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岐阜について


これまでの武家政権は、あるいは後の武家政権も、
自分と天皇の上下関係をやや曖昧にしながら、
究極的には天皇の権威の元にあるという構図だった。
だけど、信長がひそかに、
あるいはかなりはっきり考えていたのは、
自分の方が上で、天皇が下にいること。
そういう構図を、視野に入れていたんじゃないかというのが、
僕の考えなんですけどね。
―――大沢真幸(『げんきな日本論』より)


▼▼▼初めての岐阜駅▼▼▼

岐阜にいる。
昨日の午後に新幹線で名古屋を経由して岐阜駅に降り立った。
考えてみると愛知県に6年間住んでいた時を含めても、
岐阜駅に降りたのは初めてだった。

獣医なら誰でも知っているが、
岐阜大学は獣医学科がある数少ない国公立大学のひとつなので、
公衆衛生の獣医師が集まる学会などに、
行く機会がなかった可能性がないとはいえないが、
記憶が確かなら、そういう理由で岐阜大に行ったことはない。

ないけれど、
獣医師の世界というのは狭いので、
岐阜大出身の同業者には複数出会ったことがあるし、
あと、大学時代の同じ研究室で6年留年した30歳の平井さんは、
お父さんが獣医の教授として有名で、
岐阜大で繁殖額教室の教授をしていた。
その後岩手大に遷られたと聞いたが。

だから平井さんはたしか岐阜県出身だったと記憶している。
平井さんは帯広でゴミ処理のバイトをしていて、
馬術部だったので馬について詳しくて、
料理が上手で、僕に料理を教えてくれた。
ヒゲがもじゃもじゃで色黒で、
目がとっても優しくて、
いたずらっ子みたいなオジさんみたいな、
不思議な魅力を持つ人だった。
僕の人生に爪痕を残した「忘れ得ぬ人」のひとりだ。
風の噂では北海道で馬の改良をする財団で働いていると、
10年ぐらい前に聞いた。

平井さん、元気かな。

話しを戻そう。

東海三県に暮らす人なら同意いただけると思うが、
「岐阜駅」って、
近くて遠い存在なのだ。

普通に生活していると、
わざわざ行く理由がまったくないのだ。
県庁所在地の岐阜市からすると、
豊橋風情が何言ってんだよ、
ってことになるのかもしれないけれど、
けっこう「岐阜駅」は本当にそうなのだ。

名古屋、金山、大須、
といった名古屋界隈の繁華街は結構行く。
四日市も案外、行く。
あと、名古屋経由で飛騨高山に観光に行ったりもする。
でも、名古屋駅からJRでたった20分の岐阜駅は、
多くの場合スルーされるのだ。

まったく冷蔵庫にくっつかないマグネットのように、
岐阜駅には人を誘引する力がない。
豊橋のほうがまだ誘因がある気がする。
これを読んだ岐阜市在住の人に、
キレられるかもしれないけれど。


▼▼▼金の信長公▼▼▼


今回、長良川国際会議場でのJCE7参加のため、
僕は人生で初めて岐阜駅に降り立った。
降り立ってびっくりした。
かなり「良い感じ」なことに。

駅のウッドデッキが新しくて、
設計がモダンで合理的で、
ヨーロッパの映像とかで見るミストで温度を下げている。
駅中の再開発も進んでいる。
あと、何といっても、
北口ロータリーの真ん中に「ズドン」と、
織田信長の金ぴかの銅像が建っている。
「金ぴかの銅像」って語義矛盾かもしれない。

金なの? 銅なの?

知らん。

知らんけど、とにかく金ぴかなのだ。
ググってみて欲しい。
本当に金ぴかだから。

あんな金ぴかなものは、
昭和の野球選手のネックレスか、
昔のマイク・タイソンの金歯ぐらいのものだと思っていたが、
令和の日本にも「金ぴか」があって、
ちょっと頭がくらくらした。

金ぴかの信長公は、
「やっと来たか。
 苦しゅうない。
 これがワシの城下町じゃ。
 ウヌらはどこぞの者ぞ。
 まぁ、楽しんでいくが良い。
 サル!案内してつかわせ」
とばかりに、岐阜駅に降り立った僕たちを、
直立不動でねめつけている。

調子にのって、
「いやー、そうなんすよー、
 マジで初めてで」
とかいって足元まで行くと、
多分刀でぶった斬られるのだと思う。
身体が真っ二つになる。

信長公は怖いのだ。
金ぴかの信長公の威圧感は本当にすごい。


▼▼▼時間が止まった風景▼▼▼


そんで、宿泊するリソルホテルってとこまで、
3分ほど歩いたのだけど、
その間にあった商店街のさび……エイジングがすごかった。

僕はけっこう、
「昭和のまま時間が止まった風景」が好きだ。

最近Podcastでも話したのだけど、
三鷹駅北口から徒歩10分のところにある、
焼き鳥屋「三河」のエイジングは最高だったし、
近所にある豆腐屋でおばあさんがソロバンで会計したときは、
テンションがぶち上がった。

