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【小説】余命1年、僕は自分を探す旅に出た 第3話

▼▼▼第3話▼▼▼



――1――


早朝に家を出て空港に車を駐め、
学人は早い便で帯広に向かった。

羽田経由で本州上空を北へと向かうボーイング787の窓側の座席で、
提供された紙コップのコンソメスープを飲みながら、
学人はタブレットとワイヤレスイヤホンをつなぎ、
中島みゆきの「ホームにて」を聞き、
ヘルマン・ヘッセの『デーミアン』を読んだ。

『北の国から』の純と自分を時々重ねた。
純は11歳のときに母と別れ、
富良野で父親の五郎と妹の蛍と3人で暮らすことになった。
学人は10歳のときに父親が出て行き、
住んでいた家を引き払い、
母と二人、安アパート住まいを始めた。

倉敷市内の安アパートと、
六郷の黒板家のボロ屋は違うし、
学人は風力発電を創ったことも、
自給自足の田舎暮らしをしたこともない。

しかし、「何かが足りない」という感覚や、
ある日を境に世界の底が抜ける、
という体験を、学人は黒板純と共有できた。

富良野に移住して間もなく、
純と蛍はある大晦日に、
友人の正吉の家を訪ねる。
正吉の家には年に一度だけ帰って来る、
旭川で水商売をしている母親のみどりがいる。
紅白で八代亜紀が「雨の慕情」を歌うのをを聞きながら、
正吉と母親がじゃれあっているのを
正吉の玄関のガラス戸越しに目撃し、
純と蛍は無言でテレビのない廃屋へと帰宅する。

家には肉体労働で疲れた五郎が待っているが、
「母親がいない」という淋しさを、
二人はどうしても五郎に表現することができない。
表現したら、体を張って自分たちを庇護してくれている、
父親を責めることになってしまうから。

その気持ちが学人には痛いほどわかった。

純が耐えられずに短期間、
東京に帰ったことがある。
そのときに駅に見送りに来た富良野の長老、
北村清吉が純と付き添えの雪子に、
「お前ら、わしらを裏切って逃げるんじゃ」と語る。
富良野駅には中島みゆきの「ホームにて」が流れている。

学人は10歳以降、
父親を探そうと何度も思ったが、
どうしてもできなかった。
純が父親に抱いたのと同様、
学人も母には屈折した愛憎を抱いていた。
単純に母親を大切にしていたわけでもないが、
それでも、母親を裏切るような気がして、
どうしても父親を探せなかった。
学人も純と同じで「富良野」からとうとう逃げられなかった。
今となっては父が生きているかどうかすら分からない。

「北の国から」を観たのは大学生時代だったが、
そのとき、
「あぁ、俺は北村清吉の呪いにかかっていたんだ」
と理解した。

「ホームにて」を聞くと学人は、
だからいつも父親を思い出す。
そして泣きそうになるのだが、
テレビのワイドショーで磨りガラス越しに、
組織的犯罪について証言する反社会団体の男のように、
父親の顔は真ん中のあたりがぼやけ、
その声は合成加工されていて、
涙はすぐに引っ込む。

今年の春に、
ひたすら明るい芸風の3人トリオのお笑い芸人のひとりが自殺した。
彼らを見て笑う売れっ子になった有吉弘行は、
他の番組で目の奥が死んでいる彼とは違い、
どこか鎧を脱いでいるような気がして好きだった。
後で知ったのだが、
自殺したその芸人は「ホームにて」をこよなく愛していたそうだ。
彼の笑い顔がいつも、
泣き顔にも見えたのはそういうわけか、
と学人は納得した。

俺も1年したら彼のいるところに行くのかな。
だとしたらそこは結構楽しい場所だろうな。

「ホームにて」は夢破れた人が故郷に逃げ帰る歌だ。
自殺した芸人の「ふるさと」は神戸なのだというが、
学人は結局、中島みゆきのいう「ふるさと」を
ついぞ持つことのない人生になった。
負けて帰るべき場所も持たない人間は、
「土に帰る」しかないのか。

それでも、自分がこの世に生きたということを理解するために、
自分を探す旅をすることに決めた。
自分の破片を探すために、
自分を知る人間に会いに行く。

紙コップのコンソメスープは空になり、
デーミアンは2ページしか進まず、
飛行機は着陸の準備に入った。
タブレットを機内モードにし、
ブルートゥースイヤホンを充電器に戻した。

着陸した滑走路越しに見える十勝には、
パッチワークの牧場と広大な畑を縫うように、
白樺の防風林が立ち並んでいた。


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