強く生きる。インドと荘子。
生也死之徒、死也生之始、孰知其紀。人之生、氣之聚也。聚則為生、散則為死。若死生為徒、吾又何患。故萬物一也。(『荘子』知北遊篇)
生には死が伴い、死は生の始まりである。だれがその初めと終わりを知り得よう。人の生は氣が集まったものであり、集まれば生となり、散じれば死となる。生と死とが一体であるとすれば、私は何を思い煩うことがあろうか?
街の喧騒、止まらないおしゃべり、せわしない成長―
どこか、いつも騒がしい雰囲気が漂うインドでも、ふと横を見ると寡黙に働いていたり、思いに耽っている人もいる。
そんな彼らの背中からは力強いエネルギーが感じられるし、
表情からは“ここで生きている”という揺るぎなさを感じる。
夫大塊載我以形、勞我以生、佚我以老、息我以死。故善吾生者、乃所以善吾死也。
(『荘子』大宗師篇)
天地は、私を大地に乗せるために肉体を与え、私を働かせるために生命を与え、私が永遠に働けぬよう老いを与え、私を安息にするよう死を与える。すなわち、生を善しとするということは、死を善しとするということである。
生まれた場所で、土地と人を愛し、自らの生を受け入れる。
日本での自分の甘い生き方を痛感すると同時に、背中をドンと押されたような、力強い応援を得た気がする。
大宗師
有限な人の営みは、やがて天に包摂される。天と人とは、別であって別はない。天人合一の境地に逍遙する「真人」は、「道」そのままの存在である。「道」を大いなる宗師として生きることこそ、人間努力の究極目標なのである。
―――――――
平岡充乃介のこと
横浜のヨガスタジオのこと
他のコラムとかエッセイとか
Instagramを見てみる
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?