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センス・オブ・ワンダー


こうした実験結果を見ると、
赤ん坊は大人よりも優秀な科学者でないかと思えてくる。
大人は確証バイアスに囚われていることが多い。
私たちは既に知っていることと一致することに注目し、
予測を裏切ることは無視する。
(中略)
しかし赤ん坊は、予期せぬことが起きるのを歓迎する。
カール・ポパーのいう理想的な科学者のように、
子どもたちは自分の理論の誤りを正す事実を常に探している。
そして遊び調べることでそのような事実を発見する。
  ―――『思いどおりになんて育たない』アリソン・ゴプニック


▼▼▼科学の本▼▼▼

娘が科学の本をよく読んでいる。
去年は恐竜の図鑑とかを読んでたし、
人体の不思議、みたいな本も好きだ。
今は星や惑星や宇宙の図鑑を読んでいる。
僕もそうだったのでとてもよく分かる。

魅力的なコンテンツは世の中に横溢しているけど、
結局、一番面白いのは「世界そのもの」なんだよね。

この世の中は不思議に満ちている。
恐竜なんていうとんでもないデカい生き物が、
何億年か前には生きていたなんて、
本当に凄いと思う。
今、改めて考えても驚く。

人体がなんてうまくできていることか。
恐ろしくなるほどこの複雑系はうまくできている。
なぜ目が見えるのか。
なぜ声が出るのか。
なぜ手が動くのか。
不思議だ。
めちゃくちゃ知りたい。

宇宙の大半はダークマターという、
検出も視認もできない物質でできている。
数理モデルで宇宙の質量を計算するとそうなる。
その仮説を計算に入れるとつじつまがあう。
なんて不思議なんだ。
めちゃくちゃ知りたい。

分子、原子、量子、クオーク、、、
って、微細な世界はフラクタルに構造化されていて、
最後は粒子ではなく「ひも」なのだという。
そのひもが4~11次元に折りたたまれた、
「エネルギー」が物質を物質たらしめているものの正体らしい。
面白すぎる。
凄すぎる。
僕たちが見ている世界は、
僕たちが見たまんまではないのだ。

もう、ワクワクが止まらないのだ。

僕は小さい頃、
虫の図鑑や宇宙の本を穴が空くほど読んでいた。
読んでいた、というより「見ていた」のほうが正しいだろう。
そしてじっさいに虫を何時間でも観察していた。
ずーっと、じーっとアリを半日見ていたこともある。
僕は「ファーブル気質」だったのだ。
獣医師になったのも無理もない。

娘も今、それらの本を「見て」いる。
穴が空くほど見ている。
それで質問してくれる。
この質問が、
僕の中にある「ワクワク」を呼び覚ましてくれる。

そうだ!

そうなんだ!

なんで地球は太陽のまわりを回ってるのにとばされないのか、
すごく良い質問だ!

YES!

そうなんだ。
不思議なんだ!
僕の中の科学者が歓喜する。


▼▼▼レイチェル・カーソン▼▼▼


『沈黙の春』という本で、
DDT農薬の危険性を啓発し、
今の環境保護活動の礎石を作った、
レイチェル・カーソンという人がいる。
『沈黙の春』はちなみに、
『世界を変えた10冊の本』という本のなかで、
池上彰さんが『聖書』『資本論』『コーラン』などとともに、
歴史を変えた10冊の中に入れていた。

それぐらい大きな影響力をもった本。

さらに「ちなみに」の話しでは、
カーソンは沈黙の春を書いている4年間、
癌に冒されていた。
自分の命というタイムリミットとともに、
彼女は人類の産業活動が人類を滅ぼす可能性を警告し、
遺稿『沈黙の春』をこの世に送り出して世を去った。

そのレイチェル・カーソンが遺したもうひとつのものが、
「センス・オブ・ワンダー」という言葉だ。
センス・オブ・ワンダー(この世界の不思議に驚く心)は、
彼女がつくった言葉だと言われている。
その名も『センス・オブ・ワンダー』という本のなかから、
ちょっと長いが引用しよう。

〈子ども達の世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、
驚きと感激に満ちあふれています。
残念なことに、私たちの多くは大人になる前に澄み切った洞察力や、
畏敬すべきものへの直感力を鈍らせ、
あるときには全く失ってしまいます。
もしわたしが、すべての子どもの成長を見守る
善良な妖精に話しかける力を持っているとしたら、
世界中の子どもに、生涯消えることのない
「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見張る感性」
を授けて欲しいと頼むでしょう。

