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家と会社のあいだにあるもの

函館で高校まで過ごして実家を出てから、もう何度引っ越しをしたかわからない。けれど、何度繰り返したとしても引っ越しは、いつまでも、なにをするよりもわくわくする。

まず、物件情報を見るのがものすごくそそられる。僕が建築設計の仕事をしているからかもしれないけれど、間取り図をみると、ここになに置こうかとか、ここは読書部屋にしようとか、いつまでも空想が止まらない。
実は、僕の間取りフェチは、小学生のとき自分の部屋を与えられて以来続いている。思えば小さい頃から部屋の模様替えを異常な頻度でしていた気がする。それは、好きとかそういうこととは、少し違っていて、ちょうど良い配置を見つけないと、気持ち悪さが消えないと言った方が正確な気がする。だから、夜の遅い時間に急に思い立って、模様替えをし始めることもよくあった。静まり返った夜中に、机をずずずっと引きずって動かしていると、いつのまにか窓の外が明るくなっていたこともあった。

それとともに、これからこの街に住むかもしれないと思いながら、その街を探索するのは、これ以上なく好奇心をくすぐられる体験だ。
それで、何度も引越しをするたびに色んな街を歩きまくったことで、好きな街とあんまり好きじゃない街がなんとなくわかってきた。

それまでの自分にとっての街は、ボーっとして居られる海辺があったり、友達とサッカーのできる空き地があったり、ほとんど車が通らないからゲリラ的にキャッチボールのできる路地があったり。。。

動線空間、滞留空間とは、建築をやっていると良く出てくる言葉なのだけれど、ざっくり言うと、

動線空間:移動するために作られた廊下のような空間
滞留空間:居場所として作られた居間のような空間

ということだ。
それを、街に当てはめて考えてみると、
好きだったのは、なんとなく居場所として捉えられる街だったのかなと思う。

でも、東京では空き地なんかを許すゆるさはなく、建物がぴっちり隙間なく建っていて、それこそ「すき」がない。僕が友達とサッカーをしたりしていた空き地のような、いわゆる、滞留空間になり得る空間の割合が極端に少ない。

だから、僕が東京にきた時に感じた違和感の正体は、自分の居場所をみつけることができないことで感じた不安だったのではないだろうか。

その不安からすると、たぶん、家と学校、家と会社とかの、間にあるものが実は結構大事だなと思うのだ。

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