として計上していなかった)
毎日のようにこういうことを繰り返して自分の作ったマクロを他の人にも使ってもらったりしていたり、とにかく他の人より早くできるようになりたかったので、朝電車で勉強、早く着いて現場でも勉強、昼休みもご飯すぐ食べて勉強というのを繰り返していました。
実際のテスト業務でもリーダーが厳しかったのもあり、バグが出たときも、なんとなく〇〇を変えて直ったとか、なんとなくこれが原因だと思うとかそういったことは絶対に許してもらえませんでした。確実な根拠を元に報告しなければいけなかったのです。最近のエンジニアの方をみるとバグの修正一つとっても本当に甘いなと思います。もちろん全部に時間をかけて追うのが一概に正解だとは思いませんが基本的には原因の究明をすべきだし、なぜそれが起きたのか全てです。その繰り返しで調査能力や、原因の切り分け作業ができるようになるのです。
今の自分の基礎が出来上がったのもこのリーダーの方の下で働いていたからだととても感謝をしています。(お〇さん、もしこの記事何かでみたら連絡して欲しい)
テスト案件は最初嫌でしたが今思うとテストが上手な人、バグに対する嗅覚がある人はエンジニアとしてとても優秀な方が多くエンジニアとして絶対に必要だと思っています。

上記に書いている事を繰り返していった結果、自社で同じく参画していた同期は切られ私が残りました。テスト業務で参画したけどその後認められ、開発の業務を任せてもらえるようになりました。
老朽化対応のPJも無事終え、最後にOJTメンバー内で卒業試験が設けられ圧倒的に1番になった時この仕事につけて良かった、もっと頑張りたいと思うようになりました。
その後は一部省略しますがフリーランスになりました。

エンジニア2年目

エンジニアとしてはまだ未熟でしたがフリーランス生活スタートです。
また少し間の案件は割愛しますが赤くてパンダが有名なところで仕事がスタートしました。
エンジニアではないですが、この企業には知り合いも多くワクワクが止まりませんでした。
この時も最初参画した時は開発メンバーというよりお絵描き部隊でした(ドキュメント作ったりテスト仕様書書いたり)
global point teamに配属されましたが、その中でもコンポーネントごとにチームは分かれています。
この企業の悪い所の一つとして一子相伝の文化と部署間の縦割り気質があります。私の立ち位置的には全てのコンポーネントを横断していたので自分の領域だけしか見えていない人が多い中、全体像を見れたり把握したりすることができたのはとてもラッキーだったと思います。
本当は私が参加できるMTG以外でも理由をつけたりお願いしたりで参加もすることができました。なぜ参加しようとしてたかというとどうしても上から来た話だけでは本当の意図がわからなかったり、事前に何か間違った方向に言っていたり意見が言えることができなかったからです。
またそういう少し上のレイヤーのMTGにいつも参加するようになると他のメンバーからしてもある程度広範囲で話を知っていたり理解している人だと思われるのです(実際本当に知っていたのだけど)
この企業にはとても優秀なエンジニアがたくさんいましたし(一方そうじゃない人も多いけど)何よりもチームメンバーの8割が外国人で公用語も英語なため英語力と、英語の公式ドキュメントをみる習慣がつきましたし、いつのまにかめっちゃ開発もやってました。
あとこの時に特に意識していたのは、ひたすらできる人の作業の仕方を見て盗んで、必要に応じて聞いたり(できる人ほど知ってくれると嬉しいので教えてくれる)、できる人の考え方をよくランチタイムに誘って聞いたりしてましたね。これができないリモートワークの環境だと成長スピードは確実に遅くなると思っています。
先述したけど具体的にどんなことしてたとかはこのnote見てください


エンジニア3年目

案件的には3年目も継続で入っていました。
人も入れ替わり少しずついつものメンバーになっていってました。
プロパーでもないけど本番環境の権限を持っていたり(作業で必要だからもらっていたけど)、自分配下のチームメンバーを持ってたり、わりと上の人にも口を出せるようになっていました。正直2年目の時とあまり思っていることと、やってきている業務内容が変わらなかったので飽きてきたという心境になってました。
ただこの時くらいからフリーランスじゃなくて会社作ってみたいという気持ちがあったので、より稼げるようになるにはどうしたらいいだろうと思い、まずはこの企業のインフラだったり他部署の話だったりをひたすら見るために色んな部署の人をランチに誘って話をしていたのは覚えています。
そのあと単価を上げたいというときに直属の上司に相談した際に、「単価を上げるためには何をしたらいいと思う?」とか「じゃあそれをやったらなんで単価上がるの?関係なくない?」という会話を永遠とされました。
当時はその意味があまりわからずめんどくさいという気持ちがありましたが、経験を重ねるごとにその時の言いたかったことや、なぜそういう質問を永遠としていたのかがとてもよくわかります。
この話も先述のnoteに書いています。

