怪異談話
大学で知り合った佐川という男は、快活で体力があり学食の定食は常に特盛りを頼むようなやつだった。今の言葉で云えば《陽キャ》とかいうタイプだったんだろう。
ガソリンスタンドでバイトをしているせいか、運動部に入ったことがないという割にはよく通る大きな声で話すやつだった。
彼との付き合いは主にゼミ室でのことだ。ぼくが学年は一つ上だが、年齢は佐川が一つ上だった。お互いに若干《通常運行》からはドロップアウトした立場だったので、境遇に興味を持ち合ったところがきっかけだったのかもしれない。
ぼくはゼミ室でもオカルト好きで、教授が集めた江戸時代の怪談集やら資料なんかを読みあさっていたし、後輩や先輩を捕まえては隙あらば怪談話をしていた。聞くのも話すのも好きなのだ。
佐川は怪談にはさほど興味を示さなかったが、まとめきれていない内容の話や、明らかにその場創作のような怪談でも野暮な口を挟まず、茶化したりもせず、適当に相づちを打っては「そういうこともあるんだなぁ」「おー結構こえーな……」などと盛り上げてくれる。聞き上手というか話させ上手というか、彼が同席するとしないとでは、場の盛り上がりが違った。
そんな佐川に聞いたことがある。「霊の存在や怪談とかって信じる方か?」と。
夕暮れ少し前の校舎外の喫煙所で、佐川はちょっとだけ思案顔になってから、言葉を選ぶようにして答えた。
「信じる信じないでいえば、その話をする《相手》を信じるか信じないかで決まるかな。霊の存在とかそういうのも同じ。それを存在すると主張するやつを俺が信じることができれば信じる」
なるほど、ぼくのような面倒くさいレベルのオカルト好き相手にはベストではなくともベターな答えだと思った。佐川は主観的に霊の存在や怪奇現象を信じる信じないではなく、それを主張する人間が自分にとって信用するに値するか値しないかを判断していると云っているのだ。
ぼくは佐川の言に感心しつつも質問を重ねた。
「お前自身はどうなの。そういう体験とかしたことないの?」
「あるよ」
即答だった。思わず「え?」と返してしまう。あんな現実主義的な返答をするやや否定派かと思いきや、自身が体験者だというのだ。シャツの胸ポケットに入れたPHSがメールの着信音を鳴らしたが、ぼくは無視して続きを促した。
「金縛りも体験あるし、耳元で声が聞こえたりしたこともある。《いるはずのない人間》の声なんて散々聞いたし《鳴るはずのない音》も聞いたことがある」
思わず喉を鳴らす。
「結構ディープじゃん。他には?」
「うーん、でもそんなもんかな。さすがに《いるはずのない人間》を見たり、それと喋ったりとかっていうのはないかな。声や音はよく聞くよ」
ぼくはオカルトファンだが、自身が奇妙な体験をしたことはほんの少ししかない。だが目の前の男は平然と自らの経験談を語り、頻繁であったと云い、さらには現在進行形であるとまで云うのだ。
「えー。マジかよ。いや疑うほうじゃなくて」
「わかってるよ(笑)」
「なんかすげーな。オカルトファンとしては喜んで良いんだか悪いんだかわからんが、気分的には盛り上がる。なんか、すまん。でもなんでそれなら怪談で話さないんだ?」
当然の疑問だ。佐川がいるときの怪談会みたいなものは盛り上がる。だが佐川は自分のそうした体験を一切話してこなかった。
「うーん。なんかこれあんまり云いたくないんだよなぁ」
もったいつける、というわけではない風だが、佐川は少し言い淀んでからマルメンのボックスのフィルムを剥がして空けて、一本取り出してから続けた。メールの着信音がうるさかった。
「そんなことしないと思うけど、あんまり他に話さんでくれよ?」
「お前がそういうなら当然そうする」
なんだこの期待感は。まるで怪奇体験集のテンプレートのようじゃないか。
「そう面白い話でもないんだよ。単純に、霊とかのせいで金縛りとか、霊の声が聞こえるとか、ポルターガイストとかラップ音? とか、そういうので音が聞こえるなら、そっちの方が“怖くない”んだよ」
「? どういうことだ」
「俺、高校上がる前に頭打ってぶっ倒れて、しばらく意識戻んなかったんだよね。それから結構そういう経験するようになってさ」
「それがきっかけってこと?」
ぼくは当然“それで霊能力に目覚めた的な?”という意味で尋ねた。
「まぁそうだろうな。半年ぐらい意識戻んなかったって話だし、呼吸もやばかったって。結構大変だったよ日常生活に戻るのに。そんでそっからは寝ている間に苦しくなって目が覚めたら身体動かせなくなてったり、頭痛くなったりすると幻聴聞こえたりとか、そういうのも普通にあってなー。そのたびに“ぶり返したのか”とか思うわけ。だからそっちの方が怖いってだけ。俺の場合、原因がはっきりしているんだよ。金縛りも幻覚も幻聴も」
ぼくは、それこそ頭を殴られたかのような衝撃を受けていた。
