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インド生活が教えてくれた幸せの基準~足るを知ること~

 皆さんは、今幸せでしょうか?幸せと思うなら、なぜ幸せですか?幸せじゃないなら、なぜですか?
 思わず口にしてしまう「幸せになりたい」という言葉。幸せになるためには何かしなくてはいけませんか?自分が何者かにならないといけませんか?
 びっくり玉手箱のアメイジング・インディアにて経験したこと、それらは僕に楽しく・強く生きるための術を教えてくれるものでした。



なにも期待するべからず

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予想や予定なんて役に立たない

 僕がインドに渡った理由、それは大学院に入学するためだったのですが、もちろん入学する前に学費を納めます。その学費は外国人生徒用であり、そこにはインド人生徒の倍額の授業料と寮費が含まれています。なぜ、寮費も2倍するのか。それは、外国人は専用の寮があり、西洋式にバス・トイレ付きのワンルームが用意されていたのです。もちろん、入学前に現地に下見に行って確認済みです。

 さて、いざ大きな荷物を持って渡印、入学手続きを済ませて寮長に挨拶に行くと、ひと言「外国人寮はもう無い」と。思わず、「冗談つまんないぞ」って3回くらい言いました。ですが、本当に無くなっちゃったみたいで、「その代わりインド人学生用の一人部屋を用意してやる」とのこと。「まぁ、しかたないか」くらいの軽い気持ちで承諾すると、ふた(正確には寮の扉)を開けてびっくり、そこは4畳ほどの広さで、天井までの高さは190㎝ほど、なんと窓には鉄格子の付いている独房ルーム。ちなみに扉は厚めのベニヤ板で、扉の鍵はまさかの南京錠だったので、開ける前からヤバい気配しかしなかったです。

 もちろんお風呂もトイレもキッチンもありません。びっくりするくらい汚い共用トイレがあり、そこがトイレ兼バスルームだと言われたときは「よし、もう日本に帰ろう」と思いました。


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文句を言うだけか、それとも楽しめるか

 もちろん最初は「こんなのおかしくない?」ということで、寮長ならず学生課に行って猛抗議です。まぁ、日本人の感覚からすれば当たり前の行動だと思います。もう寮費も振込済ですからね。ちなみに僕が抗議しに行った時には、すでに韓国人と中国人のクラスメイトは学生課で怒鳴り散らかしていました。

 今思えばこの時の僕はまだまだ修行が足りていなかったんですよね。僕が生活を始める場所は日本ではなく、インドなのです。「日本では~―」みたいな感覚を持っていた自分が恥ずかしいです。「おれはお客様だぞ」って自ら言う人と何ら変わりがなかったと思います。

 無いものはないですし、自分の目の前に広がる現状が「最悪だ…」なんて誰が決めたことでしょうか?住んだこともない部屋に対して、いきなり悪い印象しか思っていないなんておかしいはずなんです。思い返せば、生まれてきてずっと住む部屋が用意されてきたわけで、それが普通だと錯覚していたんですね。(実家はもちろんのこと、大学生時代に借りていたマンションも大家さんと不動産屋の方々のメンテナンスのおかげさまだったんだなってすごく感謝した瞬間でもあります。)

 部屋が狭くてもいいじゃないかと。鉄格子がついた窓から見える景色も趣があるじゃないかと。トイレやバスルームが汚くても他に探せばあるんじゃないかと。



あたり前の感覚は日常を鈍化させる

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とびきりな瞬間は常識に隠れてしまう

 狭い部屋に住んで良かったことは、何も物を買わなくなりますし、必要な物って全然ないんだって気づけます。巷で流行っていた断捨離とかいうレベルでなく、健康的で文化的な生活を送るために必要なのは「健康な体」と「好きな本とか音楽」があればいいんだって初めて知りました。日本での生活は、本当に無意識に物に依存していたんだな、と。そんな風に外側に向いていた自分の意識が初めて内側に向き始めたわけです。