なんか、「うち捨てられた風景」が、
僕はたまらなく好きなのだ。

これってノスタルジーなのか、
懐古趣味なのか、
あるいは女性の「枯れ専」とか、
男性の「熟女好き」みたいな、
フェティシズムに近いものなのか。
はたまた『ALWAYS 三丁目の夕日』に対する、
郷愁みたいなやつか。

そのどれでもないように思う。

うまく形容できないのだが、
僕は「うち捨てられてそのままになっているもの」が、
なんか好きなのだ。
『JUNK HEAD』というアニメが好きなのは、
どこかそういう「うち捨てられた何か」を感じるからかもしれないし、
僕の「ピクサーNo.1」は、
多くの人とは多分違い『ウォーリー』なのだけど、
それも「うち捨てられた何か」に対する感情が動くからだと思う。
『トイ・ストーリー3』もそうだけど。

この感情を本当にどう表現して良いか分からない。
でも、もしかしたら、と思う。

これは、
「もう長くは保たないだろうものに対する愛おしみ」
なのかもしれない、と。

僕は過去を懐かしんでいるのではなく、
「これから失われるだろうもの」に思いを馳せ、
そして切なさと寂しさを覚え、
だとしたら今、まだ形あるうちに、
壊れるほどに強く抱きしめたくなる。
そういった感情なのかもしれない、と。

フィッツジェラルドの、
『グレート・ギャッツビー』は、
金ぴか時代のアメリカの富裕層の話しだが、
最初から最後まで「切なさ」が漂う。
それは、「目の前のものがこれから失われる予感」が、
最初から最後まで立ちこめているからなのだと思う。
おそらく僕は、そういった何かに、
とてつもなく強く惹かれるのだと思う。


▼▼▼現代に存在する昭和▼▼▼


時というものは残酷だ。

東京などの「家賃が高い」地域では、
採算が合わないものは、
すべて新しいものに置き換わっていく。

でも、地方に行くと、
なぜこれが残り続けているかまったく分からないような店が、
今もそのままに保存されていたりする。
それは、人工的に保存された「資料館」の風景とは違い、
ほぼファンタジーでフィクションな、
『ALWAYS 三丁目の夕日』とも違う。

本当に、そのままに、
力動学的にそこにあるのだ。
静的な「保存」とは違う。
標本にされたヘラクレスオオカブトと、
生きて木に止まっているヘラクレスオオカブトとでは、
存在論的な意味が違うように、
映画やテーマパーク内の「昭和的な駄菓子屋さん」と、
この時代にどうやって採算をとってきたのか分からんけど、
まだ潰れていない昭和そのものの駄菓子屋さんでは、
テンションの上がり方が違うのだ。

そうやって、
奇跡みたいにして残っている、
「昭和的なレトロ喫茶(今ブームになってるやつじゃないからね)」
「昔と商品ラインナップがまったく変わってない駄菓子屋」
「街の角にあるたばこ屋」
「紫の服ばかり売っているブティック」
を見ると、僕は「珍種を発見した」喜びに満たされる。

そういったものが今も現役で稼働していて、
今も残っている。
あぁ、なんて尊いんだ。
そして、なんてはかないんだ。
僕はそう思うのだ。

そして思う。
「もう、長くは保たないんだろうな」と。
この風景も、2年後には失われるかもしれない。
インボイス制度の影響で、来年には潰れるかもしれない。
この店も、来年の今頃にはコンビニになってるかもしれない。
このたばこ屋も、今年中に、
「謎のラーメン自動販売機」に置き換わっているかもしれない。

そう思うと、
今、これを見られるうちに、
網膜に焼き付けておこう。
僕はそう思うのだ。

この感覚、分かりますかね?

あまり共感してもらえている自信はないが、
10人に1人に伝われば良いと思って書いている。

僕と弟は親友だが、
「この感覚」が、世界で一番合うのが、
弟なのだ。

こういう話しをしているとき、
40代になった僕と弟は、
10代のころと同じように、
キャッキャ言いながら盛り上がれる。
幸せなことだ。

あ、あとひとつ。
今の岐阜市の市長さんはクリスチャンらしいよ。
神田先生はかつて市長室で一緒にお祈りしたそうだ。
多分、今の庁舎は金ぴかでもないし、
天守閣もないのだろうけど、
「岐阜」って実は面白いのかもしれない。

そんなことを駅前のホテルで考えた。
このあたりで日本の歴史は大きく動いたのだよな。
「清洲会議」とかもこのあたりで起きたわけだし。
知っているつもりで知らないことが本当に多い。

そういう意味で、
今年公開予定の北野武監督の新作『首』を、
僕は今からとても楽しみにしている。
尾張弁の信長&アウトレイジな時代劇、
楽しみだなー。
戦国時代って「ヤクザの抗争」だもんね、
よく考えたら。
「英雄譚」に美化しない時代劇、
マジで見てみたい。

全体的にとりとめもないが、
今日はこんな感じ。
雑文を読ませて申し訳ない。

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参考文献および資料
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・映画『JUNK HEAD』
・『グレート・ギャッツビー』スコット・フィッツジェラルド
・『げんきな日本論』大沢真幸×橋爪大三郎



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