この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、
わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、
つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、
かわらぬ解毒剤になるのです。
妖精の力によらないで、
生まれつきそなわっている子どもの「センス・オブ・ワンダー」を
いつも新鮮にたもちつづけるためには、
わたしたちが住んでいる世界のよろこび、
感激、神秘などを子どもと一緒に再発見し、
感動を分かち合ってくれる大人が、
すくなくともひとり、そばにいる必要があります。
多くの親は、熱心で繊細な子どもの好奇心に触れるたびに、
さまざまな生き物たちが住む複雑な自然界について
自分が何も知らないということに気がつき、
しばしば、どうしてよいかわからなくなります。そして、
「自分の子どもに自然のことを教えるなんて、
 どうしたらできるというのでしょう。
 わたしは、そこにいる鳥の名前すら知らないのに!」
と嘆きの声をあげるのです。

わたしは、子どもにとっても、
どのように子どもを教育すべきか頭を悩ませている親にとっても、
「知る」ことは、「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。
子ども達が出会う事実のひとつひとつが、
やがて知識や知恵を生み出す種子だとしたら、
さまざまな情緒やゆたかな感受性は、
この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。
幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。
美しいものを美しいと感じる感覚、
新しいものや未知なものに触れたときの感激、
思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などの
さまざまな形の感情がひとたび呼び覚まされると、
次はその対象となるものについて
もっとよく知りたいと思うようになります。
そのようにして見つけ出した知識は、しっかりと身につきます。

……もし、あなた自身は自然への知識を
ほんの少ししか持っていないと感じていたとしても、
親として、たくさんのことを子どもにしてやることが出来ます。
たとえば、子どもと一緒に空を見上げてみましょう。
そこには夜明けや黄昏の美しさがあり、
流れる雲、夜空に瞬く星があります。
子どもと一緒に風の音を聞くことも出来ます。
そうした音に耳を傾けているうちに、
あなたの心は不思議に解き放たれていくでしょう。
雨の日には外に出て、雨に顔を打たせながら、
海から空、そして地上へと姿を変えていく
ひとしずくの水の長い旅路に思いを巡らせることも出来るでしょう。
あなたが都会で暮らしているとしても、
公園やゴルフ場などで、あの不思議な鳥の渡りを見て、
季節の移ろいを感じることも出来るのです。
さらに、台所の窓辺の植木鉢に蒔かれた一粒の種子さえも、
芽を出し生長していく植物の神秘について、
子どもと一緒にじっくり考える機会を与えてくれるでしょう。〉

『センス・オブ・ワンダー』23~24頁 


▼▼▼自分の中の科学者▼▼▼


子どもの心には「センス・オブ・ワンダー」が備わっている。
大人になっていてもこれを失わないことが、
僕は人生で一番大事なことの一つだと思っている。
あまりビジネス書には書かれていないが、
実はこれが重要なのだ。

大人はすぐに知識を「丸める」。
「これはこういうものだ。
 だってこういうものだから」
という、自らを欺く「理解」によって、
本当の理解を諦めることで大人は大人になる。
だから「大人」の話は絶望的につまらないのだ。

大人になっても心に子どもを飼っている人、
つまりセンス・オブ・ワンダーを失っていない人は、
「だってこういうものだから」を受け入れない。
疑問をもったら疑問を持ち続ける。
「分かった!」というときに世界が変わる経験には快楽が伴う。
「だってこういうものだから」は、
「分かった!」を殺す。

アルキメデスが風呂で浮力を見つけたとき、
「ユリイカ!」と叫んだと言われる。
大人になって物事を「丸める」のは、
「ユリイカ!」を殺すということなのだ。

今の時代は後期産業社会と言われる。
「知識社会」とも呼ばれる。
『ワーク・オブ・ネイションズ』という本で、
ロバート・ライシュが論じている。
この知識社会で最も大切なのは、
「●●ということを知っている」という知識や、
「●●ができる」という技術や、
それらを公認される「資格」ではない。
これらにぶら下がる人は生き残れない。

じゃあ誰が生き残るのか。

固定的な「資格」はスタートに過ぎず、
その資格・知識・技術を、
アップデートし続けられる人が勝つ。
そういった人を「シンボル・アナリスト」とライシュは呼んだ。
じゃあこの「アップデートし続ける」はどうやったらできるか。
「大学卒業後の勉強量」だと僕なら答える。

人間は二種類いる。

大学卒業後、まったく学ばなくなる人と、
大学卒業後、むしろ水を得たように学び始め、
死ぬまでそれが加速する人だ。

前者の人は労働市場における自分の価値が、
大学卒業後に最大になったあと、
その後は落ちるだけだから、
最初に仕留めた「正社員という椅子」にしがみつく生き方以外、
人生の選択肢がなくなる。
椅子を手放さないため、
どんな理不尽にも耐えねばならない。

後者になることが、
「自己決定できる人生」を生きるために、
21世紀に必要なことなのだ。

じゃあ、前者と後者を分けるものは?