実際の年数でいうときっぱり3年とかではないですが、そのあとじゃあ月3桁稼ぐためにはどうしたらいいのだろうというのをひたすら考えていました、もちろんスキルだけでは無理だし、見積もり、技術選定、アーキテクト、交渉能力、どこでなら実現できるかなど、その当時にできることは、今考えても全部やってきたしそのために現状のシステムのことは全て自分の言葉で説明できるくらい把握してました。
実際この段階でそこまで思いながら仕事をしている人ってとても少ないと思います。いつも思うけどなんとなくこうなったらいいなーと思っている人がうまくいくことはまずないです。目標であれば明確な数値や、何をしたらそれを達成するのかを考えるべきですし、それを達成するためには何をしたらいいのか、今何が足りないのかは考えられるもの全てを書き出すべきです。
頑張ってもうまくいかなかったり、達成できないのは頑張っていないからであり、頑張っているのにって思っていてもうまくいかない人は努力の方向が間違っています。でもそれを一人で解決できる人はとても少ないのでSeeDという会社がありその中で私から教えられることは全て教えていきたいし、それを傍で見ていたいと思っています。
あとこの辺りから今まで培ってきた知識を使って個人開発でサービスをいくつかリリースしてましたね、やっぱり0から作る経験をしたことも少ないし、現場で作っていた基盤部分って忘れちゃうと思うんですよ。もちろんそのままソースとか持ち出したら当たり前にアウトなので、自分で働きながらいろいろ作ってました。0から作っているとなんかうまくいかないときや迷うこといっぱいあるんですけど働きながらだからこそ解決できることっていっぱいあるんですよね。
追記: あとから思いだしたけど、よく現場のソースが汚いとかいけてないとかって文句言う人いるじゃないですか?でもそれ作り変えるとコストがかかると思うんですけど、じゃあ自分で0から作り直して、趣味で作ったんでハイどうぞ使ってくださいって言ってきれいに作り直した経験ある人います?できないんなら言うべきじゃないと思っているし、文句言う人できるんならやれって思いますね、大体の人ができなさそう。(コンプラアウトのパターンもあるので現場と相談して了承得てからやってねw)

今は何やってんの?

今はSES企業のSeeDで代表をやっていたり、SeeDとは違う自分の会社で受託開発や技術顧問、ITコンサルの仕事をしています。
比率でいうと最近元の自分の会社の業務はかなり減らしてSeeDに力を入れていますが、前は8:2(SeeD)でした。
赤い所辞めるまではずっとJavaでspring bootに触れていて、そのあとはずっとpythonでAI、機械学習やビックデータ、分析、Webアプリをやっています。(pythonが好き)
守備範囲はそのほかスマホアプリ、AWSに限ってですがインフラや、Biz、CS、マーケ、営業もできるのでいつの間にかハイブリットになってましたがそうなったのも成り行きとひたすら自分で手を出していたからです。与えられた業務だけでは絶対そうはならないのでひたすら仕事を巻き取る、人を巻き込む力は大事です。
SeeDもあるけど今でも受託開発はコンスタントにやっていて、早くこの受託の方の作業もSeeDに融合させるのが直近の目標です。
今はやっぱり私だから仕事を発注してくれている企業が多いので、どんどんそう思われるエンジニアを育てていきたい。
尚、今では準委任の時の月単価は200万円、受託でやっているときの外注分とかは抜かして過去maxの月の売り上げは1200万円(入金が重なったとか数か月やっていての話じゃなくて単純な1か月の実労働売り上げ)
なぜそれができるのかとかは有料記事か、そのうち作りたいと思っているオンラインサロンでかなぁ…。(めんどくさい人を排除したいので)

最後に

具体的な全てのことは書けませんが、少なくとも年商1000万円の壁は正しい努力をしていたらある程度再現性高く実現できると思っています。私の体験談が少しでもきっかけになったり学びがあればいいと思いnoteを書きました。

SeeDではこういった話や一人一人のサポートしていく会社なのでもし興味が沸いたり今の会社に不満やある人は気軽にDMかHPから問い合わせしてきてください。

あとオンラインで話をしたいや、会ってお話したいかたも大歓迎です!
noteには書けないもっとリアルなことや、実際に話して人をみてアドバイスする方が得意なので…。

Twitter
https://twitter.com/shun0157

HP
https://seed-it.jp/recruit/

追伸

書き終わってからもっちーさんの記事もちょっと読んだけどもっちーさんのは割と具体的な技術部分にフォーカスしているのが面白いなと思った。
私はその技術部分にフォーカスはしていないけど当たり前に同じような事を意識してやっていた。
技術的な部分の勉強は今でもやっているし当たり前に必要な部分だし、自分のできる領域をどんどん増やすのは間違いなく大事。
私はどんなライブラリやFWであってもオープンソースならほぼ全部見るようにしているし、オープンソースを見ることによって勉強になることはたくさんあると思っている。
ときにはそのオープンソースにバグがあって、フォークして使うこともあるけど、実際にPR(pull request)投げてコミットしてもらうという経験をすることを推奨しています。
わりと私はテッキータイプに見られないことが多いですがどちらかというと技術よりな人間です。
実際に一緒に仕事をする機会や話をする機会があればそういったところを感じてくれると思います。
この仕事で大事なのは好奇心と、追及心、考察力と仮説を立てる能力。
楽してお金を稼ぐことは難しいけど、頑張った先には他の業種より再現性高く多くのお金を稼げるように絶対なれます。
このnoteで何か感じられたり変われた人が一人でも増えるように祈ってます。
fin.




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