 汚いバスルームの替わりは意外にもすぐに見つかりました。屋外にある洗濯場です。蛇口はついているし、周りは緑で囲まれているし、上には青(夜)空が広がっています。そんな環境で身体を洗うなんて最高です。「人間、これがありのままかぁ」なんて思ったりします。
もちろんお湯なんてものはありませんが、いつでも当たり前のように蛇口を捻っただけで温かなお湯が出てくる日本が凄すぎるのです。インドでの僕はというと、バケツに水を溜めて、それを体にかけることをバスタイムと呼んでいました。昔、松田聖子さんが言っていた気がします、「肌を綺麗に保つために冷たい水で毎日50回くらい顔をゆすぎます」と。僕は全身を冷たい水で毎日洗っていたので、松田聖子さん超えと言ってもいいのかもしれません。

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気付かぬうちに高くなっていた幸せのハードル

 日本でしか生活したことのなかった僕ですが、「望んだ通りのサービスを受けられてあたり前」と思ったり、「電気ガス水道がいつも使えてあたり前」と思ったり、「なにもない状態」を知らなかったんですよね。今まで考えたこともなかったんです、「毎日水のみのシャワー」なんて。
 たまにしか連休なんてなかったのですが、独房と呼んでいた寮を飛び出して市内のホテルに泊まるのがすごく楽しかったんですよね。なぜかってお湯シャワーがあるからなんです。お湯を浴びられるだけで幸せだなぁと思ってしまうようになっていたのです。日本で普通に生活していたら、ここまで幸せのハードルを下げることってとても困難なのではないでしょうか。



幸せの基準を持つということ

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社会生活の中で曖昧になっていく感情

 学歴だったり、職業だったり、地位だったり、「羨ましい」とか「疎ましい」とか、集団生活の中で、ある程度周りの人とは一緒の基準みたいなものはできていくものだと思います。大学院生活で仲良くしていたアニルっていう友達がいまして、彼の誕生日の話なんですけど。インドの誕生日って、周りの人たち、特に友達にありがとうを伝えるために小さなプレゼントを配るんですね。アニルは「大学スタッフの子どもたちに配りたい」って言っておりまして、だから僕に「一緒に配るのを手伝ってくれ」と。インドは大きなお家にはサーバント(お手伝いさん)がいるのが当たり前で、各大学もたくさんのサーバントをスタッフとして抱えているんです。サーバントの人たちはいわゆる下位カーストの人たちで、良くて小学校まで教育を受けられるような家庭です。

 そんな子どもたちに配る為のお菓子を、袋いっぱい両手に抱えて、いざアニルの誕生日イベントが始まりました。これは、本当に皆さんのご想像通りだと思うのですが、お菓子を貰った子どもたちってめちゃくちゃ喜ぶんですよね。はじけんばかりの満面の笑みで「ありがとう」「美味しいよ」って言いながらお菓子を頬張るんです。計画的な子は後から食べるようにしっかり確保なんてしちゃって。

 最初は「うんうん、良かったねぇ」なんて思いながら、のほほんとお菓子配りをしていましたが、途中から“あぁ、なるほど”と。“この子たちにはしっかりと幸せの基準があるんだな”と。都会の子どもたちが塾に行ったり、携帯持ったり、テレビゲームしたり、そういうのと比べていないんですよね。今の自分たちの生活をしっかりと理解していて、今の自分にとっての幸せの感覚というのがちゃんと身に付いているんです。

 当時の僕は、大学院の勉強量がものすごい&生活するだけで大変な寮という環境なだけで、「こんなに頑張っているのに…」なんて思うことがあったのですが、子どもたちの笑顔を見て全て吹っ飛びましたし、ハッとさせられました。「今、この環境でこんなにも勉強や生活で学ばせてもらっているなんて、それこそ幸せの極みじゃないか」と。

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今の自分と向き合えているか

 多分なんですけど、「職業」とか「地位」とか「年収」とか、色んなことばかり考えすぎて「あれ?なにが自分にとっての幸せなんだろう…」ってなる人も少なくないと思うんです。でも、それって自分の生活レベルの水準がかなり高いところにあるから出てくる悩みなんですよね。

 スイッチを押せば電気がつきますし、蛇口を捻ればお湯が出てきますし、おつりが無いからって路線バスを途中下車させられたりしないですよね。ほとんどの人が申し分ない程の教育を受けていて、働く場所も会社もある。気が付けば近くにいる人を好きになったり。

 「発展途上国を見てみろ」って言いたいわけじゃないんです。「今のご自身をしっかり見てほしい」って伝えたいんです。物足りていないんじゃなくて、足りすぎて気付かぬことも多いのかもしれません。

 知足。足るを知ることって実はとても大事かもしれませんね。


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