それが「センス・オブ・ワンダー」だと僕なら言う。

僕は中高生時代、
勉強が反吐が出るほど嫌いだった。
クソつまらないと思っていた。
誰かに点数をつけられたり、
誰かと比べたり、
「これはこうなんだ、とにかく覚えろ」式の知識に、
まったく興味関心を持てなかった。

大学を卒業してはじめて、
勉強がこんなに楽しいことを知った。
勉強する時間が足りなくて足りなくて。

子どもの頃ゲームに夢中なとき時間が足りない感覚を、
僕は大人になってもう、ずっと味わい続けている。
知りたいことが多すぎる。
僕はスマホを所有せず、テレビを1週間平均で5分も見ない。
スマホが便利なことも、
テレビには楽しいものがあることも知っている。
でも、1秒たりともそれに注ぐのがもったいないぐらい、
学ぶための時間が足りないのだ。
本を読んで「世の中にワクワク」するほうが楽しいから、
そちらがどうしても勝っちゃうってだけで、
テレビが嫌いなわけではないし、
反スマホ陰謀論者でもない。
ただ、テレビのザッピングや、
スマホゲームやSNSやショート動画やまとめサイトに、
一日何時間も費やすには、人生はあまりに短すぎるのだ。
少年老いやすく、学成りがたいのだ。

世の中にはワクワクすることが多すぎる。
このワクワクの旅は一生終わらない。
大学6年間に得た知識の総量が100だとすると、
今の僕は1~2年ごとに常に100を超える知識を学び続けている。
小中高大学での勉強はバケツで、
社会人になってからの勉強はバスタブ、
いや50メートルプール、
いや海だ。
楽しくて仕方ない。
誰にも頼まれていないのに勉強が止まらない。
だって、面白いから。
これはやめられない。

学ぶことの「中毒」なのだ。

学ぶことの報酬は学ぶこと自体、
ということを知った人は、
永久機関のように学び続ける。

これを駆動するエンジンが、
「センス・オブ・ワンダー」で、
それを育めるのは子ども時代だし、
それが死ぬのもまた子ども時代だ。
だからレイチェル・カーソンは警告した。
子どものセンス・オブ・ワンダーを殺すのは、
しばしば周囲の大人だ。
「そんなことより早く宿題しなさい」と、
興味やワクワクより、
この社会に順応することを優先させる。
「いいから、月は丸いから丸いの。
 それでいいでしょ」
こういう会話が子どものセンス・オブ・ワンダーを殺す。
それによる機会損失は将来膨大なものになる。
子育ての雑誌や本には書かれていないが、
これはめちゃくちゃ大切なことだ。

なぜ月が丸いか、
なぜ四角でなく球体なのか、
子どもと一緒にうんうん悩む必要があるのだ。
あるとき分かる。
宇宙は「省エネルギー」だから、
物質が最も安定する幾何学的な形は、
いつも「エネルギーが最小になる形」だ。
だから月は丸くなる。
シャボン玉が丸いのも同じ(表面積を最小化したい)だし、
水に油滴を落とすと円ができるのも同じ理由だし、
雪の結晶が六角形になるのも同じ理由。
雪の結晶の場合さらに「自己組織化」という、
不思議なプロセスが関与している。

面白すぎる。

自然、凄すぎる。

一生、驚いていられる。

こうやって世界に「感動」すると、
子どものセンス・オブ・ワンダーを殺さずにいられる。
学校で良い成績を取ることより、
一億倍大事だと僕は思う。

何を犠牲にしても、
子どもの中の科学者を、
殺してはならない。


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参考文献および資料
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・『センス・オブ・ワンダー』レイチェル・カーソン
・『世界を変えた10冊の本』池上彰
・『沈黙の春』レイチェル・カーソン
・『ワープする宇宙』リサ・ランドール
・『ダークマターと恐竜絶滅』リサー・ランドール
・『ワーク・オブ・ネイションズ』ロバート・ライシュ
・『思いどおりになんて育たない』アリソン・ゴプニック





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