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ポーランド、ワルシャワを歩いて感じたこと

少し書くのが遅くなってしまったが、8月末にポーランドのワルシャワに1週間ほど滞在した。

ポーランドやワルシャワの名前は聞いたことがあるものの、ざっくりと東ヨーロッパの一都市くらいのイメージしかない人は多いのではないかと思う。世界史を勉強した人は、第二次世界大戦やアウシュビッツのことなどを頭に浮かべる人もいるかもしれない。

今回ワルシャワの街並みを歩いてみて気づいたことがおおきく2つ。

まず一つは、ポーランドがヨーロッパでもまだ発展途上な国であるということ。

ワルシャワの中心部ではどのブロックでも新しい高層ビルが建設中で、中国の高層ビル建設ラッシュに重なるところがあり、なんだか似ているなぁと感じた。

この写真でも少なくとも4ー5件の建設中のビルが見える。撮影した真後ろにも5つほどの建設中のビルが見えた。

またワルシャワは他のヨーロッパ同様に古い建物も多いのかと思っていたが、実は結構新しい街でもある。100年以上前に建てられたようなところはほとんど見当たらなかった。

それもそのはずで、第二次世界大戦のドイツ軍によるポーランド侵攻によってワルシャワは建物がひとつも残らないほど焼き払われたそうで、戦後に新しく建て直された比較的新しい都市らしい。

では戦後にどういう街になっていったかというのが、2つ目に気づいたことと関係がある。

街中の至る所に、グレーで古めかしく、荒っぱなしで、デザイン性に欠けた(!?)建物がたくさんある。ものすごく地味で無機質な団地のような場所がたくさんあった。

これらの無機質な建物は、戦後にソ連の占領下に入っていた共産主義時代の名残で、その時代に建てられたアパートやオフィスはすべてこんな感じ。

ポーランド人いわく、その時代は働いても働かなくても給料も変わらないということで物事がまったく進まず、ひとつの建物を作ったりするのにも通常の20倍以上の時間がかかったそう。そりゃアパートもすぐボロボロになるしメンテナンスもされないなぁと聞いていて思った。

その一方で、街のど真ん中にはスターリン様式といわれる共産主義時代の宮殿もある。

これは文化科学宮殿というもちろん当時は最も高い建物だったらしい。

今でこそ観光名所っぽくもなっているが、自分が知り合いになったポーランド人はみんなこの建物が大嫌いと言っていた。この文化科学宮殿はソ連時代の象徴とも言える建物で、ポーランド人からすると負の時代を思い起こさせる建物と聞いた。(ちなみにwikipediaによると、ワルシャワっ子は、「どこに行くんだい」「文化科学宮殿だよ。あそこに行けば宮殿を見なくて済むからね」、というジョークを作っていたらしい。)

本当か冗談かはわからないが、この宮殿の周りに、さらに高い高層ビルをたくさん建てることで、これを覆い隠してしまおう、というプロジェクト(!?)が進行中とのことで、この辺りは建設ラッシュだという話も聞いた。

写真をみると、たしかにプロジェクトは順調そうw

その他にもポーランド名物のご飯を食べたり、たまたま第二次世界大戦に関する軍隊の式典を広場でみることが出来たり、やっぱり現地に来てみて、街中を歩いて、地元の人々から話を聞くことで初めて理解できることがたくさんあるなぁと感じた1週間だった。


ポーランドではスタートアップコミュニティにも一部関わる機会が持てたので、その話も別途書いてみたいと思う。

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