【Mr.Bike復刻】みやもと春九堂通信 vol.05

 インターネットといっても、所詮は人間同士のやりとり。モニターに表れる文章や画像、その向こうには必ず人間がいる。「人間が二人以上同じ場所にいれば、争いは起こり得る」とは不変の真理だが、それはネットも同じ……と、今回はそんなお話である。


 現実では同じ時間に同じ場所にいなければ、諍いが起こる可能性はそう高くはない。つまり相手に直接悪口や気に障ることを言わない限り、ケンカにはならない。しかしネットでのコミュニケイションの手段は文字を使った「文章」である。自分でサイトやブログを運営している者、掲示板などに書き込む者など、様々なタイプの「発言者」がいるが、その発言は本人の意志か、第三者の権限によって消去されない限り半永久的に残る。

 さらに会話の場合は、そのシチュエイションや相手の仕草・表情などから言外のモノを読み取ることで、随分と印象が変わる。恋人同士の「バカだなァ☆」という軽口と、メガネのフレームを指で抑えながら吐き捨てるように言う「バカだな」では全く違う。だが文章で「バカだな」と書かれた場合は、それ以外の意味を持ち得ない。『(笑)』や『(涙)』などをつけたり、顔文字で文章に表情をつけることは可能だが、やはり直接の会話よりは言外の読み取りは難しく、深読みをしたり、ひねくれた解釈をするのも読み手次第という事になる。だから争いが起こった時のこじれ方も酷くなるのだ。

 ネット社会では、こうした争いを「ネットバトル」と呼ぶ。大層な名前がついているが、簡単に言えばネットを使った誹謗中傷合戦だ。もっと簡単に言えば、ネットを使った文章上の口ゲンカである。

 それだけでも脱力してしまうのだが、実態はもっと脱力モノだ。何しろ匿名の世界の出来事、相手が何処の誰なのかも正確にはわからない。だからケンカの材料は、相手の文章などの発言だけになってしまう。つまりケンカ相手の文章を何度も何度も穴の開くほど読み返し、必死になってアラを探し、揚げ足のとりあい&重箱の隅のつつき合いを繰り広げるのだ。なんとも暗く、間の抜けた作業である。

 論法や文法、句読点の打ち方や改行位置といった文章構成にまで言及し、誤変換の一つも見つければ、鬼の首をとったかのように「この低学歴が!」くらいの発言が飛び出すこともしばしばである。

 冷静に考えれば、これほどバカバカしいこともないのだが、それにそれぞれの支持者がついたりするから、さらにエスカレートする。そして挙げ句の果てには、劣勢になったり手詰まりになった側が、自分のサイトやブログを閉鎖する事もある。大概のネットバトルの着陸地点はそこで、そうした結末を、ぼくは今までに数多く見てきた。

 日本のインターネット人口は約6千万人。その多くは10代から40代というが、相変わらず、どこの誰がどのようなハンドルネームで発言しているのか全くわからない世界だ。そしてサイトやブログを運営していることを現実生活では隠している人も多い。

 ネットバトルはあくまでもネットでの出来事だが、会社では課長クラスの人間が高校生くらいの若者にネットバトルでボコボコにされて、自分のサイトを閉鎖に追い込まれるなんてことも有り得ないわけではない。

 どんなにコワモテな格闘技の猛者であっても、顔面パンチならぬ画面パンチで、自分のパソコンモニターか拳を痛めつけることしか出来ず(ぼくも何度か経験がある)、逆にネットバトルで火を噴くような猛烈口撃をする人物に直接会ってみると、オドオドと挙動不審で口下手な、デコピン一発で全治3ヶ月になってしまうようなガリガリ君だったりすることもある。それがネットの世界であり、ネットバトルなのだ。

 ネットバトルを避けるには「相手の悪口をいわない。宗教・政治・野球などに言及しない」という“暗黙のオキテ”を守ることに尽きる。ネットは匿名の世界ではあるが、逆に「だからこそ」実生活よりほんの少し発言に気をつけなければならないのである。

 今日もどこかで、顔の見えない者同士の壮絶な文章上の口ゲンカが繰り広げられている。ネットとはそういう一面もある愉快な場所なのだ。

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