レザ・ラファ師によるルツ記

ルツは教会。

なんとロマンチックな話だろうか。

しかし、ただのロマンチックな話ではなく預言的なこと。

若いユダヤ人が結婚し、彼らには夢もあった。

相続地、また神のみ心の中に生きていた。

最初の子、また次の子も死んでしまった。

パンの家というベツレヘムで飢饉が起きた。

物事がうまく行かなった時、私たちは根を処理しなければならない。

しかし、私たちは簡単な解決を求めてしまう。

小さな嘆き、小さな妥協からはじまってしまう。

自分の運命を決定しないだろうと考える小さな決断から私たちの間違いがはじまってしまう。

ナオミはこの事に対して不平を言ってしまう。

自分の決断を神のせいにした。

人はいつもこの罠にハマってしまう。

しかし、神は何度もチャンスを下さる。

神に求めたら、失った収穫、大麦が戻ってきた。

ところがオルパ(うなじ)とルツ。

不平不満を言う姑に対して心から使えたのはルツ。

しがみつくとは、アダムとエバが一つになると同じことば。

このコミットメントは結婚の成約と同じ意味。

ダバーク。

死が二人を分かつまで別れないという事。

多くのクリスチャンがイスラエルを愛すると言う。

しかし、自分の立場が大変になるとオルパのように背を向けて帰ってしまっていないか。

ルツのようなクリスチャンはどこにいるか。

世界中がイスラエルを批判する中でルツのように仕えるクリスチャンはどこにいるか。

たとえどのような状況になろうとも、あなたはイスラエルに仕える事ができるか。

ルツはそこに残った。

どんなに大変な道のりであろうと、ナオミと共に同じ道を歩むことを選んだ。

ボアズの畑に言ったのは偶然ではなく、主の導きによる。

他の畑に行くことが出来たにもかかわらず、ボアズのところに行くのは主の御手によるもの。

その時、美しいルツに目が止まった。

そして、「私の畑にとどまりなさい」と言った。

ボアズはルツに好意を持っていたので、働き手にわざと収穫を多めに落とすように命じた。

そして、井戸の水も与え、この畑にとどまるようルツに伝えた。

これはあなたの姑とおなじ間違いをしてはいけない。

おなじ過ちをしてはならない。

ここにとどまる必要があるというメッセージがそこにある。

忠実な心を持って仕えるあなたを呼んだ主があなたの全ての面倒を見て下さる。

ナオミはルツにどこにっていたのか聞く。

そしてボアズのことをナオミに話す。

行間を読むと、ナオミはここで「ハレルヤ!ボアズは私の親戚だ!」と言う声が聞こえる。

ナオミの心だけでなく、実際に戻ってきたのがこの時。

これはルツ、ボアズを通して主の備えを見たから。

着飾ってボアズのところに行けとナオミはルツに命じた。

それに忠実に従った。

これは現代でも誤解されるような行為。

打ち場で寝ているボアズの足もとで寝ているルツ。

彼の衣を自分の上にかけなさいと言う。

これはナオミの命令なしには開かれなかった道。

ユダヤへの命令も教会に対して同じ意味を持つ。

贖いと救いはユダヤ人から出る。

これをサタンは必死に阻止する。

「祝福あれ、主の御名によって来られる方に」とイスラエルが言えないようサタンは力を尽くしている。

土地でなく、約束、契約。

神と民、そして民とその地とのつながり。

あなたは自分の相続地にいるか。

あなたが最初に召されたこと、あなたの夢を覚えているか。

いつでも緑の土地、安易な解決を求めていないか。

幾つかの失敗は許された。

それは主によって私たちの人格を練り上げるために起こされたこと。

私たちが主にふさわしいものとなるため、特別に与えられた訓練。

その働きのために全てをとって、自分の決断の結末も、他の人の決断、それらすべてを含めて私の益として下さる。

それはキリストの似姿に変えられていくということ。

イスラエルの皆さんを愛しています。

あなたは今晩、ルツになるかオルパになるかを決断しなければならない。

ナオミを見たらどれだけイスラエルの民がかたくなかを見ることができる。

ナオミと共に立つには忍耐がいる。

これは契約だから。

ナオミが子どもを胸に抱く時、嫁を7人の息子より優れていると言った。

あなたはその娘になることができる。

それは神の恵みによって。

神の計画に従うことで、7人の息子に優る娘となることができる。

私たちは喜んで、ルツのような教会になることができるだろうか。

私たちは最後までやり通すことができるか、それとも途中であきらめてしまうか。

忠実に他の畑に行くこと無く支え続けることができるだろうか。

迫害されても、イスラエルと共にその患難を通ることができる覚悟があるだろうか。

アラブ人の中でかつてはクリスチャンは20%、現在は2%。

ISISは必要ないほどの数になっている。

それは与えられた畑を守らなかったから。

イスラム国は神に対して罪を犯した。

それは神に背を向けたこと。

アラブの教会は文句をいうことが出来ない。

それが間違った決断の結果。

ナオミが主の相続から離れた結果。

それは小さな妥協から始まった。

しばらくモアブに行こうと言うのが10年、20年になり、このような結果になってしまった。

今、アラブ人として悔い改め祈りたい。

以上がレザ・ラファ師によるルツ記の分かち合いです。
イスラエルに来るために多くの犠牲を支払いました。
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