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目標を創る時代




何かをしているのに意味がないのではなくて、
意味がないからこそ、”せっかく”だから楽しいことをするのだ。
……ぼくがお笑いをやっていることに
使命のような大切な意味なんてもちろんない。
意味なんてないからこそ、
せっかくだからおもしろいことをやりたくてやっているだけ。
もしそれが持続できなくなったとしても、
ぼくには牡蠣のように生きる権利が圧倒的に残っている。
町を歩きながら一人ひとりに
あの人もあの人もみんな存在していい人達なんだなって思った。
  ―――若林正恭(『社会人大学 人見知り学部 卒業見込み』241頁)



▼▼▼オードリーのオールナイトニッポンin東京ドーム▼▼▼


2月18日に東京ドームに行った。
オードリーのオールナイトニッポンのライブを見るために。
北海道の僕の「ラジオ友達」から誘われて。

「テレビを見てる人」は令和の今減ったとはいえ、
多分それでもクラスの半数を超えるだろうが、
ラジオリスナーってクラスに1人いるかいないかぐらいだから、
「ラジオ友達」は希少なのだ。
ラジオの聴取率って、
トップの番組で0.7%ぐらいなので、
人気番組ですら聴いてるのは100人に1人ぐらいなのだ。
radikoの聴取を加えても100人に2人か3人だろう。
「世間でクリスチャンに出会う確率」と同じと思ってまちがいない。
ラジオはある意味「宗教」なのかもしれない。
クリスチャンが自分以外にクラスにいる確率と、
ラジオリスナーがクラスに自分以外にいる確率は、
だいたい同じぐらいだ。

僕が信仰に入ったのは、
あ間違えたラジオリスナーになったのは、
けっこう遅くて、30代後半からだ。
鬱の時に「くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン(ANN)」を、
ひたすら聞き続けることで僕は時間を過ごした時期がある。
それ以来、くりぃむANNを聞きながら寝るようになり、
それが習慣になって今に至る。

今もくりぃむANNは僕の子守歌だ。

鬱が寛解してからも、
ラジオを多く聞くようになった。
鬱になる前の僕は、
視聴時間のテレビ:ラジオ比が、
10:0だった。
だんだんラジオの時間が長くなり、
テレビの時間は短くなった。
今ではテレビは限りなくゼロに近づいている。
現在のテレビ:ラジオ比は、
0.1:9.9ぐらいだろうか。

テレビは2ヶ月に一回ぐらい、
どうしても見たい番組があれば録画して見る、
という感じなのだが、
ラジオはひっきりなしに聴いている。

電車で移動中に、
病院の待ち時間に、
家での「会計入力などの単純な事務作業」をしながら、
皿を洗いながら、料理をしながら、
筋トレをしながら、風呂を洗いながら、
とにかく僕は、
「ラジオを聴ける状況」を、
すべてラジオで埋めるほどにラジオを聞いている。

それでも、である。

それでも、ラジオを聞ける総可処分時間というのは、
多く見積もっても週に20時間ぐらいだろうか。

多いな!ずいぶん!

そう。

ラジオはけっこう「聴ける」のだ。
特に僕のように自宅で仕事をしてると、
ラジオ聴きながら仕事しても誰の迷惑にもならないので、
脳を絞るようなアウトプット中を除いて、
基本、仕事しながらラジオを聴いている。

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