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小学2年生の頃が人生でロックだった話。学校とか不登校とか。

 子どもは何を考えているかわからないですし、それはほとんどの人間関係においてそうだと思うんです。意外と僕たちって「子どもはこの程度くらいしか考えていないだろう」とか決めつけちゃって、その先入観が邪魔して子どもの気持ちを誤解しちゃうこともあるんじゃないかな、とも思います。

 まぁ、何の話かって、僕が小学2年生・小学4年生で不登校になったんですけど、味方はすごく少ないし、自分の思いを表現できる言葉を当時の僕は持ち合わせていなかったという話です。もし、不登校のお子さんをお持ちで、もし、それについて悩んでいる親御さんがいればお伝えしたいのですが、「誰も悪くない」時もありますよ、と。

新手のスタイル「ハイブリット不登校」

面白くないなら帰ればいい
 いわゆる普通の小学生だったので、広島県にある全校生徒400人くらいの小さな公立小学校に通っていたんですけど、ある時パタッと気持ちのシャッターが下りちゃったんですよね。ほんと、もう急に、パタッと。子どもなりに小さな嫌なことが積み重なって、限界線を越えたわけでもなく、「あぁ、つまらん」と。そして、「あ、帰ろう」と。

 この時点で日本の小学校教育が重要視する、集団を重んじるような思考回路が僕の中で形成されていないんですけど…。今でもダメな大人の僕は、「法律は守らなくちゃいけないけど、ルールはいくつか破ってみるくらいで丁度いい」って全国のキッズに伝えたいです。思考や感情に素直になれるのは子どもの特権だと思うんです。

脱走学童の誕生
 「あ、帰ろう」って思って、本当に帰っていたんですよね。朝のホームルームまでにはちゃんと登校して、1限目2限目と授業をきちんと受けるんですけど、その後につまらなくなっちゃう。そして、そのまま小学校の裏門をくぐって帰路へ。普通は「帰りたいけど帰っちゃダメだ、、、」みたいな葛藤と戦うと思うんですが、子どもながら行動に移す実行力が突き抜けていたなと。今でもすぐ行動しちゃう癖ってここらへんで形成されたのかなぁって思います。

 当時こんな行動をとっていてすごく迷惑だった話が、その時の僕は上履きのまま帰っていたので、げた箱には運動靴が残っているんですよね。だから、友達も先生も“校内のどっかでサボっているんじゃないか”とか、最悪“どこかに閉じ込められているのでは…”とか“怪我でもしたんじゃないか…”と、不安にさせていたんですよね…。あの頃の先生方、本当にごめんなさい。

理由を考えてみたけど、うまく説明できないこともある
 やはり、皆さんここで気になるのが「なぜ、学校を抜け出してまで家に帰っていたか?」ですが…、答えは、ないです。先生が嫌だ~とか、友達にいじめられて~とか、そのようなことは全くなかったんですね。そのうえ「家が好き好き大好き」というわけでもなかった。

 強い理由はなかったんですけど、何かが当時の僕を「ここを抜け出して帰ろう」と駆り立てていたんですよね。朝はちゃんと登校するくせに、昼前になったらわざわざ脱走してる自分、今考えても訳わからないですね…。でも、子どもの頃を思い返してみてほしいんですけど、そういうことって多くないですか?誰でも、「なんで小さい頃の自分ってあんなことしたんだろう…」って意外とあると思うんです。大きくなった自分として、当時のご自身の行動や心情を想像してみるって結構楽しいですよ。


救ってくれたのは、人として偉大だった教頭先生だった

脱走癖の最期
 いわゆる問題児のレッテルを貼られた当の本人は、そんなことを気にすることなく脱走をする日々だったのですが、ある日とうとう終わりを迎えます。

 いつものように何ルートかある脱走口(昔の小学校ってセキュリティ甘かったですよねぇ)の一つ、裏門から意気揚々に帰ろうとした時、誰かに体をガッと抱えられました。さすがに脱走させ続けるわけにはいかないと(それはそうですよね、ごめんなさい…)、先生たちが僕が脱走しそうなルートと時間帯を予測して、各脱走ルートに待ち構えていたらしいんです。

想像の上をゆく教師としての対応
 そんな感じで教頭先生に捕まってしまった僕は、教頭室へと連行されてゆきました。まぁもちろん悪い事をしていたのは十分に実感していたので、“あぁ、こっぴどく怒られるだろう”と。

 僕の奇行を心配していた先生は、当然のように「なんで帰りたいのか?」を質問してきます。まぁ、こういうことが聞かれるのは子どもの僕でも分かりました。で、ここから続いていくのが「今も帰りたいか?」という質問。反発心ながら「もちろん今すぐ帰りたい」と返答。すると「じゃぁ、靴を履き替えて一緒に帰ろう」と穏やかな顔で僕の目を見る教頭。僕の心の中にあったモヤモヤな闇が完全に消え去った瞬間でした。

社会システムへの反抗期

 今思い返してみると、小学校っていう構造が気に食わなかったんだろうなぁと思います。決まった時間、決まった空間、そして決まった内容を淡々と日々続けていくのが苦痛だったのではないかなと。勉強が得意な子は学びのペースをスローダウンさせられ、苦手な子は頑張れと言われる。友達みんなに長所や短所や特徴があって、もっと個性が溢れ出てもいいけど、周りの目を気にして授業中に発言をしなくなっていったり。そんなこんなで個性を受け入れられなくなっていくと、各々のうっ憤を晴らすかのように誰かを攻撃してしまったり。

「じゃぁ、自分がみんなに“もっと自由でいいんだよ”って伝えればいいんじゃない?」

 とか、思っていたかもしれません。その表現方法が「放棄(ちょっとヨガっぽい)」なんですけどね。まぁ大人たちからしたら「いけないことは、いけないと伝えなければ」という気持ちが強かったんだと思うんです。でも、分かっていたんですよ、学校を抜け出して帰ることが良いわけがないと。教頭先生に「じゃぁ一緒に帰ろう」と言われ、家まで歩いて送ってくれた時に、ようやく自分の行動が大人に認められたんだと感じていたと思います。その後、学校から脱走する癖はパタッとなくなりました。否定することだけが子どもの悪態を正す術でなく、肯定して認めてあげることも心に刺さるんですよ、きっと。

 まわりの大人たちには、子どもながらにたくさんの迷惑をかけましたが、今となってはそのおかげで自分の芯が作られた気がします。だから僕が大人になったら子どもの迷惑は有難く頂戴しながら生きていきたいなぁと思っています。


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