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ジョージ・オーウェル『1984』を読み通せなかった話

 去年の暮れ、レベッカ・ソルニットの『オーウェルの薔薇』というとても美しい本を手に取った。それまでのコロナ禍の中で、久しぶりに開高健(島尾敏雄によるとボボ高タケシと読むらしい)の訳で『動物農場』を読んで、その風刺とともにそれぞれの動物の描写がとても可愛らしく微笑ましいのもあって、寓話作家としてのオーウェルに素直に感心していたからでもある。『1984』はその概要はもちろん知っていて、高校時代に読んだときはディストピア小説というだけでそれ以上の記憶はなかった。
 そのいいかげんな記憶から全体主義批判をする政治的にシニカルな作家というイメージでいたのだが、ソルニットの今回の本を読んでイメージががらりと変わった。ソルニットは『災害ユートピア』という本で災害後の社会で見た人間の連帯というユートピアを描いた社会学者で、オーウェルとは正反対の人だと思っていたので、この本はカバーの美しさ以上に印象に残ったのだ。

 実際ソルニットの新刊は、文章も構成もとても美しい本である。オーウェルが1936年に自分のコテージの庭に薔薇の苗を植えたということからはじまる。その薔薇が今も人手に渡ったそのコテージに残って花を咲かせていると知り、その薔薇をウォリントンのコテージまで探しに行くところから、ソルニットの時空を越えた旅がはじまる。「樹木というものは、時について考え、時の中で旅をするようにという、誘いである」と思いを馳せ、実際にオーウェルも樹木や花に関するエッセイを多く残しており、そのひとつひとつにそって中世の教会から、現代の薔薇工場となっているコロンビアの悲惨な労働現場まで、文学の中の薔薇から文化としての薔薇と花、戦争中の人々の庭造りから死んだ兵士に供えられる花、そして新自由主義下の資本による人間の抑圧まで、ひろくゆったりと思いを広げていくその文体は、とても美しい。

 この本に導かれて、年頭からオーウェルをボチボチと読み始めた。彼がビルマ(ミャンマー)で植民地宗主国の英国警察官として5年を過ごした経験から書かれた短いエッセイ『絞首刑』『象を撃つ』には驚嘆した。植民地の支配者として君臨する自分の居心地の悪さと、しょせん分断された中で接する民衆との交流が、乾いた筆致でスケッチされていて、植民地支配という悪の普遍性にしっかりと手が届いている。有名な「右であれ左であれ我が祖国」や一連のスペイン戦争ものは、その戦争についてあまりにも無知な読者として歯が立たないが、それでもソルニットの言う「自分の与する側の欠点について正直であり、それでも味方への忠誠をつらぬくということ、そしていかにして政治的な語りのなかに、疑念や不快感に至るまですべての個人的な経験を組み込むか、つまり、大きな歴史的なもののなかにいかにして小さな主観的な内面の入る場所を確保するか」というオーウェルが生涯つらぬいた社会や政治への姿勢を見て取ることができる。そしてソルニットもまた、このオーウェルの視線に導かれるようにして、現代社会を旅していく。

 そのソルニットに導かれて「1984」を再読し、シニカルなディストピア小説でイデオロギー的なものという先入観が吹っ飛んだ。至る所にこの世の美しさを、それが小説の中では全体主義国家によって破壊されたものへの憧憬として、風景にも薄汚れているはずのプロレ階級が暮らす街角にも、主人公が見る夢の中にも緻密な描写で折り込まれているのである。現実の全体主義の圧政と監視のもとに暮らす息苦しさは、それらの対照的な描写ゆえに、いやがうえにも高まり、読む者の生理に影響する。実際に読みながら手には汗をかき、自分が監視され見張られているかのように動悸してしまうのである。主人公がふとした成り行きから関係する体制への無自覚な犯行者である蓮っ葉だが純心な娘との、残された深い森の自然の中での情交の場面も美しい。

 それが、主人公がそれまでももしかしたら自分たちの味方であり、自由を求める闘いのために国の中枢部にスパイとして入り込んでいる者ではないかと期待する上司オブライアンにの手の中に絡めとられていく場面から、読み進められなくなってしまった。実際にはこのオブライアンこそが、全体主義国家の監視者の一人であり、主人公であるウィンストンを拷問にかけ、ついには独裁者ビッグ・ブラザーの肖像を前に忠誠を誓い涙してしまうまでに完全に洗脳、転向させてしまうとうストーリーの悲惨な結末を知っている身としては、もうその拷問の場面のリアリティまで予想され、そこで読めなくなってしまったのだ。
 もう数ヶ月、枕元に置いて読破を試みたが、最終章の第三部に至る前に挫折した。

 なぜここまで、フィクションであることの知れているこの物語に恐れを抱くようになってしまったのか。それがこの三年間のコロナ禍の下で強いられた生活の影響であることは、自分にとっては明白だ。
 もともと僕は群衆の画一的な興奮の姿に恐怖を覚える。それは幼少学童を通じて今でいうなら協調性運動障害、当時の呼ばれ方ではひどい「運動音痴」であったことに由来する。例えば今でもボールを投げるという動作ができない。皆が30メートルとか40メートル向こうに投げるボール投げの試験で、10メートル先に飛ばすこともできない。指先で操れるギターであればできるが、全身を使ってリズムを取る踊りはできないし、太鼓をたたくという動作ができない。そういう運動神経だから、当然集団の球技では嘲笑の的になるし、厄介者として蔑まれるし、ドッジボールでは最初の餌食として狙われる。今でも子どもたちが野球やサッカーをしているグラウンドの側を通るのが怖いし、ボールを蹴る音やバットの鳴る音に足が竦む。
 そんな僕にとって、集団の画一的行動がいともたやすく実現し、多くのマスクで顔を隠した人々がこちらに向かってやってくる人波を歩くことは、激しい緊張の連続であり、その圧迫感に常にあえいでいた。これは、おそらく、ほとんどの人と共有できない感覚である。やってくる軍靴の行進に踏みつぶされるイメージ、群衆の動きに蹴飛ばされ転がされ潰されるというイメージは、僕に強迫観念のようにこびりついている。その深層が、この3年間剥き出しにされて暮らすことを強いられたのである。

 「1984」の鮮烈な抑圧のイメージは、僕のこの生理を直撃する。全体主義的兆候は、すでに肉体的反応を呼び起こすものとして定着してしまっている。成人して何年か、ずっとほぼ隠しおおせていたこの感覚が、コロナ下の生活とこの国の人々の振る舞いによって覆いをはぎ取られ、神経を剥き出しにされてしまったのである。僕はこの3年間に、社会への、同胞への信頼を毀損されてしまった。

 その傷をこじ開ける「1984」というディストピア小説は、読む者にとってはフィクションを越えたイメージの乱舞をもたらす劇薬となる。
 この小説を読み進めることができなかったということによって、僕もまた、この小説が20世紀の達成のひとつであるという評価に賛同せざるを得ないのである。

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