服部俊佑

慶應義塾大学医学部卒/医師にならなかった。カウンセリングで、身体と心を整えながら、感情…

服部俊佑

慶應義塾大学医学部卒/医師にならなかった。カウンセリングで、身体と心を整えながら、感情を取り戻すトレーニングをしている

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母さん、ゴメン。慶應医学部を卒業したから、医者にならない〜エピローグ〜

0 精神的な母を殺す 最初は、題名を「母さん、死んでくれ〜」としていたが、物騒だから辞める事にした ユング心理学の中には母親殺しという表現が出てくる。人間が心理的に成長するために、乗り越えなければいけないもののようだ。母親殺し=母離れだ。世界各国の神話や民話にも登場するエピソードだという 童話・昔話・神話を介して集合無意識が伝えるメッセージには『建設的・肯定的なもの』もあれば『破壊的・否定的なもの』もあり、その二面性や両義性がもっとも象徴的に反映される元型が『グレートマザ

    • 受験システムが無い新世界

      何をやるのか?/What(Simple) 我々が目指している(現段階での)理想(ミッション)は 受験をする事なく、社会人になれる だ。その為には 10歳から仕事の手伝い(インターン)をし15歳で日本人の95%が就職(and自分で商売) 大学(研究機関)は0~100歳でいつでもどこでも学べる という状態である必要がある。したがって、ここから逆算し、僕自身がやりたい事も実現するとなると 10歳のお手伝い、15歳から雇う、0~100歳が入り混じる”家族と見立てた”オンライ

      • 私の母の日本軍⑤卒業と玉音放送

        玉音放送耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、もって万世のために太平を開かんと欲す ポツダム宣言を受諾した、大日本帝国 1945年8月15日に戦争が終わったと思う日本人は多い。だが、戦争はまだ終わらなかった 関東軍が武装解除命令を拒んだ事で中国共産党軍は関東軍に攻撃を仕掛け、8月15日から11月末までの間に戦死した日本軍将校の数は2900名に上る ソ連は、降伏調印が行われている9月2日に、北方領土の歯舞島攻略作戦を発動している。また、武装解除され投降した日本軍捕虜らが、主に

        • 私の母の日本軍④病棟実習とインパール作戦

          インパール作戦それは、日本軍がインパール(イギリス領インド帝国北東部の都市)攻略を目指すが、誰1人辿り着けず3万人が死んだ作戦  撤退路は、白骨街道と呼ばれる(出典:wikipedia インパール作戦) 医学部の実習をインパール作戦と同様に扱う事は、いささか誇大的妄想に近い(と自分でも思う) だが、小中高の学校生活を一度も嫌だと思わなかった僕が、学校へ行くのが億劫で1日中起き上がれない事は初めてだった 病棟実習が始まる 病棟実習(通称、ポリクリ)は、2週間毎に色々な診

        母さん、ゴメン。慶應医学部を卒業したから、医者にならない〜エピローグ〜

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          私の母の日本軍③大学中退とバシー海峡

          バシー海峡それは、太平洋戦争時、南東諸島に兵員や物資などを補給するための航路 太平洋戦争時にはヒ船団やミ船団等の石油輸送船団、フィリピンへの増援輸送船団など、日本の重要輸送船団が多く航行していたことから、アメリカ海軍によって「コンボイ・カレッジ」(英語: Convoy College;船団大学)とあだ名され、潜水艦部隊の格好の作戦場と見なされた[1]。そのため、戦争後半にはアメリカ海軍の潜水艦が多数配置されて通商破壊に従事し、多くの日本輸送船を沈めたことから「輸送船の墓場」

          私の母の日本軍③大学中退とバシー海峡

          私の母の日本軍②〜カルト宗教と受験戦争 とガダルカナルの戦い〜

          太平洋戦争(大東亜戦争) 明治維新から50年、200年先を行っていた欧米に追いついた。にも関わらず、大日本帝国は滅んだ そもそも、なぜこんな無謀な戦争を仕掛けたのだろうか?戦争目的は?? そこには、戦略が存在しなかった。エリート軍人達は兵站を無視し、仲間の保身に明け暮れ、精神論に撤する 太平洋戦争の初期は連戦連勝だった。だが、戦争が始まれば日本は貧困に陥る。それをなぞるように、僕の家庭も(精神的)貧困が目についた 中学受験というカルト宗教母の受験熱が激化した。妹は僕と

          私の母の日本軍②〜カルト宗教と受験戦争 とガダルカナルの戦い〜

          私の母の日本軍①慶應義塾大学「教」医学部「学派」

          日本軍それは天皇陛下に身を捧げ殉じた、今は亡き組織 日本軍が存在していたのは、たった80年前だ。だが、社会の変化は著しく早く、我々の記憶の彼方から消えようとしている 日本軍の上下関係は厳しく、指導という名の虐めが頻発する。そして、虐めの種類も多かった。ベッドのメイキングが少し乱れていただけで殴られ、靴磨きで汚れが残っていれば蹴られる。”体の両横にある机の上に手を置き、ただただ自転車漕ぎをする”といった虐めもある。その最中、敬礼や手放し運転など理不尽な指示も飛んだ では、

          私の母の日本軍①慶應義塾大学「教」医学部「学派」

          母さん、ゴメン。慶應医学部を卒業したから、医者にならない〜プロローグ〜

          ※この記事は8記事の内の一つ目です。8記事の内容がつながっています。分かりづらい方がいるみたいなので、最初に全記事を貼ります 1→母さん、ゴメン。慶應医学部を卒業したから、医者にならない〜プロローグ〜 2→私の母の日本軍①慶應義塾大学「教」医学部「学派」 3→私の母の日本軍②〜カルト宗教と受験戦争 とガダルカナルの戦い〜 4→私の母の日本軍③大学中退とバシー海峡 5→私の母の日本軍④病棟実習とインパール作戦 6→私の母の日本軍⑤卒業と玉音放送 7→受験システムが無い新世界 8

          母さん、ゴメン。慶應医学部を卒業したから、医者にならない〜プロローグ〜

          令和時代の家族とFamiTech

          トルストイの傑作といわれる「アンナ・カレーニナ」の冒頭には、印象的な言葉があります 幸せな家族はいずれも似通っている。だが、不幸な家族にはそれぞれの不幸な形がある 幸せな家族というと、メディアが打ち出した、父親は働いて母親は専業主婦で家族が仲良く慎ましく暮らしている…というイメージが強い。もしくは、昔ながらの村全員で子供を育てる、というものでしょうか。 なぜ、家族に興味があるのか?(Why) それは僕が家族内で幸せを感じられなかったからです。詳しくはまた次の記事で書き

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