カルメル山でのピーター・ツカヒラ師のメッセージ

今、終わりの時に私たちは立たされている。

大贖罪日が近付いている。

自らを吟味し、神様に立ち返る日。

神様との関係が本来あるべきづがたかどうか確かめる日。

<詩篇118:19>
義の門よ。 私のために開け。 私はそこから入り、 【主】に感謝しよう。

ヨム・キプールに主のきよめの臨在が来るよう祈ります。

喜びを持って悔い改めることが出来ますように。

ヨム・キプールの日は自らの魂を引き裂く時。

私たちの肉に対して普段の快楽を拒む時。

そうして、神様の御顔を求める時。

普段の仕事の忙しさから離れる時。

そして永遠の価値を思う日。

聖書のヨム・キプールは一年に一度の贖いの日として設けられている。

祭司の家族、大祭司が至聖所に入ってささげものをする。

キリストの血を象徴する血を携え至聖所に入る。

わたしたちの心を整えるのがこの日。

自分の人生を思い返す日。

最後の審判に私を裁かれる方の前に立ちおおせるか。

イエス様も弟子たちに最後のメッセージを送られた。

<マタイ26:33-37>
すると、 ペテロがイエスに答えて言った。 「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、 私は決してつまずきません。 」
イエスは彼に言われた。 「まことに、 あなたに告げます。 今夜、 鶏が鳴く前に、 あなたは三度、 わたしを知らないと言います。 」
ペテロは言った。 「たとい、 ごいっしょに死ななければならないとしても、 私は、 あなたを知らないなどとは決して申しません。 」弟子たちはみなそう言った。
それからイエスは弟子たちといっしょにゲツセマネという所に来て、 彼らに言われた。 「わたしがあそこに行って祈っている間、 ここにすわっていなさい。 」
<マタイ26:74-75>
 すると彼は、 「そんな人は知らない」と言って、 のろいをかけて誓い始めた。 するとすぐに、 鶏が鳴いた。
そこでペテロは、 「鶏が鳴く前に三度、 あなたは、 わたしを知らないと言います」とイエスの言われたあのことばを思い出した。 そうして、 彼は出て行って、 激しく泣いた。

イエス様は前に口は心にあるものを語るものだと言われた。

ペテロは自分の言ったことで激しく悔い改めた。

<マタイ12:36-37>
わたしはあなたがたに、 こう言いましょう。 人はその口にするあらゆるむだなことばについて、 さばきの日には言い開きをしなければなりません。
あなたが正しいとされるのは、 あなたのことばによるのであり、 罪に定められるのも、 あなたのことばによるのです。 」

ここでイエス様は愛を持って弟子たちを教えられていた。

神のことばの前ではすべての人は哀れみが必要。

私のこころと思いにきよめと哀れみが必要。

舌を制御することは難しい。

パウロでさえも口のことばで失敗した。

ヨム・キプールはこれを覚え、悔い改める日。

このようなことを主の前に持って行く日。

すべての間違ったことをイエス様の血で洗い流してくださいという日。

そして、信仰の自身を持つ時。

このような信仰を持つなら、主は全てのことをきよめて下さるという信仰を持つ時。

神様だけこれをなして下さる。

どんなことを言ったとしても、神はその事を赦して下さる。

傷つけた人がいるなら、その人のところに行って謝る。

その傷を癒やされるのは主のみ。

ヨム・キプールはこれらのことを覚える時。

新しい日のように、新品にして下さる日。

<黙示録20:12>
また私は、 死んだ人々が、 大きい者も、 小さい者も御座の前に立っているのを見た。 そして、 数々の書物が開かれた。 また、 別の一つの書物も開かれたが、 それは、 いのちの書であった。 死んだ人々は、 これらの書物に書きしるされているところに従って、 自分の行いに応じてさばかれた。

