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さ 「猿」


猿が好きだ。いや、猿を見るのが好きだ。そもそも動物園が子どもの頃から好きで、何時間でも動物を見ているような子どもだった。母によれば、とりわけ猿に夢中だったそうだ。ニホンザルが群れをつくっているいわゆる「猿山」も好きだが、アフリカの猿やアジアの猿を見るのも好きだった。僕が小学校低学年のころ、愛知県知多市というところに住んでいた。信じられないほどの田舎だった。知多市から一番近い動物園は名古屋の「東山動物園」で、よく連れて行ってもらった。あるとき、従兄弟のたーくんとそのお母さん、そして僕と姉と弟と母、という6人で東山動物園に行ったことがある。

もしかしたら両方の父親がいたかもしれないが、よく覚えていない。僕は例によってひとつの動物に見入ると、テコでも動かなくなる。周囲のことなど何も考えない。というか、周囲の風景も人間もすべて「消える」。僕の発達障害的な傾向はそういうところがあり、とにかくフォーカスの度合いが深すぎて、他が目に入らなくなるのだ。だから今でも考え事をしていて忘れ物をしたり電車に乗り遅れたり、苦労している。フォーカスすると周囲が「消える」のだ。

そんなゾーンに入ると、母が僕に付き合ってくれて、あとの集団はサクサクと先に進む、というルーティーンなのだが、その時は他の家族もいたため、あまりにも長いこと猿に見入っている僕をとりあえずそこに置いておいて、30分ぐらい経ったら戻ってこようと母は考えたのだろう。少しだけ僕を目を離した。僕は小一時間ほど猿を見た後、「じゃ、お母さん、行こうか」みたいな感じで周囲を見渡すと、誰もいない。

僕はとても発達が遅かった。計算力とかは気持ち悪いぐらい早かったのだが、社会性とかは気持ち悪いぐらい遅かったそうだ。今もまだ社会性に関しては発達が完成していないという説もある。お母さんがいないことにパニックになった小学3年生(2年生?)の僕は、必死でお母さんを探して歩いた。最後は号泣しながら歩いた。当然のごとく動物園の管理室に連れて行かれた。係の人が言う。「お名前は?」「じ・じ・うぇ・うぇい・ん・うぇ・うぇ・ない・しゅ・しゅ・うぇ・んです」「じんないしゅんくんね」じゃあ、「お母さんの名前は?」

……

……

お母さんはお母さんだ。名前なんて考えたことがない。「お母さんは・うぇ・お母さんです」この子大丈夫か? と思われながらも、「半ズボン履いて水色のシャツを着たじんないしゅんくんのお母さん」という園内放送が流れた。僕は管理室で、「あぁ、これで家族とは今生の別れだなぁ。僕はこれからどうやって生きていくんだろう」と思いながら号泣していますから、母親と叔母さんが笑いながら迎えに来た時は「笑ってんじゃねぇぞコラァ!!こっちは今生の別れかと思ったんじゃボケェ!」……と言えるはずもなく、なんか知らんけどアイスを買ってもらって落ち着いた。

あの頃から僕は少しでも成長したんだろうか? 今も猿は好きだし、「お母さんはお母さんだ!」という自閉傾向を内に秘めていることは自覚している。少なくともそれを自覚しているということを多分、成長というのだろう。


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