ぼくにとっての“怪奇体験”は、彼にとっての“後遺症”だといわれたのだ。そして霊だなんだというよりも、命に関わる症状として“怖い”。そう語った佐川は少し苦笑いのような貌をしていたと思う。
大して間が空いたわけでもないが、ぼくがなんとも云えないでいると、佐川は「ほーら微妙な空気になった」と据え置き灰皿に灰を落としながら笑う。
「いや、なんかすまん。そういうことだとは全然考えなかった。完全に興味本位だった。ごめん」
「謝るなよ。お前がオカ好きなのは知ってるわけだし、興味本位で当然だろ。金縛り経験ありますなんて云ったら知りたがるのも当然だろうし、訊かれたときには話そうと思っていたよ」
学年は一つ下、年齢は一つ上。こんなところで感じるのもおかしな話だが、佐川はぼくより完全に大人だった。PHSがまたメールの着信音を鳴らした。
「そういってくれると、ちと救われる。マジすまん」
「いいって。でもまぁ体験談の《当事者》をあんまり掘り下げると、こういうことも他にもあるかもしれないわな。認識の違いレベルの話で済めばいいけど、俺とは逆方向に“怖がっている”人もいるかもしれないからなー」
「あー……そういう症状だと認識していないで“霊のせいで……”みたいな感じか」
「そっそ。そういうのは怖い。自覚していないだけのパターンの方が多いかもしれないって俺なんかは思うし。でも怪談話で盛り上がっているのに、そういうの云うのも野暮じゃん?」
「確かに。うーん、色々な意味で“怖い”な」
ぼくもタバコに火をつけ、煙を肺に送り込んだあと、濁った溜息を吐きながらそう云った。メールの着信音が考えの邪魔をする。こんな話になるのならバイブにしておけばよかった。
確かに怪談会としてはとんだ興醒めな考え方ではあるが、掘り下げるとしたら留意しなければいけないことだろう。
「そ。だからさ、怪談なんて曖昧ぐらいがちょうどいいと思うんだよ。だから俺は聞いてる時は、混ぜっ返しも余計なツッコミも入れないけど、掘り下げもしない。うすらぼんやりしているぐらいが楽しめてちょうどいいんだよ。お前が前みてたゼミ室の幽霊画集もそうだけどさ、ぼんやりしてるのが多いじゃん。あの時代から、そういうくらいのもんでちょうどいいからなんじゃねえの?」
どこまで大人な対応してんだこいつと思いながら、黙って煙を吸い込みつつ首肯する。曖昧なくらいでちょうどいい。薄ら寒いくらいでちょうどいい。あくまで個人の感想です。そういうもんでいいんだろう。
「そうだな。楽しめるくらいがちょうどいいわ。お前の話で身にしみたよ」
「ならまぁ俺も自分の面倒くさい話をした甲斐があったわ。ところでさっきっからピッチ鳴ってるけど大丈夫か?」
「ああ、多分また間違いメールだわ。前に来てたのは着拒にしたんだけどな」
一ヶ月ほど前からPHSの番号に見覚えのないPHSからのメールが届くようになっていた。間違いだと思い着信拒否に設定していたのだが、また別の番号から届くようになっていた。どこかからPHSの番号が漏れたのだろうか。
「そろそろEメール対応のに機種変すべきかねー」
「そうかもなー。まぁ怪談は曖昧ぐらいでいいけど、それは明らかによくないものだから、お前はさっさと番号ごと変えたほうがいい。はっきりよくないものだから」
「うーん。とりあえず週末にビックかヨドバシ行ってくるわ」
――この話はこれで終わりだ。あとはゼミ室に荷物を取りに帰って、各々帰宅。その後、特になにがあったわけでもない。
《怪談話で体験談を掘り下げると思わぬ地雷を踏むから気をつけた方がいい》――そんな忠告を友人から受けた、それだけの話だ。
だけれど、この時の会話を思い起こすとき、佐川のもう一つの忠告を思い出す。
「怪談は曖昧ぐらいでいいけど、それは明らかに《よくないもの》だから、お前はさっさと番号ごと変えたほうがいい。はっきり《よくないもの》だから」
彼の言葉に従ったぼくは翌週にはそれまでのPHSを解約して、京セラの最新機種を新規契約割引で購入した。
佐川には《この話》はしていなかったし、見せてもいなかったのだが、連続して届いていたPメールは
ヨメテマスカ?
ヨンデマスヨネ?
ナンデヘンジクレナイノ?
ヘンジクダサイ
ヘンジクダサイヘンジクダサイ!!
ヘンジヘンジヘンジヘンジヘンジ
ヘンジヘンジヘンジヘンジヘンジ
ヘンジヘンジヘンジヘンジヘンジ
ヘンジヘンジヘンジヘンジヘンジ
ヘンジヘンジヘンジヘンジヘンジ
アアアアアアアアアアアアアアアアアアアア
アアアアアアアアアアアアアアアアアアアア
アアアアアアアアアアアアアアアアアアアア
イイイイイイイイイイイイイイイ
タタタタタタタタタタタタタ
イイイイイイイイイイイイイイ
スグニイキマス
こんな内容だった。佐川にはなにか《よくないもの》が見えていたのだろうか。
<了>
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