ヨハネは終わりの日を示された。

自分を吟味する日がヨム・キプール。

自分がやった全ての純粋でない、悪いことを悔い改める日。

信仰の確信により、神のみこころでない行った全てのことを主に哀れみをこう日。

神様は契約を持って私たちに約束をしてくださっている。

大きなことも小さなことも全て神が拭い去って下さると確信する。

さばきの日は必ずやってくる。

まるで聖霊様の学校にいるよう。

神様は私を愛しており、教師であり導き手である御方。

このお方に頼り、最終試験、裁きをパスすることを御言葉から学ぶ。

私が学生の時最悪のクラスになった。

教師がひどい教師だった。

それは代数の授業。

その授業は嫌だったが、最終試験が待ち受けていた。

心はどんなに頑張っても無理なことを知っていた。

この日が近づくにつれて、罪に定められる思いが来た。

まるで滅びに向かっていくように感じる試験を目前にして、先輩が来た。

「君たちが心配しているのは代数の試験だろ」と言った。

なぜ知っているのかというと、自分たちもそこを通ったからといった。

その教授は毎年同じ試験問題を出すので、過去問を教えてくれた。

これは恵みだった。

だから、最後の試験にパスされ、今、こうして皆さんの前で話せている。

最終試験があるが、誰かが助けて下さると知っている。

私も実際に助けられた。

最初に、最終試験の時、二つの部分がある。

大切な事は、その時までどのように生活するかということ。

自分の人生で何をするかと同じくらい大切。

もう一つは先程読んだみことばがはっきり語っていることは、行いは大切ということ。

イエス様はあなたの言葉によって義とされると言っている。

あなたが何を口から出すかが大切。

ヨハネが黙示録の中で彼らは行いに応じて裁かれたと言っている。

すごく重要なスタートのポイント。

何を信じるかが大切。

神について正しいことを知っていることは大切。

自分の言ったこと、行ったことが裁かれる。

試験には一部と二部がある。

あなたの語ること、行なうことが大切。

言ったこと、やったこと。

どのように生きたかが大切。

だから、慈愛のもとに生活すること、正直のもとに生きること、イエス様の純粋さを追い求めるきよさ、イエス様の信仰、希望がほしい。

もっと重要な事は神様の愛がほしい。

どのように生きているか。

神の愛の中に生きているか。

まわりの一人ひとりに愛を示すという努力をしているか。

自分の家族から始まり、周りの人、そして的に至るまで。

ここをろを主に向けて集中する生き方。

神様を愛している人に対しては素晴らしい約束がある。

すべてのことを働かせて益として下さる。

まちがいも失敗もひっくり返して益としてくださる。

神の目的に召されている人々はそうなる。

そのような生き方が大切。

人生でなにをなすか。

これが第二部で大切なこと。

神様は道徳もあり、目的もある。

神の道徳基準がある。

地上で達成したいこともある。

それは私を通して行いたい。

神様の素晴らしい恵みを与えらるのを見たことがある。

人生で大きな欠点を持った人に対して。

神様がやってほしいことを行っていたゆえに絶大な恵みを受けた人を知っている。

逆に、神様がして欲しいことをしてないことで裁かれ、うまくいかない人も知っている。

<詩篇139:13>
それはあなたが私の内臓を造り、 母の胎のうちで私を組み立てられたからです。
<詩篇139:16>
あなたの目は胎児の私を見られ、 あなたの書物にすべてが、 書きしるされました。 私のために作られた日々が、 しかも、 その一日もないうちに。

神様が私を造られ、デザインして下さった。

毎日緻密に計画を私のために計画を立てておられた。

それは生まれる前から。

神様の目的を知りたかったらダビデが言っているように、偶然は一日もないということを知る必要がある。

エレミヤも同じ結論に達した。

<エレミヤ1:5>
「わたしは、 あなたを胎内に形造る前から、 あなたを知り、 あなたが腹から出る前から、 あなたを聖別し、 あなたを国々への預言者と定めていた。 」

神はエレミヤを立てて人生の召しに呼ばれた。

聖書の中の多くの例の一つ。

聖書の中には私個人のために模範がある。

私たちは神の御手によって計画を持って大切に造られた存在。

髪の毛の数も知っているお方。

あなたを備えた、計画に応じて造られた。

そして、その目的、計画に沿って生きていて、実を結んだかと主は問われる。

試験で問題に何が出るかを知っていることは大切。

試験に載ってないことをしることも大切。

他の人と比べる必要はない。

他の人の夢、ビジョンに対して主はあなたに申し開きを求めない。

あなたに関して主は問われる。

エレミヤ、ダビデもあなたを神の中で組み立てたと言っている。

あなたが生きる前からそれらは全て計画されていた。

あなたには大きな計画、デザインがあった。

今、悔い改めの話をしている。

悔い改めが必要ないこともある。

英語では神は悔い改め、思い直しをしないと書かれている。

あなたの召命に対して思い直しをしない。

今、あなたはどのように生きているか。

どのように神に対しての純粋さを保っているか。

もう一つ大切なのは、主が自分を子のためにつくった。

その道にしっかり歩めているか。

他の人の願いなどに歩んでいないか。

ヨム・キプールにその事を悔い改めるべき。

自分の死んだ行いから立ち返るべき。

命をもたらさないことから主に戻るべき。

それは完璧な人生。

命を与える方に立ち返る時。

毎年この年を主が備えてくださっていることに感謝する。

まことの大祭司が私たちのために贖罪をして下さる日。

リセットボタンが押される日。

裁きの日は神の顔に笑顔があると信じている。

裁きの日に弟子たちが語った。

タラントの話がそれ。

主人が長旅に出て、その人が3人のしもべにお金を預け、

10タラント、5タラント、1タラント与えた。

主人が戻ってきた時、タラントを増やした人と増やさなかった人に違うことを言われた。

増やした人には「よくやった、よく忠実なしもべだ。小さなものに忠実だったので、大きなことをまかせよう」と言われた。

このような人になりたい。

主が与えて下さった賜物を用いたい。

3人目のしもべは神様が与えてくださったものを隠した。

盗んでなく、無くしたものでもなく、与えられたものを返した。

ほかの二人とおなじように主人を喜ばせようとさせた。

彼らの神学は同じだったのではないかと思う。

しかし、行いが違っていた。

何をするかが大切。

ヨム・キプールの日は機会を与える日。

王のもとに出て行って、今、主の笑顔を見出す時。

最後の日までそれを待ってはいけない。

先輩のクラスメイトの話を聞こう。

試験に何が出るのかわかったらそれに集中して勉強する。

ほしいのは主の笑顔。

ヨム・キプールは集中する日。

聞く耳がある人、御霊が民に言っているのがきこえるでしょう。

今日、この日を離れて、主の笑顔を知るでしょう。

主を喜ぶことは私たちの力です。

ヘブル書の記者が贖い、血の生け贄について書かれた。

動物のいけにえは私たちを完全にできない。

今、イスラエルで起きていることを文脈で説明したい。

神殿の丘で最近衝突が起きている。

イスラエル人が神殿を建てなおそうととても熱心。

彼らは動物のいけにえを戻そうとしている。

そのために熱心になっている。

再び祭壇に動物の血が捧げられるために一生懸命になっている。

ところがヘブル書の著者は、動物のいけにえは完全にされないと言っている。

だから毎年捧げなければならない。

しかし、ただ一度ささげられたいけにえがある。

天において流された血。

それによって義の門が開かれる。

ヨム・キプールは主の前に来てそれを覚える日。

そのいけにえをわたしたちの心に有効にさせる。

<ヘブル9:11>
しかしキリストは、 すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、 手で造った物でない、 言い替えれば、 この造られた物とは違った、 さらに偉大な、 さらに完全な幕屋を通り、
また、 やぎと子牛との血によってではなく、 ご自分の血によって、 ただ一度、 まことの聖所に入り、 永遠の贖いを成し遂げられたのです。
もし、 やぎと雄牛の血、 また雌牛の灰を汚れた人々に注ぎかけると、 それが聖めの働きをして肉体をきよいものにするとすれば、
まして、 キリストが傷のないご自身を、 とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、 どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、 生ける神に仕える者とすることでしょう。

これは効力がある。

私たちが言ったこと、やったこと全て永遠に至らないすべてのこと。

これを主の前に持っていくのがこの日。

完全にされた心を持って新しくされるのがヨム・キプール。

次の年の準備の勝利の時。

神の御国の基準を持つ日。

今年、ひとりひとりにおいて、きよめられた良心を持って歩める一年となる。

高いレベルのきよさを与えられる。

もっと隣人を愛するようになれる。

今まで以上に神の愛の中に歩める。

そのような一年になります。

もっと信仰の目が開かれ、目的をはっきり見ることができるように。

今年、主のことばを聞きます。

これが主の顔に笑顔を作ること。

これはひとりひとりが個別に聞く必要がある事。

あなたがこの事を行なうなら、主が笑顔になられる。

主の前に立つ時「よくやった」と言われる。

あなたは正しく、うまくおこなった。

それを私は全てみていたぞ。と。

主人の喜びの中に入ってください。

そのために歩んでください。

なんという歩みだろう。

そのような神との正しい関係に歩める日を一年に一度設けてくださったことに感謝したい。

しかし、賢い人はこれを毎日行う。

その事を忘れていた人もヨム・キプールでその事を思い出せる。

誰でも今日、この日、神の前で心を完全にして欲しいなら、今、神の御前に進み出る機会が与えられている。

造り主と真剣な関係を築きたいと思っている人。

あなたがいてくださるなら、今日、これから私のすべてをささげますと。

新しい始まりがある。

今朝、今日がその日であって欲しいと思う人はいるか。

今日、主の血潮によってきよめてほしい。

主の明確な指示を得たいと思う人はいるか。

主と真剣な関係になりたい人のために祈ります。

以上がピーター・ツカヒラ師の分かち合いです。
イスラエルに来るために多くの犠牲を支払いました。
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